序章

       



 ホテル街。雨の中、1人の女性がホテルの前で立っている。歳は20歳前半。傘を差しているが、肩がだいぶ濡れていることから、立ち続けて1時間は経っているのではないかと思える。女の表情にはなんの表情も見えない。あげるとすれば・・・・・・悲しみ。
 1台の車がやってきた。黒のリムジンが静かに女の前で止まった。
ドアが開き、いかにも成金を気取っているという容姿の男が出てきた。実際、この男はある大企業の社長だ。表向きには通用しない大企業だが。
 男は女の肩を抱いてホテルの中に入っていった。リムジンの後ろにはいつの間にか同じ黒い5台の車が止まっていた。その中からボディーガードと思われる、サングラスに真っ黒のスーツの、いかにも危ない感じの男たちが20人ほど出てきてホテルの中に入っていった。
 ホテルの中は広く、ホールなっていて、部屋はすべて2階にある。そのホールで男は女に1万円札の束を渡した。そして2階に上がっていった。まぎれもなく売春だ。
 スーツの男たちは五人ほど2階に行き、残りは全員ホールに散った。フロントの男は迷惑そうに 男たちを見たが何も言わなかった。彼もまた金を渡されているからだ。
 今は2005年8月20日。2005年も半年が終わった。にもかかわらず、金によって物事を片付けるという思想はかわらないのだ。
 10分後、2人が入った部屋からあえぎ声が聞こえてきた。一緒に2階へ上っていったスーツの男達はドアの外でにやりと笑った。


 ホテルの外。スーツの男が出てきた。タバコを1本出して、雨の中だが気持ちよさそうにすった。目を閉じてにこやかに微笑む。タバコを本当に楽しんでいる顔だ。この顔を見ると、とても裏の仕事についている人間には見えない。
 男が目を開けると目の前に見慣れない車が止まっていた。黒いワゴンが黒のリムジンの向こう側に止まっていた。窓までもスモークガラスで黒い。
 男は呑気にも、
「今、空から見たらこの道は真っ黒だ」
などと考えていた。
 ワゴン車から1人の少年が出てきた。銀縁のサングラスで帽子をかぶっていて顔はわからないが、雰囲気的に、歳は13,14くらいだ。続いて5人ほどの男が出てきた。よれよれのワイシャツを着ている。だが、全員の目が異様に鋭い。
 少年が何のためらいもなくホテルに入ろうとした。
 さすがにスーツの男も、子どもがラブホテルに入るというのは薦められないので止めた。
「君。ここは普通のホテルじゃなくてナニをやるホテルだよ。」
 男は顔に似合わず、下品なことを言う。
「わかっている。」
 少年は静かに答えた。
「じゃあ、なぜ入る?」
「なかにいるあんたの雇い主に用があるんだ。」
 男はいぶかしんだ。
なぜこの子供は自分が雇われているとわかったのか、
なぜこの少年が中に自分の雇い主がいるのかわかったのか、
そして、この少年は誰なのか?
「君は誰だい?」
 男は一番簡単な質問から聞いた。
「探偵の片水慎悟」
 その言葉に男はひるんだ。
そのスキに慎悟は男を蹴り飛ばして黒のワゴン車にたたきつける。
 男はそのまま気を失った。
 慎悟は彼を一瞥してホテルに入って行った。そのあとに5人の男も続く。
 中に入ると、ホールに散っていた男たちが慎悟をにらんだ。
 そんなことにはおかまいなく、慎悟はフロントに行ってフロント係に聞いた。
「つい先ほどここにきた客の部屋はどこだ?」
「さあ。もっとはっきり言っていただかないとわかりません」
 このようなホテルのフロント係はこんなふうに、客のこと隠すようになっているのだ。
 フロント係の言葉を聞いて慎悟は眉をひそめて首をひねる。
「何組か客がいるのか?」
「ええ。」
「でも・・・・。」
 慎悟はフロントの後ろの掲示板を見た。
 そこには部屋の写真が並べてあり、それぞれの写真の下に『空室』のランプがあった。部屋が空いていれば、空室のランプがつくというシステムだ。
 10部屋あるが、空室のランプはひとつを除いて全てついていた。
「聞くまでもなかったな」
 慎悟は肩をすくめて、連れの5人にホールの脇にある階段へ行くように言った。
「まて」
 スーツ姿の男の一人が慎悟に言った。
「社長に何のようだ。」
「逮捕」
 慎悟はめんどうくさそうに答えた。
「誰だ、おまえは?」
「片水慎悟」
 慎悟は同じく静かに答える。
「中学生の探偵気取りか。テレビに出て調子に乗っているって雑誌に書いてあったな」
 スーツ男一人が大声で言った。ほかのスーツ男もにやにやしている。
「調子に乗っているって自分で言ったから仕方が無いよ」
 慎悟が素直に認めたので男は眉を吊り上げ、
「とにかく、社長は今お楽しみの最中なんだ。邪魔はさせないよ」
 そういうとホールに散っていた男がこっちによって来た。
「はぁ・・・」
 慎悟は大きくため息をついた。
 話で通用する相手ではないと彼はわかっていた。階段のほうを見てみたが、すでに人がいる。 強行突破するしかない。
「そのために5人連れてきたんだもんな・・・。」
「なんだ?」
 独り言を言ったら男ににらまれた。
「手荒なことはしたくないよ」

