星野典子の言葉の

  宮澤賢治の作品の中で私がもっとも好きなものは虔十公園林」という作品です。虔十という今で言えば知恵遅れの男の人が生涯一度のお願いをして土の良くない畑に杉を植えます。やがて成長した杉の林にこどもたちが集まるようになり虔十はそれを嬉しそうに見ています。そうして時代が流れ村が町に変わっていく中で虔十の林だけは変わらず自然の恵を訪れる子どもや大人に与え続ける。賢治がこうありたいと願った姿がその中にあるといわれている虔十の物語からを私のページのタイトルにしました。折々に気づいたことを書いていきます。





3/8 辰巳館
お豆腐やさんの社員の食事会ということで月夜野の辰巳館にいってきました。ここは私が生まれる前からあった上牧温泉の老舗です。
初めに専務さん(若旦那)が旅館業に取り組む意気込みを話してくれました。三温=温泉の温もり、人の温もり、炭の温もりを大切にした旅館で必ず良くなると信じてやっているというお話でした。食事は炭焼きで素材の味を生かしたもの、さらに量もたっぷりでもう帰ってから夕飯が食べられないほどでした。お風呂は明るくて広くて最高です。
 こんな食事会がまたあるなら次の機会までバイトを続けようかなと思うほどでした。


3/5 講演会
今日は午後、村の健康管理センターで行われた講演会に行って来た。テーマは「心の病気について」。今年私も健康手帳というのが貰える歳になる。ついては講演会を聞きに来るようにと言うお達しが来ていたがそれが「前立腺肥大について」というテーマの講演会だったのでそちらは遠慮して今回行ってきた。残念だったのは、連日のバイトの疲れが出て座ったが最後眠くなったこと。ブラックブラックガムを用意していったが効かなかった。というか目はさめているのだが頭がさめていない。さらに資料にないいいことを言うのでメモしたいのだが今日重たいオカラの箱を運んだため、右手がペンを持つことを拒否してしまっている。ともかく、一時間半の話は実の多いことばかりで為になったがほとんど覚えていない。でももらった資料だけでも行った甲斐があった。
 特に印象に残ったのは精神分裂病という名前が付いているが英語やドイツ語を訳し直してこの夏当たりから統合失調症という名前に替えること。分裂病の発症というのは遺伝的要素が濃い場合もあるがそうでなくても100人に一人の割合で発症する誰でもかかる病気であり、早期発見により投薬治療などによって最近では入院することなく緩解、治癒も増えてきているということ。ただし反社会的人格障害は恐い、という話もありました。犯罪者に見られる反社会的人格障害と、緊張型分裂病などを一緒にした偏見が社会にあることが入院することで思春期の患者を一層追い込んでしまうことから入院をしない方向にいってるようです。精神科病棟の入院患者の中には20年30年と入院生活をしている人が居るそうです。それも驚きでした。
鬱病の予防には心身の休養が一番だということなので今日は剪定はやめて家で休みました。



2/25  新人
昨日、豆腐屋さんにアルバイトの男の子がやってきた。その子を見て自分が初めて仕事をしたときのことを思い出した。 
私が就職したのは沼田市内にある小さい土建屋で、従業員は10人少々。私は一年先輩の事務員さんから仕事を習っていた。ある時土木事務所に「行けばわかるから」と言われて(今考えるとそう言われていく方も行く方だが)行った。担当者のところに行くと「何しに来たの。もう一度何しに来たのか帰ってきいてきて。」と言われた。さらに最悪なのが私が父親にそっくりだったので「・・町の谷角さんちの子だね」と言われたこと。などなどズルズル思い出した。
私は商業高校を卒業している。スポーツが盛んな高校でよく試合だから公欠だという子がいた。いろいろ覚えているが珠算の担当で関先生と言う先生がいて(そう言えばまだ珠算のクラスがあるんだろうか)三ム主義というのを教えてくれた。三つのムを無くすのが仕事を早くするコツだという。それはムダ、ムラ、ムリ。これは自分で就職したときも、結婚して農業や、即売をしているときもいつも思い出す。高校では実際に社会に出て役に立つ事をいろいろ教えてもらった。生物の先生があの頃流行り始めた「土禁」の車の話から女の子がどういう態度をとると口でなんと言っても「イエス」になるのかを話してくれた事があった。今でもあんな事を教えているのだろうか。
 仕事をするときはいつも目標を持てと言われた。自分で「今日はここまで」あるいは「明日はこれをやろう」と。そして周りにいる人が何を考えているか察するようにしろと言われた。何か書こうとしたらキャップを外したペンを渡せるようになれと言われた。
働き初めてすぐは先生達が言っていたことがわからなかったが時間が経ってだんだん合点がいくようになってきた。
昔を懐かしむようになっては・・・。


2/20償い
朝は忙しくてニュースはよく見られない。でも今日の芸能ニュースの中の一節には思わずフライパンを持ったまま止まってしまった。スポーツ紙からの紹介で三軒茶屋駅のホームで男性を殴って死なせてしまった若者の判決公判で裁判長がさだまさしの「償い」という歌を引いて反省するように促した、というのだ。仕事から帰って確認したがうちでとっている新聞には出ていないので詳細はわからない。しかし私はこの歌に思い入れがある。例によってとても長いし、シングルではなくアルバムの中にあった曲だ。たぶん「夢の轍」だったと思う。紹介すると「月末になるとゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに横町の角にある郵便局へ行くのだった。仲間はそんな彼を貯金が趣味のしみったれた奴だと 酔った勢いで嘲笑ってもゆうちゃんはにこにこ笑うばかり 僕だけが知っているんだ彼はここへ来る前に一度だけ たった一度だけ悲しい過ちを侵してしまったのだ。 配達帰りの雨の夜横断歩道の人影に ブレーキが間に合わなかった 彼はその日とても疲れてた。 「人殺しあんたを許さない」と彼をののしった 被害者の奥さんの涙の足元で 彼はひたすら大声で泣きながら 只頭を床にこすりつけるだけだった。 それから彼は人が変わったなにもかも忘れて働いて働いて 償いきれるはずもないがせめてもと 毎月あの人に仕送りをしている。」・・・そうして7年経って初めてその人から来た手紙には「もうお金を送らないように。あなたの字を見るたびに思い出して辛いから。 もうあなたの人生を元に戻してあげて欲しい。」と書いてある。・・・といった内容だ。ちょうど私が運転免許を取った頃だった。視界の悪いときにハンドルを握るたびこの歌を思い出した。この歌が私に教えてくれたのは自分が操っているのが生半可な気持でもってはいけない凶器だということだった。一瞬の気にゆるみが一生を、自分と誰かの一生を狂わせてしまうこともあるものだということだった。そして人の命の重さを思い、取り返しの付かないことが世の中にはある、その時には「疲れていた。」なんてことが言い訳にはならないということを考えた歌だった。
今日一日この歌が頭の中をぐるぐる回っていた。「人間って悲しいね だってみんな優しい。それが傷つけあってかばいあって」
こんな日本語があったんだなと久しぶりに思い出した。



2/18 うち
「こちらのお客様、鎌田のS様にお聞きになってうちのお豆腐をおつかいになりたいそうです。」 来客を奥さんに取り次いだときの自分の言い回しにはっとした。「うち」と言っている。
 高校を卒業して就職した市内の小さい土建屋で、働いて半年くらいの頃、「その仕事うちがやるんですか。」と聞いて「うち?」とききかえされた。「うちって谷角椅子店かい」(谷角椅子店は私の実家)「・・・」私は六年半働く間、「うち」で通したし、結婚して辞めてからも癖が抜けなくてk工業と言うところを「うち」と言って主人に怒られた。それがまたバイト二ヶ月で豆腐屋さんが「うち」になってしまった。もちろん片品林檎亭とは違う。他の豆腐屋さんと比較するようなときだけに出るのだが。おやおや。
 
