序章
麗菜の日記(格闘編)


 片水慎悟探偵事務所は1階が依頼の受付と待合室があり、二階には慎悟専用の部屋と両刃専用の部屋が一部屋ずつあり、三階は慎悟の家になっていて、今は慎悟と麗菜が二人で住んでいる。そして地下一階には所員が使うトレーニングルームがある。そこはオリンピック選手が使うようなトレーニング器具がたくさんある。
そしてここはトレーニングルーム。18畳のたたみの中心に四人立っている。
片水慎悟、石神両刃、月島麗菜、リーの四人だ。皆、ジャージ姿だ。
「慎悟、今何時か知ってる?」
麗菜だ。眠そうに目をこすりながら言った。
「麗菜、調べればわかることは人に聞くな。おまえは左腕に腕時計をしているし、扉のすぐそばに時計がかかっているじゃないか」
慎悟は屈伸をしながら六時半を示している時計を指差した。
「じゃあこんな朝早くから何するのよ」
麗菜が、少し文句があるように言った。
「おまえが沖ノ鳥島から帰るヘリの中で『今度鍛えてね』とか何とかいったから骨身を惜しんで仕方なく朝早くから、眠い中、めんどくさい中、訓練しようとしてるんじゃないか」
慎悟が余計なことを付け加える。
麗菜はそう言われて一ヶ月前の出来事を思い出だした。
燃え盛る炎の沖ノ鳥島から脱出したときヘリの中で月島は言ったのだ。
「今度鍛えてね」と。
「でもあれから一ヶ月たったのよ。もう忘れていると思った」
「おまえは覚えていただろ?」
慎悟に聞かれて麗菜がうなずく。
「おまえが覚えている限りやるよ」
慎悟はそういって今度はストレッチをし始めた。
「じゃあ聞くが慎悟」
両刃が足でトントンと床をたたきながら言った。
「なんで俺とリーまで練習に付き合わなければならないんだ?」
リーは眠そうに目をこすっている。
「俺は格闘の専門家じゃない」
慎悟はいきなり逆立ちをして言った。
「ところがおまえら二人はとってもいい武術の経歴を持っている。両刃は全国高校空手大会で準優勝したことがあるし、リーは中国武術大会準優勝だ。まあ、どちらも準優勝どまりだけどね」
慎悟が腕だけの力で飛び上がってクルリと一回転すると両刃の前に降り立った。
「おまえら二人がいてくれればとっても心強いんだよ」
慎悟はそういって慎悟の頭より高い肩をトントンたたいた。
両刃がいまいましそうにその手を振り払う。
「さあ!はじめよう!」
慎悟が両刃の対応を完璧に無視して大きな声で言った。
この四人の中で元気があるのは慎悟だけだ。ほかの三人は低血圧、眠気、慎悟への殺意で元気がない(ちなみに低血圧は麗菜、眠気はリー、慎悟への殺意は両刃だ)。


 「まず俺の流派について話そう」
慎悟がホワイトボードを持ってきて言った。
「俺の流派は針砕流という」
慎悟がホワイトボードに【針砕流】と漢字で書いた。
「この流派のもとは沖縄に伝わっていた古流武道の一つだ」
慎悟が右手を前に出す。
「その流派を完璧に使いこなしたものは針をも砕くと言われた。だから【針砕流】と書く」
「素手だけですか?」
リーが慎悟の言葉に目をパッチリさせて聞いた。
「そうだ」
慎悟がリーを見ていった。
「常識で考えて、素手だけで針を砕くのは不可能に近い。だが針砕流の創作者はそれをやってのけた。証人は周りに何人もいたそうだ」
今は月島以外の二人は真剣に慎悟の話しを聞いている。
「さて、では今からそれを実際にやってみよう」
そういって慎悟は針を取り出した。
「これは月島にソーイングセットを借りて一番丈夫だった針だ」
そういって慎悟は針を床に置く。
「ちなみに、慎悟」
月島が針を見ながら言った。
「この針は借りたものよね?」
慎悟がうなずく。
「それを砕くの?」
「さて針砕流で特に大事なことはだな」
体制の悪くなった慎悟はさらりと話題を変えた。
「まず構え方」
慎悟は右手を三人の前に出した。そして親指の第一関節と付け根を曲げる。そして中指と薬指をくっつける。
「これが針砕流のかまえの握り方だ。そして・・・」
慎悟が両手の指を全て開き、胸の前に左手を出した。
「これが針砕流の守りだ。次に・・・」
慎悟が手を握る。
「親指、人差し指と中指は薬指と小指よりも強く握る」
次に慎悟は親指以外の四本の指を開いて全てくっつけた。
「これが針砕流の手刀のかまえだ。そうすると・・・」
慎悟の腕が消えた。
パキッ
小さい音がして両刃たち三人が音のした慎悟の足元を見ると慎悟が針の上に手刀のかまえをして手を置いていた。