 一応言葉で解決しようとしてみた。
「こっちは手荒なことが大好きなんでね」
 無駄だった。
「じゃあやってみれば?」
 瞬間、男が動いた。男
の右手が慎悟の襟をつかむ。慎悟は一瞬で1メートルほど持ち上げられた。
 だが、慎悟は少しもひるまずに、するりと相手の手をはずし、着地するとすねに蹴りをいれる。
 横にいた男がふところからナイフをだした。視界の端でそれを知ると一瞬で男の手を捻りあげナイフを落とす。男を転ばせると、腹に蹴りをくらわせた。
「階段にいる奴らを頼む」
 慎悟は連れに言うと、フロントに隠れる。
 連れが風のように動いた。
 階段にいた奴らは一瞬の慎悟の攻撃にあっけにとられ反応が遅れた。連れの正確な手刀が男たちの首を襲う。男たちは強烈な圧力が首にかかり、めまいが起こって倒れた。
 連れがフロントを見ると残りの男たちが倒れていた。
「サンキュー。ここでまっていていいよ」
 慎悟はそういって階段を上っていった。
 階段の上では下の騒ぎに気づき一人が降りようとしてきた。
 だが慎悟は前も見ないで走っていたため正面衝突してしまった。
「誰だ」
「誰でもない」
 男が聞いたが慎悟は本当にめんどうくさかったのでそれだけ言うと全体重をかけて男の顔を殴った。
 男は失神する寸前に、
『説明もないままやられるのはつらい』
と思った。
 慎悟が顔を上げると廊下の奥の部屋の前にいた男たちが慎悟を見ていた。
「ごきげんいかが?」
 慎悟が友好的な笑顔を見せたが、男たちはすでに同僚を殴られるシーンを見せられているので 友好的な笑顔は何の意味もなかった。
 4人の男が一気に向かってくる。慎悟は跳躍力を活かし、4人を一気に飛び越え、後ろからすばやく2人を殴る。残りの二人が同時に攻撃してきた。手刀、正拳突き、踵下ろしと空手の技をすばやく繰り出してくるが、慎悟は全て手の平で受け止め、スキをうかがう。5メートルほど後ずさりしながら受け止め相手にスキができた。男が蹴り上げた瞬間に慎悟はバランスをとっている足に力いっぱい蹴りをいれる。勢い
に乗り、もう1人の腹に肘うちと膝蹴りをくらわせた。肩をつかまれたが、腹に鋭い蹴りをくらわせた。
グキャリ!
 鳴ってはいけないような音がして、男は動かなくなった。慎悟は念のため肋骨を調べ、折れていないのを確認すると奥の部屋に向かった。

 部屋の外に立つとよほど壁が薄いのか、あえぎ声がきこえる。
 慎悟は顔をしかめた。彼はこういう性に関係するものを大いに嫌っている。
 慎悟はため息をつくとノックした。
「なんだ!」
 いきなり怒鳴り声が返ってきた。
「片水慎悟というものです」
「・・・」
 無反応。
「入ってよろしいですか?」
 そう聞いたら、ドタドタと中で暴れる音がした。
「逃げるのか・・・」
 無駄だなと、慎悟は静かに思い、ドアを蹴破った。
 中はとても広く化粧台に冷蔵庫にテレビ、そして大胆にも部屋の真ん中にダブルベットが置かれていて、その上でシーツを1枚かをぶって女性が倒れていた。
 慎悟はなんとも思わず、女性に歩み寄り脈を確かめた。しっかりと脈は打っている。
 女の顔を見ると目を細めた。
 とてもきれいだ。肩まで伸びた長い髪はつやがあり、肌は真っ白だ。とても売春をするような人には見えないくらいしとやかな感じがする。
 だが、慎悟が目を細めたのはそれが原因ではない。まるでなにかを懐かしむようだった。
 ふと、後ろに殺気を感じた。後ろをちらりと見て、横飛びで男が振り下ろしてきた花瓶をよけた。
「あなたが新見社長ですね。」
 慎悟がタオル1枚で立っている男に言った。
「用は何だ!」
 ものすごく怒っているけど、タオル1枚なのでなんの迫力もない。
『まあ、いいか』
 慎悟はそう思って新見に聞く。
「一昨日、東京湾に死体があがりました」
 反応をうかがう。汗が出ているが、それはお楽しみの時の汗だろう。
「あなたの仕業ですね。」
「なにをバカなことを!」
 新見の額から脂汗がでてきた。
「証拠がどこにある」
「ここにあります」
 そういって慎悟はポケットから封筒をとりだした。
「これはその被害者の部屋から見つかったものです。彼はあなたの部下で、警察に麻薬密輸を密告しようとした。そう書いてあります。」
「バカな。あいつの家は部下が全部探った・・・」
 そういって新見はハッとした。
 慎悟はため息をついた。
「残念なことに冷凍庫の中でビニール袋に入れられていたとは思わなかったのでしょうね。私の部下は10分で見つけましたよ。」
「そんな・・・」
「殺人の罪で、自首をお勧めします」
 慎悟は途方にくれている新見を軽蔑のまなざしで見ながら言った。
 ベッドの方を見ると女性が目を覚ましかけている。
「それから、俺に対する殺人未遂もね」
 新見はへなへなと座りこんだ。
 慎悟は肩をすくめるとベッドの方へ歩いていき、女を起こした。
「探偵の片水慎悟です」
 それを聞いて女性は体をこわばらせた。
「とりあえず服を着てください」
 そういって慎悟は部屋の外に出て部屋の前まで来ていた連れの5人に言った。
「両刃(もろは)、おまえは新見を確保してくれ。リー。お前は同じ部屋にいる女性をとりあえずうちの事務所に。残りはそこらに転がっているやつらの処理を」
 呼ばれた男、両刃は部屋に入っていき、リーは床に倒れている男の脈を調べはじめた。
 慎悟はもう一度、新見と女がいた部屋のを見ると、階段を下りて外へ出て行った。慎悟が外に出ると車が止まっている狭い道を、ゆっくりパトカーが入ってくるのを見て手を上げた。
「ここだ」
 慎悟がそういうとパトカーが止まって背広をしっかり着こなした男が出てきた。
「お久しぶりです」
 慎悟が男に言うと、男はいきなり慎悟の胸倉をつかんだ。
「お久しぶりです、じゃない。なにをしているんだ!」
 この男は警視庁捜査一課の木古内(きこない)城(じょう)。茶髪でとてもかっこいい。
 彼は25歳の若さで難事件をいくつも解決して何度も表彰されたことがある。慎悟は何度か面識がある。ただ、慎悟ほど事件解決量が多くないため、慎悟を敵視している。
「なにって・・・、捜査。もう解決しちゃったけど。」
 慎悟が首をひねりながら答えた。
「なぜお前が捜査している?」
「依頼を受けたから」
「誰から?」