 話は違うが、先週、ある機会があって沼田竹道会の演奏を聴いた。琴と尺八の日本的な演奏だった。隣りにいた大竹さんと顔を見合わせてしまったのは演奏者の紹介の時だ。琴を奏でる女性達を紹介するのだが、「こちらは何々さん。薄根町に住んでいて旦那様は自動車教習所の教官をしておられます。こちらは何々さん、倉内町に住んでいて旦那様は学校の校長先生をしておられましたが今は退職されています。」と言うのだ。「じゃあ、男の人の紹介のあとにはおくさんがなにをしてたか言うのか。」と思わず小さい声で突っ込みを入れた。



2/11自信を失い
片品が一年中で一番賑わう二月の連休が終わりました。どんな塩梅だったでしょうか。私は豆腐屋さんのタイムコーダーが丁度12時間となる一日のあとなにやら力が抜けています。20代の時は2時頃まで遊んでいて、うちに帰り7時半に仕事に行くという毎日を繰り返しても平気だったのにすっかり歳をとったと言うことでしょうか。
豆腐屋さんで豆腐を配達した箱を洗う仕事をしていると、この店をでた箱が戻ってくるまでどんなところにいたのかわかることがあります。豆腐はざるに入っているので持って行くまでに水がこけ、箱から豆腐だけ出してそのままにしておき暖かいところにおいてあったりするとその水が腐ってきます。昨日は強烈な匂いで思わず外に出さなければいられなかった箱がありました。配達したときのサランラップもそのまま残っていて黄色くなっていました。箱につけたメモから一週間ほど放置されていたものと推察されました。豆腐を注文する民宿について電話のちょっとした応対、こうした裏の管理などからどこが自分なら泊まりたくないか考えてしまいます。またこうしたことをいつも自分の店ではどうかと考えます。
 今、話題になっている「お金とモノから開放されるイギリス人の知恵」という本を読んでいました。イギリス人の素晴らしいところ日本人の情けないところが比較されています。私はかねがね日本人であることをどう誇りに思ったらいいのだろうと迷っていました。歴史でも経済でも日本人が世界に誇れることはあるのかと。私がこどもの頃は日本は経済成長していてアメリカを凌ぐ勢いでしたから「戦後GHQが日本を占領したときに週休二日制を行き渡らせておけば日本もゆっくりした国になったのに。」なんて思ってました。ところがあの頃の揺るぎない自信は度重なる銀行、大企業と思っていたところの倒産などですっかり消え、さらに雪印のようなことが明るみに出るにおよびそうした中で「言った」「言わない」というようなことで空転している政治を報道されると「おいおい」と言葉もなくします。
ところがそんな時、今月の暮らしの手帳の中に「えっ」という記事を見つけました。それも「ロンドンの悪口」という記事です。ロンドンの電話局、郵便局、銀行、地下鉄について効率の悪さ、利用者の便を考えないやり方をやり玉に挙げています。
 「国民性」というのがあってその国によっていいとこ、悪いとこ、見習いたいとこなどあるかもしれませんがイギリスにはイギリスでこちらが首を傾げたくなることもあるわけでそんなに「何もかも日本は駄目だ」と思うことはないのかもしれない。と思えた記事でした。(ユニクロの記事はまたあとでゆっくり読まなければなりませんが)。

個人として、目に見えることも見えないことも口に出すことも出さないことも誠実にするしか自信を取り戻す術はないのかもしれません。先日の片品村役場での講演会でも利根村の水芭蕉の旦那さんが「行政がどうの、隣がどうのという前に自分ができることをしろと言ってました。「考え方はグローバルに行動は足元から」というのが生協の牛乳パックにいつも書いてある。確かにその通りです。



2/4 懐かしの
冬の間部活がない剣道部が9日に試合を控えて練習を始めた。暇なので5時半に迎えに行った。中学校に迎えに行ってなかなかぴったりになったことがない。早くつきすぎるか、ひどいと行き違いになる。こっちが思いつきで迎えに行くのだから仕方がないが。ところが今日は私が着くのと耕介が出てくるのが一緒だった。5人ぐらいで固まって歩いてきた真ん中に耕介がいた。おもわず「ぴったしカンカン」と言ってしまった。「ぴったしカンカン」といえば私が中学生の頃やっていた視聴者参加型クイズ番組でぴったしチームとカンカンチームのリーダーがきんちゃんとじろーさん。司会は久米宏。確か二月の今頃、東京でホテルニュージャパンの火災と羽田沖の日航機墜落事故が重なっておこり久米宏が「二度あることは三度ある」と言ってしまい、コマーシャルのあとか何かに「二度あることは三度ありません」と言って謝った。私がライブで覚えているN.G.大賞だ。ニュースステーションで何か言いすぎて問題になるとあれを思い出す。
またあの頃からニュースや番組のN.G.が取り上げられるようになったような気がする。
今日は田中真紀子元外相の更迭から初めての秋山ちえ子の談話室の録音でないバージョンなので聞いていた。これが秋山ちえ子さんの名前が思い出せない。ずーと前に友達だった秋山節子さんという名前が頭を占領していて困った。別に名前を思い出さなくても時間が来れば始まるしその前には「この時間は・・・秋山ちえ子さんがお話になります。」と紹介が入るのだが。やたら昔のことは覚えていて今のことが思い出せないという症状が出てきたのか・・・。



1/30 宮部みゆきの群馬県

先週はだいたい「模倣犯」を読んでいた。一週間で上下を読み切るというのはいかに他のことを何もしないかということにもなるがそんなことは別の話。全体をとおして感じるのは壊れた家庭=夫婦の多いこと。主犯のピースは母親の愛人の家で育つが、本妻やらその子やらの葛藤の渦中にいながら自分は他の男の子という複雑さ。従犯の浩美は母親をなじる父親の言葉の中で育つ。作品の中にはないが「なぜあの子が死んでお前が生き残ったのか」という母親の言葉からして浩美も乳児の頃母親にまくらを押しつけられたのではないだろうか。しかしあっけなく死んだ長女に反して浩美には生命力があったのでは。これは私の勘ぐり。最初に浩美に殺される川越に住む両親から仕送りをうけている娘も、群馬の田舎町に住む嘉浦舞衣もちゃんと親に愛されている子供とは言えない。舞衣に至っては母親が若い男に捨てられないように人身御供(古い言葉だ)に差し出されている。ほかにも日高千秋の両親、古川鞠子の両親・・・。ここまで全部家庭が壊れてるの?と聞き直したいぐらいだ。
前の直木賞を受賞した「理由」の時は群馬県が出てきてモデルに使われた道と、「これはあの家だ」と確信できるくらいはっきり思える家があった。今度も別荘地で小山市に近くて新幹線の「・・高原駅」というのが出てきてグリーンロードという安直な名が付いている観光道路があって・・・とあちこちの条件をサラダボウルに入れてかき回したような群馬県がでてくる。結構取材に来ているのかもしれない。いちどどこかでばったりであいたいものだ。