「このように粉々になる」
慎悟が手を上げるそこには砕けた針が置かれていた。
「てづま(・・・)ですか?」
リーが呆気にとられて言ったが慎悟達がその言葉を『手品』と理解するのには数秒かかった。日本に住んでもう四年半ほど経つリーだが、意識しないとたまに日本語を間違えるのだ。
「いいや。これはれっきとした拳法だ」
そういって慎悟は砕かれた針をハンカチで包んだ。
「針砕流は護身術だった。それが近年護身術ではなく人を傷つけるために用いられるもの、つまり殺人術として使われるようになってきた」
「私は殺人術なんか教わるつもりはないわ」
麗菜が自分の肩を抱いていった。
「俺もそんなつもりはない」
慎悟は微笑んでそういった。
「針砕流を使うには次の三つを制覇することだ。一つは力」
慎悟が人差し指を上げる。
「二つ目は技」
慎悟が中指を上げる。
「三つ目は感情だ」
慎悟が薬指を上げてホワイトボードに今の三つを書いた。
「さて。まず最初の力と言うのはそのまま力だ。たくさん筋肉をつけ、速く走れるようになったりすることで力を制覇する」
リーが一生懸命聞きながら小さい声で慎悟が言ったことをリピートする。
「次の技は技能と言うことだ。針砕流には名前のついた技は無い。どれだけ正確に相手に攻撃をして、どれだけしなやかに相手の攻撃を避けるかが技だ。後は本能に従って攻撃するんだ。クンフーと混ぜて使ってもいいし、空手を混ぜて使ってもいいんだ。両刃」
慎悟が両刃をよぶ。
「かかってきてくれ」
慎悟がそういって自然体で立つ。
両刃はため息をつくといきなり動いた。
慎悟に空手の技を繰り出す。正拳突き、回し蹴り、とび蹴り。慎悟はそれを全てしなやかに手で避けるか、するりとよけている。そして両刃が飛び蹴りを繰り出そうとしたとき、慎悟も飛んで両刃の胸に手刀を叩き込んだ。
 両刃は一瞬何が起こったかわからず、気がついたら麗菜とリーの前に倒れこんでいた。
「今の俺の動きは、過去に全国空手大会準優勝したことがある両刃の蹴りと突きを簡単によけ、そして正確に手刀を叩き込んだ」
慎悟が両刃に手を差し伸べると思いっきりはねのけられた。
「さて、次は感情だ」
両刃のことはお構いなしに慎悟は話を続けた。
「感情の制覇とは何か。無駄に笑わず、無駄に泣かず、無駄に怒らない。自分の感情表現を最小にすることによってはじめて感情の制覇ができる」
「感情を制覇することによって何が得られるんですか?」
リーが質問した。
「いい質問だ!」
慎悟がにやりと笑って言った。
「時に感情は力に勝る。感情の中では悲しみは時に怒りに勝り、怒りは時に喜びに勝り、喜びは時に悲しみに勝る。
感情の制覇に失敗して、感情を優先させてしまったとき、それは自分をコントロールできなくなる時だ。
人は怒れば怒るほど強くなる者もいれば、人は悲しければ悲しいほど強くなる者もいる。また嬉ければ嬉しいほど強くなる者もいるんだ。
針砕流の殺人術は感情の制覇をせずに、感情をむき出しにすることで生まれる。そうだな。たとえを出すなら今の両刃」
慎悟がイライラしている両刃にそう言うと、両刃の鋭い蹴りが慎悟に向かう。慎悟はそれを、体を少し後ろに引くだけでよけた。
慎悟は両刃の足をつかむと上に放り投げた。両刃の体が宙を舞った。両刃が高く舞い上がり、慎悟が落ちてくる両刃を綿をつかむようにすっと捕まえた。
「今の俺の動きは力・技・感情を完璧に制覇していた」
慎悟が両刃の足だけを持ちながら宙に浮かせながら言った。今のこの二人を初めて見たらキダムかアレグリアのようだ。
「俺がちょっと両刃を挑発しただけで両刃は感情をむき出しにした。
そんな両刃に対して俺は感情を制覇して落ち着いて両刃の攻撃を、技を使ってしなやかによけ、力で両刃を投げ飛ばした。
そしてまた技でしなやかに両刃をうけとめ、力で両刃を捕まえている。今も制覇が続いているが、気を抜くと・・・」
慎悟の表情がゆるくなった。その瞬間両刃は顔から落っこちた。
「針砕流についてはこんなもんだ」
慎悟が指の骨を鳴らしながら言った。
「次に麗菜に習得してほしいことだ。護身術として用いられている針砕流は今言った三つを完璧に制覇している。
