第8章
二つめの過去


 『留守にする』
探偵事務所の慎悟のデスクに置き手紙が残されていたのは慎悟が学校に通い始めて四日たったときだ。
もうすぐ10月に入るというころ、両刃が急にどこかへ消えてしまったのだ。


「ねえ、両刃はどこいっちゃったのかしらね?」
金曜日。慎悟が中学校の事件を受け持ったので片水慎悟探偵事務所は長期休暇中。やることがない、とリーが慎悟に言ったら遊びに来いと慎悟が言ったのだ。
三階の慎悟の家で、リーは麗菜の言葉にコーヒーを淹れながら首をひねる。
「僕は知りませんけど、慎悟さんなら知ってるんじゃないんですか」
そう言ってリーは慎悟をチラリと見た。
リーを呼んだ慎悟はソファーの上でダラッとしならがらテレビを見ている。
テレビでは高速道路が工事のため、深夜から朝方まで通行止めをすると放送している。
「その前に慎悟さんはどうしたんですか?」
リーがコーヒーを淹れてテーブルに持ってくると、慎悟がソファーからコロコロと転がりながらテーブルにやってきてコーヒーに手を伸ばす。
「慎悟、飲むんだったら起き上がってくれる?」
麗菜が、寝転びながらコーヒーを飲もうとしている慎悟に言った。
「慎悟さん。いつもよりダラッとしてますけどどうかしましたか?」
リーが少し耳に残るような言葉を言った。
「学校で変なグループに入っちまった。その活動が忙しい」
「変なグループ?」
麗菜とリーが声をそろえて慎悟に聞いた。
慎悟は面倒くさそうに二人にJHSについて話し始めた。
「今時の子供は何を考えてるかわからないからね・・・」
麗菜がそう言ってコーヒーをすする。
「日本と中国の違いは大きいですね・・・」
リーはそう言ってコーヒーにミルクを入れた。
「でも入って驚いたよ。そのJHSってのはあの学校だけじゃないんだ。日本全国の公立中学校の生徒とつながってる」
「どういうこと?」
麗菜が聞くと、
「日本全国の公立中学の中学生の全員がJHSに入会してるんだ。最近は海外に手を伸ばす計画が出されているらしい」
「そんな・・・」
「情報伝達もすごい。どこどこの高校に行きたいって誰かが言うとその高校の近くの中学生とその高校に行った先輩から高校の情報が送られて来るんだ」
「へえ・・・」
「JHSの中ではいじめとかは厳禁。みんなが平等。ただし、先生方の前ではたまにけんかするらしい。いじめがまったく無い学校というのはおかしいから不信がられるんだってさ」
「それはどの中学でも同じなんですか?」
リーが聞いた。
「そう。月に一回対談をやったりもするんだってさ」
「どうやって?」
「パソコンにテレビカメラをつけている家の子供が、インターネットの対面型、つまり相手の顔が見えるチャットで話すんだってさ」
「お金かかるでしょうね」
「まったくだよ」
慎悟がそう言って、テーブルの上にあった雑誌を読み始めた。
「ところでビートついての情報は出てきたんですか?」
「いや・・・」
慎悟が少し黙ってから答える。
「あの学校は普通じゃないから。あそこにいるやつらの身体能力と知能指数は恐ろしいほど高い。政府のやつらが、たかがビートを探すのに何でこんなにてこずるのかわかったよ」
「先生方でも見当がつかないの?」
「まったくつかないよ。彼らは桁外れの身体能力と知能指数を世のために役立てようとしないんだ。彼らはその能力を表に出さずに暮らしている。ゆえに先生方も彼らの本当の力を知らない。それはJHSから大人たちに対する復讐なんだと」
「ふ〜ん」
慎悟は雑誌のページを繰っている。
「そういえば両刃さんはどこに行ったんですか?」
「へ?」
リーの質問に慎悟は雑誌から顔を上げた。
「両刃さんが昨日、留守にする、って書いてある置き手紙を残してどこかに行っちゃったんですよ」
慎悟が初耳のような顔をする。しかし両刃が置手紙を残した時点で慎悟はそのことを聞いていた。忘れているのだ。
「今日は何日だ?」
慎悟が数分間黙ってからリーに聞いた。
「今日は9月24日ですけど」
慎悟はそう言われて持っていた雑誌の目次を見てからいそいでページをめくる。
「どうしました?」
慎悟がリーの質問には答えず雑誌のあるページを読んでいる。
リーがもう一度聞こうとすると、
「あ!」
慎悟が大声で叫んで、風のように動いて彼の部屋に入って行った。
リーが呆気にとられていると、麗菜が慎悟が部屋に行くときに落とした雑誌を拾った。
「何読んでんだか・・・」
麗菜が表紙にほとんど全裸の女性の写真が写っている雑誌を見ながら言った。
バタンと音がして慎悟が出てきた。麗菜が声をかける隙も無く、ものすごいスピードで慎悟は家を出て行った。
今度は麗菜はリーと一緒に呆気にとられた。