1/28 冬は終わってなかった
昨日と今日は雪。やはり冬は終わってなかった。夕方から路面は特に滑りやすかった。
滑るといえば4月が来るまで油断してはならないと思ったのがこの前、ちょっと遅くなったので急いで椎坂峠を登っているとき、もう路面に雪はなく乾いていたし前の車がのろかったので譲り車線によけてくれるといいなと思いながら登っていたらよけてくれたので追い越し、次のトラックを追い越したら自分もよけようとスピードが出ていて、右カーブで道路の端に前に降った雪が残っていて、そこから解けたのが流れ出ていてもう夕方で凍っていたうえにその勢いのままのってしまって、完全にコントロールを失って「やばい」と思って前後左右にをミラーで確認したら丁度車はなくて、運を天に任せたときタイヤは乾いた地面を踏んでいた。というのがありました。
ブレーキも踏まず、ハンドルも切らなかったのが良かったみたいです。たぶん1,2秒のことでしょう。視界に車があったらブレーキを踏んだりして回転したり滑ったり、大事故になっていたかもしれません。スピードを出さないのが一番。遅くなっても誰も困りませんから。
早く出ること。用事を欲張らないことが大事と思った出来事でした。もう少しですから心して冬をやり過ごしましょう。



1/24 宮部ワールド
去年の暮れ、沼田の図書館に頼んだ宮部みゆきの「模倣犯」が順番が来て日曜に主人が借りてきてくれた。私が7番目で約一ヶ月かかったからこの後ろにも待ってる人がいるに違いないとせっせと読んだ。うーん、おもしろい。一昨日になって「下」も順番になったというので、なんとか今日の休みに借り換えられればと夕べは遅くまで読んだ。こう言うのを書きながら時代物のほのぼのした物もかけるのがすごいと思う。やっぱりプロということか。
片品は先週から雨模様が続き道はすっかり春の風景ですが本当の寒さはこれから。今日は生活改善グループの新年の会議と食事会。今まで近いけど行ったことのないレストランなので楽しみです。



1/17 またまた前橋へ
先週、わざわざ用事を作って煥乎堂へ行くという冒険をしたばかりなのにまた前橋に行く用事が出来てしまった。掲示板をご覧になった方はご存知のように年末ジャンボで一等の組違いが当たり、第一勧銀まで当選金をもらいに行ったのです。すぐ行くところが庶民だよね。一応、沼田の真下たばこ店で確認してもらい、おめでとうなんて言われて前橋へ。昨日から前橋スズランでやっている郷土の物産展というのについでに行くことに。尾瀬豆腐の店はアイスクリームのショーケース一つ分。「あ、これこの間新聞に出ていた人のだよね、あの鬱病になったとか言う」「そうそう花咲の湯で食べたことがある」「美味しいんだよね」とおばさん達が賑やかにやっているそばでおもわずニコニコしながら見ていてしまいました。尾瀬豆腐 
この様子を写真にとってH.P.に載せたいけど百貨店の中って普通写真撮影は出来ないから・・・と受付で相談するとなにやらエライ人が登場して下さって快くO.K.してくれました。スタジオ・ジプリの鈴木敏夫プロデューサーににたお人です。写そうとしたらお客さんがとぎれたところ被写体になって下さいました。ほかにもりんごもリンゴジュースもありました。お昼を食べる前だったら試食でお腹いっぱいになるような縁日のような雰囲気でした。今日は前橋もすいていてなんか閑散とした感じだったのにスズランの8階催し物会場だけは賑やかで驚きました。会場の反対側で民芸家具を売っていましたが昔、火事の後、スズランの手作り家具の展示会で指物の文机を買ったのを思い出しました。今でも自分で単品で買った物のうちあれが一番高い買い物です。
下りのエレベーターに催し物のチラシが貼ってあり、一緒に貼ってあるチラシの一番最後に今回で高級呉服の取り扱いは終わりにしますとありました。また沼田に戻ってきて、文真堂によって貴泰に頼まれたニット帽を買おうとしたところ売場がすっかり変わっていてザッカの扱いがとても小さくなっていました。売れる物売れない物がドンドン入れ替わっていく時代をかいま見る想いでした。



1/15 思い出
今日は妙に昔のことが思い出された日でした。小学校三年の時に長野に引っ越していった友達から実に三十年ぶりに年賀状が来て・・・と言っても残念なことに余りよく覚えていないのが申し訳ないけど・・・。別れるという日にいせやの屋上で遊んだ子かなとか貝瀬牛乳の隣に住んでいた子かなとか思ってみるけどわからない。実家の母は何となく覚えているというからすごい。私の場合昭和59年に住んでいた家が全焼して、何も持ち出せなかったので、なんかその前のことがだんだんおぼろになっていく。もっとも小学校の時の先生は1年から6年まで覚えている。生方すえ先生、小野知子先生、伊勢崎先生ときてこの三年の時の先生が今思うと卒業したての新任だったのだと思うが、学活でみんなでワイワイして全然先生の言うこと聞かなかったら泣き出して職員室に帰ってしまって、これはいけないとクラス委員が代表して謝りに行って戻ってきてもらった。今までそんな先生はいなかったのでびっくりした。そのあと先生にも気を使うようになった。と覚えている。本当のところはわからない。中学や高校では言うことを聞かなければ先生はへそを曲げるものと思ってつまらない授業の先生は無理に呼び戻さないのが通例になった。まあ泣いて帰った先生はその後いなかったけど。あと細川先生、新井先生。新井先生には二年教わった。何年だったか女の先生の社会で「窯業」と言う字が出てきて、なんと読むかでワイワイ言って「ちつぎょう」と発言したとき「それはM君が言って違うと言ったでしょう。M君では違うのにあんたが言えばあってると言うとでも思ったの」と怒られた。私は前に同じ読みを言った子がいたのに気が付かなかっただけなのに・・・とその怒り方を理不尽だと感じたのを妙に良く覚えている。こういうのは女の先生に多かったわけではない。自分がしなかった間違いについて怒られたのを良く覚えているのはおかしなものだ。貴泰が私が間違って怒ったことを全部覚えていたら・・・とちょっと冷や汗。



1/9 30分の差
今日も片品は朝から雪。せっかく通行止めにしての除雪も一日でもとの通り。まあしないよりまし。こんな雪降りに出かけなくてもと思いつつ休みを利用して前橋へ。2日に煥乎堂へ行った貴泰が「幻の動物の生息地」と「クイディッチ今昔」が平積みになっていたと情報をくれたので買いに行った。もう沼田では手に入らないとあきらめていたので。ところが、平川を過ぎた辺りから路面に雪はなくなり、椎坂峠を降りきると国道は乾いている。綾戸のトンネルから先には雪が降った形跡もない。ここは「北部山沿い」ではなかった。もちろん頭では知っていたがここまで違うとは。ところが今日はマイカルの安売りと前橋の初市が重なって前橋に入った辺りから渋滞。いったん敷島公園の方に行って県庁から戻るようにしてようやく煥乎堂へ。久しぶりにゆっくり本の売場を見た。マーキュリーホテルの近くの「ブックマンズアカデミー」もいいけどやっぱり煥乎堂の方が落ち着く感じ。もちろん品揃えが違うので余裕があれば両方行きたいところ。今日は宮部みゆきの「R.P.G.」を奮発。かえりに尾身書房にも寄る予定なのでもし尾身さんちにあったら・・・と思うが誘惑には勝てず。また星野富弘のカレンダーを買い忘れていたのでどうしようかと思ったがなかったらあきらめることにして買わずに沼田へ来た。それがラッキーなことにブックAおみに一つだけ見本に下ろしたのが残っているのでくれるという。半額で買うと言ってみたが押されてもらってしまった。みね子ちゃんいつもありがとう。またここで宮部の新しい文庫を発見。今日の二冊目の衝動買い。耕介の再現日本史を買って帰ろうとしたらレジにきた男性が持っていたのが耕介が暮れから欲しがっていた立川志の輔の文庫。「えーそれ何処にあったの」と聞いてつい購入。本だけはその時買わないと後悔するからね。帰りはまた尾瀬高を過ぎた辺りから風景が一変して白一色となった片品へ。ああ、あの空の向こうには乾いた沼田があるんだ・・・。でも沼田ってふとしたところに雪があって結構危険です。