「一昨日の東京湾に上がった死体の親。」
 そういうと、するりと木古内の手をはずして服の乱れを直す。
「そんなことより、上に新見がいる。はやく捕まえれば」
「貴様の捕まえた犯人など捕まえる気はない!」
『刑事が言うせりふか・・・?』
 慎悟はニコニコしながら考えた。
「木古内。なんて事を言うのだ」
 パトカーからもう1人おりてきた。こっちは満濃(まんのう)満太(まんた)。名は体を現すという言葉を実践しているようで、著しく太っている。来年定年で木古内の大先輩だ。
「ホシを捕まえようとしない刑事がどこにいる。手柄をくれるというのだ、ありがたくいただけ!」
 元気な59歳だ。
「悪いな、慎悟君。いくつも事件を解決して調子に乗っているのだよ。この若造は」
 満濃は、その若造よりずっと若造の慎悟に言った。
「じゃあ、後頼んでいいですか?」
 慎悟は満濃に聞く。
「ああ。いいとも」
 満濃はにこやかに笑ったが木古内は、
「とっとと帰れ」
とつぶやいた。
「じゃ、仲間呼んできます」
 慎悟は聞こえなかったフリをして中にはいっていった。
2階に上がると両刃とリーが部屋から女性と一緒に出てきた。
「慎悟。パトカーが来ているんだろ?」
 両刃が聞いてきた。
「ああ」
「じゃあ、まずくないか?」
「なにが?」
「新見と一緒にいた女だ。重要な参考人なる。警察が黙って連れて行かせてはくれないだろう」
「大丈夫。何のために5人も助手を連れてきたと思っているんだ?」
慎悟は両刃とリーの裏にいる連れの3人を見て言った。
そして一番男前の奴を選んで、
「おまえはちょっと遅れてこの女性と一緒に出てきてくれ。お前たちが一緒にホテルにいたと思わせよう。この事件とはまったくの無関係で客ということにしてな。フロント係には金でも渡して口裏を合わせてもらおう」
と言った。
「あとの二人は警察の仕事を手伝ってやってくれ。その前に新見に口裏あわせをしてもらって女はもう帰ったということにしてもらえ。いくら
か条件をつけてもいいから。」
 そういうと2人はうなずき部屋に戻っていった。
「よし、いこう」
 そういうと、慎悟はさっさと階段を下りていった。
「初仕事はどうだ?」
 両刃が階段を見ながらリーに聞く。
「いつもこんなに暴力的なんですか?」
 リーは床に落ちている一滴の血を見て聞いた。
「まあね。慎悟は裏の大企業相手の起こした事件が専門だから。たいていこれくらいの人数の用心棒を雇っているのだよ。まあ今日はほとんど弱かったけど。いつもはもっとハードだな」
「なるほど・・・」
「続けていけるか?」
「何とかやってみます」
 リーの言葉に満足したのか、両刃は心底うれしそうな表情で階段を下りていった。リーはもう一度床の血をみて、身震いして両刃につづいた。