 ここは群馬県の山奥の村だ。過疎化が進みつつある村の中に一つの豪邸がある。その家の表札にはこう書かれている。
『石神家』
ここは両刃の実家だ。彼の父は名の知れたスーパーマーケットの社長なのだ。両刃は一年に一度しか家に帰っていない。それは5年前の慎悟の両親が死んだ事件がきっかけだ。
慎悟の両親が死んだ理由が、警備が薄かったという。そのとき警備していたのが両刃だった。それ以来両刃自ら両親と連絡を取ることをできる限りやめたのだ。
だが毎年一度だけ、両刃は一人で実家に戻って来るのだ。
そして、今年も両刃は石神家の前に立っている。


 「おかえり」
麗菜が慎悟に言った。出かけてから約10分で慎悟は戻って来た。
「どうしたの?急に飛び出して」
慎悟はその質問には答えずリーに紅茶を淹れてくれ、と言った。
「両刃さんが何か関係しているんですか?」
リーが紅茶を淹れながら言った。
「ああ。とりあえずこれを読んでみろ」
そう言って慎悟は麗菜に雑誌のあるページを開いて渡した。
麗菜がそれを持って、リーも読めるようにリーの隣に行く。
『 被害者は今!
あの『呪われた刑事・I』の度重なる不注意によって死んだ人々。残された遺族らはいったい今どうしているのだろう』
という見出しがページで躍っていた。
「なにこれ・・・」
麗菜が記事を読みながら言った。リーも愕然としている。
「ちなみにそのI刑事ってのは石神両刃だ」
慎悟がリビングに入りながら言った。
記事の内容は5年前、両刃が慎悟の両親を死なせてしまい、一ヵ月後に両刃がある銀行で警備をしていた時に銀行強盗が押し入り、銀行員一人が死んでしまった。その銀行員の遺族は今どうしているかがインタビューとともに書かれている。
「麗菜はこのニュースを知ってるだろ?」
慎悟がリビングのソファで新聞を読みながら言う。
「ええ」
麗菜がうなずいてからリーを見る。
「リーが日本に来たのは4年前だから知らないよね」
リーがそう言われてうなずく。
「両刃が俺の両親が死んで懲戒免職になり、それから銀行の警備員になった。だがそこで銀行強盗が押し入って銀行員が一人死んだんだ。1ヵ月で三人も両刃の持ち場で死んだということで、両刃が週刊誌で『呪われた刑事』なんて書かれたりしたんだ。ちなみにまだその銀行強盗の犯人は捕まってないよ」
慎悟がリビングのソファで新聞を読みながら言った。
「その銀行員の命日が昨日だ」
慎悟は新聞を閉じて麗菜とリーを見た。
「両刃は墓参りに行ったんだ。毎年9月23日に行ってる。去年までは俺も行ったけど、今年は学校があったせいで忘れてたよ」
「でも昨日行ったのなら今日は戻ってくるはずじゃない」
「両親のところに行ってるんだ。両刃のお父さんはゴッドロックマーケットの社長なんだ」
「うそでしょ!」
麗菜が驚いて言う。リーも目を大きく見開く。それもそのはず。ゴッドロックマーケットは今、日本市場のトップに立っている。
「人は見かけによらないと言っただろ」
慎悟は首を振りながら言った。
「その銀行員の墓は両刃の実家の隣村にあるんだ。だから毎年、両親の家に寄ってるんだ。俺も一緒に両刃の両親の家には行っていた」
「じゃあ両刃の両親は両刃がここで働いてるって知ってるの?」
「もちろん。そんなの知らないほうがおかしいだろ」
慎悟にそう言われて麗菜は、今日中に父親に自分の職場を知らせることにした。
「ところで慎悟さんはどこに行ってきたんですか?」
リーが紅茶を慎悟の前に置きながら言った。
「両刃の家に行ってきた。もしかしたらもう帰って来てるかもしれないと思ったから」
そう言われて麗菜とリーはまだ自分が一度も両刃の家に行ったことが無いのに気づいた。
「両刃の家ってどこにあるの?」
麗菜が聞く。
「じゃあ明日三人で行ってみよう」
そういって慎悟は一口紅茶を飲んでから、
「今は回文作りに励もうぜ」
と言った。
「なんでいきなり回文を?」
リーが聞き返す。
「両刃が回文を残していったからさ」
そういって慎悟はテーブルの上に置かれたチラシの裏に、
『留守にする』
と書いた。
「留守にする・・・るすにする・・・留守にする」
リーが繰り返し言ってから麗菜と一緒にため息をついた。