1/8 日本人の扱い
ここ何日かとはうって変わった今日の暖かさ。良く除雪した道路はもう乾いています。太陽の力は偉大だ。雪が降った後いつもこんな日があるなら我慢できるかなと思ったけどまた今夜から積雪があるらしい。
1/1付けの朝日新聞のトップにハリウッド映画に登場するイスラムの人の記事が出ていた。日本人についても書かれていたがとにかく型にはまった描き方しかしていない。私が思い当たるだけでもいかすアメリカ青年にチャンスを奪われる間抜けな日本人学生が「スペースキャンプ」という子供向けの映画に出てきた。ほんの数秒でセリフに気をつけていなければ日本人ともわからない。あと若い夫婦が手に入れた一戸建てのローンを払うために一階部分を間貸しする話で借りての高橋というおそらく日本人だけど毎朝太極拳をやっていて顔も絶対中国人という首を傾げたいキャスティングのもあった。そして今年の私の最初の読書が「女性署長ハマー」P.コーンウェルの新作だけどその中にドクター・サワマツという日本人が登場している。検死した死体から様々な戦利品をコレクションしている怪しい人物だ。今回の作品では直接は出てこないでアンディの回想やセリフの中に出てきている。もう寝る時間なのにこの人がどういうふうに出てくるのか気に掛かって読んでしまったほどだ。この人の作品では肌の色や主義主張は大切にされているように感じてきたがちょっと残念。
違う作品にこのサワマツという人の所行を補う日本人が登場してくれるといいんだけど。



2002 1/1 新春
 お豆腐やさんがものすごく忙しい大晦日が終わり、新しい年になりました。十二時に貴泰と近くの杜にお参りに行き、甘酒を飲んで今年の無病息災を祈念しました。
夜中は月明かりで山道が歩けるほどの晴れ。朝も晴れて昨日の雪も解けるようでした。それでもラジオはパキスタンとインドの緊張や、ペルーの繁華街での火災の被害の大きさを伝えています。
 ところが今日は、朝日新聞の群馬版に尾瀬ドーフの記事が載りそれが思っていたよりずっと大きい扱いだったので市旺さんは感激して「去年もいい年だったけど、今年はもっといい年になると思う。これもみんなのおかげだ。」と大喜び。豆腐の注文が押し寄せたら大変だけど実際すごい大きい記事だった。
私は、今年不惑。三月生なので同級生はどんどん40代になっているなか去年一年は得したようでした。今年はもう逃げられません。
新たな責任を感じつつ前向きに行こうと思っています。今年もよろしくお願いします。


12/26読まれていたストレス解消法
姑と貴泰と三人で食事になったときは要注意。今日もお昼がそうだった。仕方なく早めに食べて昼寝して二時頃起き出しお風呂磨きを始めた。その後廊下を拭きながら電器の笠を外し貴泰に外の水道でたわしでこするように依頼。丁度宿題をしていたがゴム手とエプロンをして小雪の舞う中大掃除のお手伝いとなった。私ももう一つ外して隣りに並んで洗い始めた。すると「きっと今日は何か始めると思っていたんだ。」と言う。何のことかと思うと貴泰が言うには私が珍しく昼寝などをした後は必ず掃除かなにか大きな事を始めるらしい。
それが11年と11ヶ月ほど私と一緒にいて彼が学んだことだそうだ。そういえば何か嫌なことがあると起きていると誰かにあたってしまうので布団に逃げることが多い。寝て起きて、ちょっと考えて「まあ、しょうがないか。寝ててもどうにもならないし。」と思って、体を動かしてその場を凌ぐのがパターンだったかもしれない。わたしも自分の親のことは結構冷静に見てたけど貴泰にここまで読まれてたとは。
そうして器用にその場を外す耕介とは違っていわれのないことで怒られることも多かったんだろうね。


12/25 張り合い
23日から豆腐屋さんにバイトに行き始めた。豆腐を作り終わった桶を洗ったり箱を洗ったり、ざるを洗ったり、機械を洗ったりしている。「豆腐屋さんは水を使うから寒いよ」と言われていたが、実に寒いところと、眼鏡が曇って仕事が出来ないくらい湯気が立ち上ることろがある。仕事があるのは張り合いがいい。
張り合いと言えば先週から貴泰が「ハリーポッター」を読み始めて、日曜にはお父さんと映画を見てきた。映画については原作ではこういうセリフがあったのにとか、クイディッチの試合が一回しかなかったとか不満を漏らしていたが、自分では白く想像していたハグリットの髭が黒だったり女性だと思いこんでいたダンブルドアが男の人だったり驚きもいろいろあったらしい。もう賢者の石は読み終えて秘密の部屋に入っているが私も貴泰と話が出きるように忘れたところを読み返したりしてまたはまっている。自分は本が好きだけれど自分のこどもとこんな風に一冊の本について話が出きるとは思ってみなかった。メチャメチャ嬉しい。この間不用意に声をかけたら「今本の中に入り込んでいたのに」と言われてしまった。
良質のファンタジーをこの時代のこどもたちに提供してくれた作者にお礼を言いたい気持だ。



12/20 暮れの風景
120号線を通って思うのは利根村には雪がないということ 。このまま沼田まで乾いた道が続いているのかと思う。振り返って片品を見れば雪雲にかすんだ風景。利根村のプールに一月からの教室を頼みに言った帰り須賀川のクリーンセンターの煙突の脇辺りでやけにいい匂いがする。誰かマキを燃しているようななんともいい匂い。クリーンセンターかなと思いながら鎌田に入ってて解った。二台前に石焼き芋やさん。住宅がないところで音を消していたらしい。お芋の香りと言うよりマキの匂いがとっても良かった。
晴れる日を待っていてもこのまま無いかもしれないので今日やっと障子を貼った。



12/17 戦いと舞い
剣道をやっている長男が一級に受かったら木刀を買ってくれというので何でそんなもの欲しがるのか不思議だった。竹刀があれば充分じゃあないかと。ところが初級の試験には「形」というのがあってこれに木刀を使うらしい。それで一級を受けるには必要ないが形の講習会というのがあるので行ってみた。初段では三つのパターンがあってこれを覚えていかに形通りにできるかを見るものらしい。打ち込む方と受ける側と6通りの動きを覚えるわけだ。ゆっくりとした決まったとおり動くところはさながら舞いを見ているようだ。「闇の守人」という本にもたしか強い戦士は剣の舞いが特に上手いということがでてきたのを思い出した。
 そういえばキムタクが暮れの時代劇で堀部安兵衛をやるが「美しくない、泥臭い戦いを演じたい」と言っていた。