だが殺人術として用いられている針砕流は三つの中の一つしか制覇していない。その制覇されているのは力だ。極限まで自分に力をつけた奴がいる。そいつは残りの感情と技を制覇していなかった。技の部分を力で補って、相手に対してとてつもない怒りを生み出して強くなったんだ」
「そういう人と闘ったことがあるの?」
麗菜がやっと興味を示したようだ。
「ああ」
「勝ったの?」
「もちろん」
慎悟が手を肩まで上げて言った。
「さて。俺は麗菜に力以外の感情と技を習得してほしい」
「針砕流を身に着けなくていいの」
慎悟の言葉に麗菜が以外そうに聞いた。
「ああ。そこまでする必要はない。それに麗菜にはきれいなままでいてほしい。無駄に筋肉を付けてその美しさを壊すのは俺の道理に反する」
慎悟の言葉に麗菜はふざけて照れたフリをするが、両刃とリーは慎悟の道理がいったいどういうものかが理解できなかった。
「じゃあ、ここから実践に入る」
慎悟が畳みの中心で自然体になった。
「まず手本をみせよう。リー、俺の言ったことをやってみてくれ」
「はい!」
リーは自分でもやってみたかったので大きい声で返事をした。
リーも自然体で慎悟の前に立ち、深呼吸をしてから構えをした。
「来い」
慎悟が笑いながら言った。
リーは一度大きく息を吐いてから慎悟に突進した。
リーがクンフーの鋭い蹴りを慎悟にくりだす。しかし、先ほどの両刃同様に軽くよけられた。
リーが針砕流にクンフーをおりまぜて攻撃する。それは今までの強かったリーより、ずっと強かった。
 ただ、麗菜にはそれがわからなかった。
「全然あたらないわね・・・」
麗菜が両刃に言うと両刃はため息をついた。
「おまえは武術についてまったく心得がないんだな」
両刃が残念そうに言った。
「いいか、よく聞け。リーには力があり、技術もある。問題は感情だが、リーはしっかりと深呼吸をして落ち着いてから慎悟に向かって行った。忠実に慎悟に言われたことを実行しているんだ」
「ふ〜ん」
麗菜は興味がなさそうだ。
「次はおまえがやるんだぞ」
「わかってるわよ」
麗菜はそういってあくびをした。
「ハッ!」
リーが飛び上がった。慎悟も飛び上がる。
「決着がつくな」
両刃が言った。
リーが空中で慎悟に回し蹴りをすると慎悟はそれをガードし、リーの足をつかんで後ろに放り投げた。
リーが空中をクルクル回りながら畳みの上に落ちた。
リーは慌てて起き上がろうとしたが肺が圧迫されてまた倒れこんだ。
「なかなかよかったぞ」
慎悟がリーに手を差し伸べた。
リーが慎悟の手をつかむ。
「手を差し伸べてつかんでもらえるというのはうれしいものだ」
慎悟が両刃に向かって大声で言った。言われた両刃はそっぽを向いた。
「リー、いいぞ。なかなかだ。いきなりあそこまでやられるとは思わなかったよ」
慎悟はべたぼめするが、
「でも一発もあたりませんでした。」
リーは事実をそのまま言った。
「まあ、感じ方は人それぞれだからな」
慎悟はそう言って麗菜を見た。
「次は麗菜だ」
麗菜はまたあくびをしていたが慎悟に見られて慌てて口を閉じた。
「俺がゆっくり攻撃するから、それをガードしてくれ。今日は攻撃まではやらない」
「わかったわ」
月島が靴を脱いで畳みに上った。
慎悟が構えを取る。
「今から中学生の空手選手レベルでかかっていくから」
「は〜い」
慎悟が麗菜に軽く殴りかかる。
「お疲れ様」
両刃がリーに言った。
「はあ」
リーは最後の一発がまだ肺に響いていて痛いのだ。
「大丈夫か?」
「ええ」
リーは笑顔で答えた。その笑顔はまったく濁りがなかった。
「ところで、両刃さんは女性を殴れますか?」
「そうだな・・・」
両刃は天井についている鏡を見た。
「俺の主義では彼女だろうが、妹であろうが攻撃してくるやつにはかまわず攻撃は返す」
「・・・両刃さん妹がいるんですか?」
「いない」
両刃は天井の鏡を見ながら答えた。
リーも鏡を見て、何のためにこの鏡はあるのだろうと、考えた。
「僕はクンフーを教えてくれた師に『女は殴らずただ惚れろ』といわれたんです」
両刃は数秒してからリーを見た。
「変わった師でしょう」
リーが困ったような笑顔をして言った。
「じゃあおまえは女を殴らないのか?」
両刃が驚いたように言った。
「ええ」
「なるほど・・・」
そう言って両刃は麗菜を見た。麗菜を見ながら彼は麗菜の美しさに見とれかけていた。


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