春日山城跡


8月4日3時に佐渡より着き見学する、春日山城跡は上杉謙信[長尾景虎]の居城で、前回の栃尾城も[長尾影虎]
史跡 春日山城跡 長尾景虎「後の上杉謙信」

佐渡港を9時の船で帰り新潟港え車に乗り換え海岸沿いに寺泊、寺泊で昼食を取り一路直江津え、春日山城跡を見学、今晩の宿は赤倉温泉え、一泊し戸隠宝光社参拝し長野市善光寺参拝し鳥居峠越え帰宅。
写真左は本丸跡、右は天守閣跡。


上越市には、春日山城、福島城、高田城という性格と時代の違う三つの城跡があります。その一つ春日山城は、戦国の英雄上杉謙信公の城として今も天下にその名をとどろかせています。
春日山城は越後守護上杉氏が戦時のために築いた城で、今の県庁にあたる守護所[直江津駅南]から約4kmk位置にあり、関東・信濃・北陸への往来が一目で監視でき、守護代長尾氏が守護所と連繋して守っていました。
城は空堀・土塁などによって多くの郭を守っていましすが、周囲の山々の尾根にも砦を築いて、より大きな城としての機能を持たせています。
春日山城は、天正7年(1579)に養子の上杉景勝に、慶長3年(1598)に堀秀治に引継がれました。しかし、堀氏が慶長12年 (1607) 直江津港近くに福島城を新築して移ると、城としての運命を終えました。
春日山城跡は、城としての歴史だけでなく、自然の宝庫として、四季折々の豊かな表情を訪れる人々に見せてくれます。





戦国の名将
謙信公は享禄3年(1530)、越後守護代長尾為景の末子として生まれ、7歳のとき林泉寺に入り、名僧天室光育から厳しく文武の道を習っています。
14歳で元服して長尾景虎と名のり、19歳で兄晴景に替わって越後守護代になりました。以後、越後統一、信濃・関東・北陸への出兵が生涯続きます。永禄4年(1561)に鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉姓と関東管領職を上杉憲政から譲られ、上杉氏を名乗るこたになります。
天文22年(1553)と永禄2年(1559)の2度にわたって上洛し、天皇や将軍に拝謁して、深く信頼されました。
武田信玄と5度も川中島で戦っていながら、かって信玄に救援の塩を送ったり、また領土的野心で戦をしたことは一度も無かったといわれています。天正6年(1578)関東出兵を前にして、突然、49歳の生涯を終りました。

左の木造は、謙信公が深く信仰した毘沙門天。


資料は現地見学と 史跡めぐり[ 春日山城跡 ]から
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