12/14 JAからお支払いを受けて
昨日の話の続きになりますが、帰りに頼んでおいた主人の薬を取りに寄ろうと思い、財布の中味が寂しいことからJAのATMに寄ることにしました。17号を岩本で曲がって久呂保の農協へ行き、ATMへ。前から疑問に思っていたのですが片品のJAのATMには普通群銀などで「お引きだし」とある所が「お支払い」になっているんです。最初は何処を押したらいいんだろうと迷いました。自分の口座から引き出すわけで支払ってもらうわけではないのに。これは片品だけなのかなと思いましたがさにあらず久呂保もやっぱり「お支払い」でした。
農協の利用者は誰も疑問に思わないのか、いったん預けたものは農協のものになるという考え方なのか。はたして群馬県以外のJAではどうなっているのか機会があったら調べたいと思っています。



12/13 それが楽しいから
 な、なんと先週に続いてまた今日も前橋高崎方面に行ってしまった。今回の目的地は前橋のスズランスポーツ館8階の吉沢恵介作陶展(12/18まで時間のある方はどうぞ)と高崎駅東口のタワー美術館の二カ所。主人の薬をもらうように病院に寄ってから一路前橋へ。途中ユニクロに寄ろうと思ったらなんと休業日それとも時間が早かったのかやってなかった。スズランは駐車場に迷ったり本館から行こうとしたりしてじかんがかかってしまったが無事に誰もいない会場に着いた。と思ったら本人が花卉に水を足している途中。沼田市内に窯を持つ吉沢氏とは古い友達。沼田や月夜野での作品展にはたびたび行ったが前橋には案内をもらいながら行くのは始めて。今日は私がお客さんなので今年の農業の様子やらこどもの事やら聞いてもらいながらゆっくり作品を見た。あまり大きいものはなくいつも氏が「使うものを作る」と口にしているとおり身近において使いたい物ばかりだった。
そこを辞して高崎へ。今日は平日ですいているし雨も上がりもようなので17号バイパスを行くことにする。舗装もよくなり、道幅も広がり高速道路ばかり使っている間に随分国道も良くなっている。東口の駐車場に車を入れて、駅ビルでお昼を食べて戻り、東口正面のタワー美術館へ。1、2階に会社が入り3、4階が美術館になっていてなかなか落ち着いた建物だ。静かでエレベーターもリッチな感じ。作品は二枚ほどの屏風絵をのぞいて小品がほとんどだった。入館者も全部で5人ほど。私以外はまだ存命中の画家と同年代の方々。
平山郁夫の黄土色と東山魁夷の青が遠くから見てそうとわかり懐かしかった。ご存知無いかもしれませんが林檎亭の贅沢はトイレに東山魁夷のカレンダーを掛けているところです。それも新潮社が最近北欧を描いたものばかり取り上げるので日経新聞でだしているのを掛けています。ともかく、今日はゆっくり座って上村敦之氏の鶫の絵と向き合いました。雪の中で二匹が戯れる穏やかな絵です。ほかに横山大観の作品で主題を絵の外におくという描き方が説明してあって興味をひかれました。最も私は描きませんが。
前橋で吉沢さんと話しているときに自然を相手の農業は大変だといいながら、「こんなことも好きだからやってられるけど楽しくなくちゃあやってられない」と言われました。昔から迷わずに一つのことだけをやっている人です。動機って大事だよなと思いました。



12/9  高崎は近い
いつもは主人が配達に行く高崎のお得意さんの所へリンゴを配達しながら、沼田で見られなかった「冬物語」の公演を見に行ってきた。初めは群馬町のおばさんの所へお歳暮を届けて。昔はいつも渋川高崎線を使っていて、高速道路が出来てからあまり通らなくなったので昔を思い出しながら通ってみた。実は高速道路で高崎まで行くと道が自信がないから。店は増えたけれど道は広くなっていなくて、昔楽しみにしていた神社の桜もまだ切られてなかった。並行して走る道や交差している道がいろいろ変わっているのにここだけは元のまま。
群馬町の用事を終えて前橋の市民文化会館にさてどこから行こうかと、17号バイパスに行くには右折しなくてはならないからとりあえず左折して出ようとしたがどうもこのままいってみようかとぐんぐん進むと前橋市内にはいって17号に行き当たり、これがいつも主人が通るところだったと納得。直進は伊勢崎方面とあるので方向は違ってないなと直進していったところむこうにイトーヨーカドーのマークがみえた。これでは市民文化会館の前に出たも同じこと。ラッキーとばかりに芝居の始まる30分前についてしまった。
さて芝居が終わり、寒くなって薄暗くなってきたけれどこれから行ったことのない配達に行かなくてはならない。先ほど空いた時間に買ってきた高崎の地図を助手席に広げ本来なら高崎駅の東口、競馬場の所から行くはずだが同じ方向に3車線並んでいるところを走るのが嫌いなのでもっと手前で川に近いみちをえらぶことに。新しい地図は曲がり角ごとにモスバーガーやら、エッソやらとかいてあるのでそれを頼りに行った。一度も通った事のない道だったが予定通り五時にお客さんの家につくことが出来た。
帰りはもう一度来た道を戻り17号にでてゆっくり帰ってきた。薄暗がりで何度も地図を見たせいかすっかり頭が痛くなってしまったが、前橋、高崎、伊勢崎などが何となく頭の中で並べられたような気がした。いつも高速道路を使っていると実際それがどうつながっているかわからなかったので。いつも助手席で楽ばっかりしてないでたまには運転もしてみるものだと思った一日でした。



12/5 指輪物語
今年の冬は、あんまり本にお金をかけられないしと思って何か読む物はないかなと本棚を探してしていてみつけました。6冊続きでしかもまだほとんど読んだことがないそれもファンタジー。コンビニでも「ハリーポッター」を売っている今日、指輪物語も来年には映画が公開されると言うことだし、この辺で通して読んでみるかと手を着けました。最初の一冊でだいたいつまらなくなって読まなくなってしまったはずなのに今回は面白くて面白くて毎晩布団の中で楽しいひとときを過ごしています。「ハリー・ポッター」は読み始めると終わるまで何も手に着かないと言う感じですがこちらは「また明日ね」と枕元においておける安心感があり今の私には最適。すでに二つの塔の上巻が読み終わりそうです。結末は覚えているのですが間は何も覚えていないので新鮮で楽しんでいます。
追記 仕事の方はお陰様でお豆腐やさんが忙しくなったら手伝うことになりました。



12/4 不採用
当てにしていた冬の仕事が経営者が変わったらしく何の連絡もないままボツになり、仕事を探しに行く。沼田公共職業安定所と言うところにおよそ15年ぶりにいった。ファイルにはいろいろな仕事があり選り好みしなければ働けるかなという印象。出きれば長く働く人をさがしているところが多いらしいがこちらは来年の春までと決まっている。そこに3/31迄という求人があったので面接にいってみた。時間が9時から5時とあったのでこれは良いと思ったのだが実際は9時から2時の4時間。「こういうご時世だから多くの人に仕事の機会を」ということだがどうやら本音は長い時間働くと保険に加入しろとか何か行政の指導があると言うことらしい。パソコンを使う仕事は興味があったしもし仕事を覚えて家で出きるようになればと思ったがこれから雪の降る季節に毎日沼田に通う事には不安があった。使う方も給料の他に交通費や駐車料など余分にかかるのは条件が悪かったのだろう。日をおかずに不採用の通知が来た。正直ホッとした。2800円手にするために往復2時間ではロスが大きすぎる。ではまた次の仕事を探しに行こう。