 「どうだ。慎悟君は元気か?」
両刃の父、石神鉄が両刃にコップを渡しながら言った。
ここは石神家の和室だ。洋風の家だが、亭主の鉄がくつろげるようにこの和室がある。
両刃は礼儀正しくコップを受け取ってうなずいた。
「今年も慎悟君が来るのを楽しみにしていたんだがなぁ」
「慎悟も忙しいので」
孫の顔を見るのが楽しみみたいな顔をしている鉄に両刃は微笑んだ。
「あれから5年か」
鉄が両刃のコップに日本酒を注ぎながら言った。
「はい・・・」
両刃は面目なさそうにうなずいた。
「もう気にするな。すんでしまったのだ。悔やんだところであの銀行員は帰ってこない。今おまえに何ができるかを考えてみるんだ」
そう言って鉄は自分のコップにも酒を注いだ。
「両刃。おまえの名前の由来を話したことは無かったな」
そういって鉄は日本酒を一気飲みした。
「ええ。ないです」
両刃がそう言うと、鉄は用意してあったかのように和机の下から一枚の紙とマジックペンを取り出した。
「まあ一杯くらい飲め。この5年間、うちでは一度も酒を飲んだことが無いじゃないか」
まったく酒に手をつけない両刃に鉄は言った。
「すみません」
両刃は謝っただけで飲もうとしない。
鉄もそんな両刃に慣れているので特に気にせずに紙に『両刃』と書いた。
「両刃ってのはどういうのか知ってるよな」
鉄が両刃の顔を見ていった。その顔はとても楽しそうだ。
「刀剣のみの両辺に刃があるものです。日本刀とは違い、西洋のサーベル的なものを言います」
「そのとおり。両刃。おまえはジャッキー・チェンの『酔拳2』を見たことがあるか?」
鉄が自分のコップにもう一度酒を注いで言った。
「ええ・・・。慎悟が見せてくれました」
その言葉を聞いて鉄はうれしそうだ。顔はさっきのように孫の話を聞くおじいさんと言う感じだ。
「そのなかでジャッキー・チェンが『両刃の剣』という言葉を扇子に書いただろう」
「ええ」
「私はその言葉がすばらしいと思ったからおまえに両刃と言う名前をつけたのだ。この場合の両刃と言うは、強くもあり、その強さを見せつけない。そういう意味で付けたのだ」
そういって鉄はコップを一気にあおった。
両刃は黙って鉄を見ている。
「なんだ?」
鉄が両刃を見る。
「私の間違いかもしれませんが、酔拳2が公開したのは私が生まれた18年もあとです」
両刃が淡々と言う。
「それにな・・・」
スラリと話を変える鉄。
「私の名前は鉄だ」
そういって紙に『鉄』と書く。
「おまえは私の子供だ。鉄から両刃の刀が生まれる。そんなシャレも作ってみたのだよ」
そういって鉄はニカッと笑った。
その笑顔はリーと同じく屈託が無く、とてもきれいだった。


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