11/18  モチベーション
 朝、起きるのが辛くなってきた。週日はそれでも子供が学校に行くからそれに間に合わせなければと思うが土日はついゆっくりしたくなってしまう。本当は忙しいのに。イマイチなにかしたーいという押しがないのが問題だ。今までのところ主な動機が「負けたくない」だった。隣の誰かに負けたくない、姉に負けたくない。などなど。それもいいけど。
  それが、先日、中学校の三者面談に行って、長男の将来の夢というのが妙に現実味を帯びてきた。これを実現するには高校、大学と選んで進んでいかなくてはならない。私には今のところ現実的な夢というのはないがこの子の夢の実現のために手助けするかなとちょっと思った。まあ食事に気をつけるとかといった間接的な関わりだけど。世の母親達がこうしてこどもにのめり込みやがて子離れできなくなってしまうんだとしたら怖いけど。しばらくは自分の夢よりこの子の将来を優先しても良いかなと。まあ具体的には今より一層働くってことになるかも。



11/12 冬の始まり

 昨日で片品林檎亭の営業が終わりました。これからは秋の片づけが始まります。りんご園、トマトのハウス、花豆の畑、そのほかのいろいろな畑、雪も近くまで来ているので気持も急きます。忙しい間ほおっておいた家の中も片づけたいし。そんなわけで昨日は営業中だというのに貴泰に店番を頼んで畑の奥の方の反射シートを巻きました。午後は耕介が手伝ったのでみるみるうちに片づきました。耕介が歩き出さない頃、背中におぶって巻いたこともありましたが、それがこんなに役に立つようになるなんて。ちょっとビックリしました。



10/22 折り返し
昨日、例年通りのぜん馬師匠、さこみちよさん達ご一行様のバーベキューがおわりリンゴ狩りのシーズンも折り返しまで来たかなと言う感じです。今年はジュースを搾るのが大変で耕介は3時間たちっぱなし。2リットル41本の注文に32本しか応えられなかったけど、まあよく働いたかな。白菜を穫ってくるそばから10個ずつ買って行かれて参ったけど。いつも来てくれるたくさんのお客さん達に今年も会えてよかった。



8/10  放心
 7/19に雹が降った。私はこの日を忘れない。トマトのハウスで仕事をしていたらにわかに暗くなってきた。あ、また夕立が来るなと外に出しておいた苗をしまって万全と思って仕事を続けていた。雷はすぐ真上で鳴っていた。稲光が何度も走った。そして雹が降った。トマトのハウスのパイプにバチバチとあたった。トマトの柵の間まで吹き込んできて積もった。あっという間だった。その十分間でりんごはぼろぼろになった。花豆は花が一つもなくなり蔓はあらゆる所で切れていた。集荷していた白菜は出せなくなった。
そして二十日が過ぎた。いろいろなものがぐんぐんと復活してきた。あのパタリとたおれていたとうもろこしが起きあがり、花豆も新しい蔓をのばしている。でもりんごのキズはひどくなるばかりだ。
18日に買いにいった「ハリーポッター」を読むのさえ忘れていた。今でも読んでいるとふっと忘れていて本を閉じると「あ。やっぱり雹が降ったんだ。」と思い出す。作業をしていて顔を上げると色づいてきたさんさが見える。いつもならこれはすごい楽しみなのに今年は悲しい。
昨日、とうもろこしの作業をしていて、昔読んだ「家なき子」の中で、花を作っている人がやはり雹で温室を壊され昔だから保険なんてなくて借金を返せなくなり牢屋に入るところがあったのを思い出した。呆然と立ちつくす挿し絵を「写せ」と言われれば写せるほど克明に思い出した。
そんな中、とうもろこしの発送が始まり、一年で一番忙しい季節が始まっていく。



7/16 とうとう夏がやってきた。
片品では先週の金曜、土曜と夕立に見舞われました。それまでは元気の無かった畑の草も一気に勢いづいてぐんと伸びました。とうもろこしも大きくなり、芽かきや房かきをまっています。トマトが突然赤くなり烏に取られては大変と網を張りました。少しだけ作っている白菜の箱も組み立てなくてはならない。あちらの畑もこちらの畑も気になりだして、気の早いお客様からは注文が舞い込んでくる。便りの発送作業にこどもを動員して林檎亭の夏が始まりました。



7/11  既視感
 昨日の朝、種まきを終えて店に行ってみると店の前に米袋に入った糠が山になっておろしてあった。その様子を見て「あ、これ前に見たことがある。」と思った。私はこどもの頃から既視感があってときどき「この場面前に見たことがある。」と思い、そのすぐ後に誰が喋るか、自分がどう動くかが見えたりした。今度もそれだなと思い、だいたい誰が米糠をおろしたんだろう、うちでは頼んではいないのにと主人と話していた。またその袋から小さい虫が出てきていて、もくもくもくもくうちの前を占領しつつあった。屋根に登っていくもの、私が途中にしてあったコンテナ栽培の土の中に入っていくもの、「こりゃあひどい。」と思わず口に出た。
 午後になって主人がいうに「前にも確かAさんちに来るはずの米糠をうちに下ろしたことがあるからこんどもそうじゃないか。電話して聞いて見ろ。」え、前にもこんな事本当にあったんだっけ。じゃああれは記憶にあったことで既視感ではなかったのね。ととりあえず電話をすると「多分そうかも知れない。確認してみる。」と言う返事。そして夕方、店の前に私がいるとAさんのトラックがとまったので「やった。この虫だらけの米糠を持っていってくれるんだ、ラッキー。早く持ってッテくれ」と思っていたら「うちのだった。後で取りに来るので置かせてくれ。」と言う。私は気が小さいので「虫」の事は言えなかった。でも私がきっとその時やーな顔をしたのだろう。こどもを迎えにその後店の前を通ったとき荷物は消えていた。(でも出てしまった虫はうちの回りにいる。)



7/3  本屋に行こう
 日曜日に沼田に行って山田屋がしまっていて驚いたが棚卸しと書いてあってホッとした。本屋に行ったのはいつもの「再現日本史」を買うため。出かけに耕介に何かかってきて欲しいものがあるか聴いたら阿部清明の本が欲しいという。文庫ででているというのでネットで調べたらコバルトと朝日ソノラマにあるらしい。ところがいつもいくBOOKエースおみには無かった。それで何でもそのようなやつを探してもらったら「陰陽師」というのを勧めてくれた。夢枕莫の作品でNHKでドラマになったものの原作だった。それを買って帰ったら欲しかったのとは違うがなかなか面白いということでよかった。人の本を探してくるほど気を使うものはない。ドラマで主人公を演じた稲垣五郎を店長が志垣太郎と言ったのが妙に嬉しかった。
前に小堺一機のラジオで「チャーリーブラウン、なぜなんだい」(岩崎書店)という本について話していて欲しいと思ったけど忘れていた。今日メモがでてきておみさんに電話して注文したら在庫があるという。「それはいつも常駐にしている本だから」と言う。確かに児童書に力を入れていると思っていたがそういうこだわりを持っていたとは。一本取られた感じ。コナンの発売日まで沼田には行けない予定だがまた一つ楽しみが増えた。
そういえば独身時代の休日と言えば沼田の数えられるような本屋をはしごして読みたい本を探し回っていた。煥呼堂に行くために仕事場を五時にでたり、夜中までやっている本屋に行くために10時頃車を転がしたり。こと本屋に関してはこどもたちに比べても充分恵まれた環境だった。読みたい本が立ち並ぶ本棚の前ではなにかこみあげるものを感じたものだった。



6/28 早起きが出来ない。5時に起きて何か一仕事しようといつも思っているのだが起きられない。6時過ぎになってようやくごそごそする始末。なぜ早起きが出来ないか考えると思いつくのは動機の薄弱さ。今日は出かけるからこれだけはしておかなくては、とか思うときは起きられるのだから。 
私などはこどもの頃から「怒られるからこれをしよう」と思っていろいろやってきた。特に母親に怒られることが多かったので「怒られるかどうか」がやるかどうかの基準だった。無駄な電気を消すのも怒られるから。節約のためではない。節約を言うのならもっと効率のいい節約の方法がごろごろしているのにやらない。
今でもなぜ百姓をやるのかの動機がもう一つ弱い。嫁いだ人がたまたま農家だったから。他に経済的な手段がないから。ということのほうがりんごやトマトが好きだからと言うよりは正直なところだ。安全で美味しい農作物をみんなに届けたいというようなスローガンは間違っても言えない。それは結果としてそうなっているだけだと思う。
今までを振り返ると早起きしていたのは誰かに負けたくないという動機が一番多かった。近くの農家の人、大根やでバイトをしている友人、姑など。しかし自分が図々しくなってきてなるべく怠けようと思ってしまう。早起きをするにはもっとトマトやとうもろこしに強く呼ばれなけならない。おちおち寝ていられないほどその呼び声が大きくなればまた起きられるだろう。5月のトマトのハウスを開け閉めしていた頃のように。



6/22  さこみちよコンサートにいくために東京に日帰りをしたのは火曜日のことです。午前中は仕事。昼食を食べながら出かけるときの恒例夕飯のカレーを作り、身支度をして出かけたのが1時15分、2時20分の新幹線はもう間に合わないと思ったので落ちついて貴泰に頼まれたゲームソフトをまず沼田の文真堂で購入。市内を通り抜けるのに思ったより時間がかかり、新幹線の駅につくと2時50分。そこで前から行きたいと思っていた矢瀬遺跡に行く。遺跡を見学して直売所により農産物をチェック。「道の駅」をうたうにはトイレが狭くて少ない。また遅れては大変なので駅に急ぐ。
毎度のことで自動券売機に戸惑いながら購入。さて今日の目的は1・さこみちよコンサートに行くこと、2・ずっと前から私の鞄に入ったままになっている伊勢丹の商品券を使うこと。3・もっと前から私の財布に入ったまま使えずにあるオレンジカードを使うこと。この三点が目標。コンサートのある池袋に行くため、新幹線を大宮で降りて埼京線でそのまま終点の新宿まで。ここで伊勢丹に。この車中でどうも中学生らしいあどけない顔をした一人の子が他の三人ほどをあしらっているのに出会う。まあこんなものか都会の中学生はと思ってあまり見ないようにしていた。そういえば車内暴力が問題になっているときでもありくわばらくわばら。
伊勢丹では店員が多いのに驚く。ここで貴泰に頼まれていたカバンの手頃なのを見つけて購入。とうとう商品券を使った。耕介の靴も見るがサイズが合わない。時間がないので池袋に移動。この時オレンジカードで乗車券を買い無事に2つの目標を達成。ただオレンジカードが長い時間のブランクを越えて機械に入って行くかどうかに気を取られて池袋までの料金を確認しないままだったので一番安い券を買い池袋で精算する事に。改札に行きながらみたら料金はあっていたので安心。券売機で後ろに人が並ぶと慌てる。
池袋では主人に聞いたとおり西口にあるとおぶデパートをめざす。耕介に頼まれた本を買うため。デパートはすぐあったが書籍売場は遠い遠い。本はなんとか買い、芸術劇場をめざす。とりあえず方向が一緒だったので良かった。信じられないほどの明るい照明の中へでて左が芸術劇場だった。
無事コンサートも終わり、(感想は芸能鑑賞日誌に)少しでも早く帰るため、地下鉄丸の内線で東京駅へ。ところが地下へは降りたものの丸の内線の乗り場が見つからない。降りたときは案内があったのだからと見回すがちっとも無い。そこで思い切って振り返った。180度振り返るとなんとそこが乗り場だった。券売機も右に並んでいる。そこで9時発の地下鉄で東京駅へ。9時40分の新幹線で群馬へ。11時に上毛高原駅を出発。日付が変わったとき片品に到着。東京も近いモンだ。



6/9 管理人から下の記述について異議が出たので確認のために申し添えますと、片品では普通トマト農家というものはトマトを6000本とか一万本とか植えるので650本なんてままごとみたいなものです。あしからず。
 でも今年は忙しくて思うようにトマトを広げてやらなかったので苗があちらこちらに曲がって、植えるのにも運ぶのにも全く気を使いました。その上勢いばかり良くて、もうわき芽につぼみが付いているという状態。蛇行しているマルチに惑わされないように植える間隔に印を付けた糸を引いて散水テープにぶつからないように一本一本植えるのは時間がかかりました。だから終わったときはホッとしたように感じたものです。といっても早速昨日は白菜植。今日はとうもろこし蒔き。4.5年前は一さく行って来るのに一度も立ち上がらなかったのにこの頃は年中腰を伸ばさないとやっていられない。近所で見かけるおばあさん達のように腰の曲がった星野典子ができあがるのも時間の問題です。



6/8 トマトの定植が終わった。650本を一人で植えた。植えている途中で休みに入った林檎亭で本棚から誰が出したのか「虔十公園林」の本が出ていた。開いて読んでいたらなぜか涙が出てしまった。このページのタイトルを貰っている本なのにずいぶん読んでいなかった。それどころか最近はだいたい本そのものから遠ざかっている。新聞も読まない。芝居を見る機会があっても自分から辞退してしまう。
こういうことではいけないと特に反省。19日のさこみちよさんのリサイタルに行くまでに真っ黒になった両手をきれいに戻さなければ。
虔十公園林の凄いところは言葉に無駄がないところだと思うだから情景が真っ直ぐ心に届く。



5/8 芸能鑑賞日誌に書いた椎坂峠の掃除をしたのが片品村のスキー場の人達だということを教えて貰った。春になると道ばかりでなくスキー場ではゲレンデのあちこちを掃除して回るという話だ。特にリフトの下の吸い殻を拾うのが大変だといっていた。ウッドデッキになっているところなどもゴミでいっぱいだ。こういうことと、教科書に歴史を正しく書かないということが妙につながっているように感じる。この村にも戦争に行った経験のある人が一人一人と少なくなっていく。こちらでは全く語り継がれない。しかし韓国や中国ではこどもたちにきちんと教えている。何も知らなくて育った日本人とことさらにとも言えるほど教えられた韓国人、同世代なのになんとギャップのあることか・・・。



4/14  昨日は菅沼の生活改善グループ4人で尾瀬花咲工房に焼き物を作りに行ってきた。うちはH.P.で紹介しているくらいだが実際に行って土をこねるのは初めて。もっとも私は生来の慌て者なのでみんなが丁寧に丁寧に作っている間も奥さんと話したりしていて作品の出来上がりはあまり期待できない。ただ道からほんの少し入っただけなのにあまり静かなので驚いてしまった。4月下旬からの作陶展には林の中に作品を並べるそうだがその林が何とも言えなく素敵だ。土がふわふわしている。都会の人でいつも舗装されたところしか歩いていない人は驚くらしい。そこに川が流れていてカタクリが咲いていて半日くらい日溜まりに座って流れを見ていたいと思った。
お客さんの中にはお弁当を持ってくる人、そこでバーベキューをする人もいるらしい。なんかのんびりしていていい。帰りにすぐそばの座禅草の群生地にも行って来たが人の手がほとんどはいっていなくてこのままにしておきたいと思う林だった。皆さんも是非お出かけ下さい。詳://www.kannet..jp/ringotei/sub9.htm



3/31  昨日と今日は冬に逆戻りしたような天気になっている。今朝の地震は驚いた。ドーンという地鳴りを聞きました。
29日に近くの人と一緒に前橋に行って来た。いろいろ目的はあったけど一つは以前から行きたいと思っていた、朔詩舎という店でお昼を食べること。リーズナブルなお値段でなかなか味わえました。付け合わせが桜の形に切った人参と土筆だったのが驚き。デザートも豪華でした。その人のリクエストで道に迷いながらたどり着いたのが「ブックマンズアカデミー」という本屋。問屋町の中にあって売場も落ち着いていてなかなか本も揃っていました。桜は一分咲きと言うところでしたが、久しぶりの高速道路もなんとか走れていい休暇でした。いよいよ明日は4月。そろそろ種を播かなくては。



3/18  スチュワート・ウッズの「警察署長」を読んだ。ジョージア州のデラノという町が出来たときから1960年代くらいまでの歴史だ。ものすごく面白かったし今まで断片的だった南部の様子がつながった気がした。映画の「南部の詩」や「プレイス・イン・ザ・ハート」の情景が浮かんだ。人種差別、戦争、さらにどういう家庭がどういう人間を作るかと言うことまでいろいろでてきて盛りだくさん。初代署長が撃ち殺される所はショックだった。白人が気に入らないことがあって雇い人を突然沼地に連れていき蚊に刺されるようにしてマラリアに感染させたり、腹いせに何の罪もない黒人を逮捕して留置場で暴行し、撃ち殺してしまっても、起訴されない事。三人目の黒人の署長に繰り返される嫌がらせ。人種差別とはこういうことかと思う。一番面白かったのはなんといってもK.K.K.の襲撃を知らされた主人公の妻が留守の夫には内緒で散弾銃を買い夜中にやってきたお客さんを追っ払うところ。それと1919年という時にすでにコカコーラ・ボトラーズの株を親が遺したので暮らしに困らない人がいるというのが驚きだった。
冬のバイトもあと3日。朝の段取りを済ませてお客さんを待ちながら文庫本を開くのももう終わり。群馬の農の先駆け、船津伝次兵衛は
冬の間は書に親しんでも春から晩秋までは一切書物を開かなかったそうだ。どうか、ハリーポッターの三巻が忙しくなる前に売り出されて欲しい。



3/10  気持ちの何処かでパソコンをいじりたくないと思っていた。それは2年前、当時700件ほどの顧客名簿を作っていて、そのファイルが突然開けなくなったことが原因だった。名簿は一太郎の拡張機能の一つの住所録というのを使って市販の手引き書を見ながら作っていた。その頃、パソコン歴2ヶ月半「ファイル」という考え方が全然なくて、ある日突然入力し終えた700件の住所録が消えてしまった。いろいろな人に聞いた。初めての人にも聞いた。沼田の本屋に行って役立ちそうな本を漁った。そうして突然にファイルは開いた。
しかし、私の目には「開けない形式のファイルです。」という警告がチラチラしている。いつまたそうなるか、どんな事態がやってくるかこの得体の知れないメチャメチャ働き者の箱は私を脅かし続けている。
実はファイルは開く手順があってそのとおりにすればいつでも開けたのだ。ふつうのファイルー開くでは開かないけれど。もう解決してからジャストシステムのテレホンセンターで聞いてみると「はい手順に従わないと開けないように出来てます。」という親切な答えだった。
しかし、私のトラウマはなくならないままだった。そしていつも便りの宛名ラベルを作るときはドキドキしながら緊張してやっていた。
今年、顧客名簿は二年前の倍をはるかに越えている。便りの発送に向けて入力作業はほぼ終わった。今年は住所録を良く検討して削れるところを削り、インターネットで送る人を分けることになった。膨大な通信費を節約するためだ。それには住所録一覧を印刷しなくてはならない。前々から気になっていた融通の利かない一太郎のファイルをロータスに移すというのに挑戦した。一昨年、普及所の三石さんが手品のようにやって見せたのでできることはわかっていた。どうやるかはよくわからない。しかし、ファイルの保存形式を変えてロータス画面で開いてみたらあらあら、出来てしまった。こんなに簡単に。思わずパソコンを「お前は賢い。」と誉めた。
今まで住所録という名前であちこちに出来ているファイルを一掃して、フロッピーにバックアップをとったら、このトラウマを乗り越えられるかもしれない。



2/26  私が働いているところのメニューに豚まんというのがある。コンビニにあるのより大きく、中華街で売っているのより小振りな中華マンは300円だ。よく売れる。今日、7,8人の中年のグループが帰りに車の中ででも食べようというのかまとまって買いにきた。まとまってはいるが買うのは一人一人だ。私の方ではそれはかまわない。一人一人に饅頭を出して会計をしていく。中には焼きそばやチキンのスティックを買っていく人もいる。ところが中の一人が「お持ち帰りなのよね。」とおっしゃった。袋をくれというわけだ。ちなみに豚まんは正方形の紙を二つ張り付けた物に挟んで出すのでカバンがあれば入れていくことは出きる。私は二つ以上買った人には袋を出した。すると「私だって買ったんだから」とばかりに袋をくれという。たかが袋と思うが日本ではビニールなんて言葉があるがこれはプラスチックなんだ。ダイオキシンは出なくても有害には違いない。だいたい自分で持っていくくせに「お持ち帰り」とは。すでにお持ち帰りという名詞があって「お」は丁寧の「お」ではなくなってしまったのだろうか。私がおかしくて笑いそうになると「何がおかしいのよ」と言いたげにする。結局おばさんパワーには勝てずにみんなに袋を出したが同じ車に乗ってみんなで豚まんを出したとき「まとめて入れても良かったわね」と気づく人がいてくれればよいのだが。



2/21  一昨日は久しぶりに自分だけの休みになった。渋川へいって、その帰りに何処か温泉によりたいと思い、以前から行きたいと思っていた高山のふれあいプラザに寄った。こういう丘という地形が片品にいるとちょっと不思議に感じる。低いのに頂上。露天風呂からの眺めはなかなかいいが、造りに懲りすぎて広さをいかしきれてないような。元々あんまり広くないのかも。1000円で15分間のマッサージにかかれると書いてあった。そこの玄関に近くにあるらしいレストランのチラシが貼ってあったが普通私は「ここに行くにはどう行ったらいいのですか」とか知らない人には聞けない性格なので、道から見えたら行くことに。残念ながらそれらしいものは見えず、沼田に到着。
さて久しぶりにランチをおごっちゃおうと、鷺石橋からバイパスを月夜野へ。何年ぶりかで「あすか」に行った。ここの壺焼きを初めて食べたときはびっくり。もう開店から17,8年経っていると思うがかわらず同じメニューを提供している。沼田あたりでは開店、閉店、新装開店、また閉店の繰り返しが多い。やっぱり一度こうと始めたら貫く事も大事です。営業時間や定休日がフラフラしていたら行く気になれませんもの。デザートに注文した、カボチャのプリンに皮が付いていてびっくり。丸ごとプリンになっていて、おいしかった。これでテンションが上がったのか図書館に行ったあとサティに行って、あんまり「在庫一掃」の旗があがっているので、レジのお姉さんに「サティなくならないよね」って聞いちゃいました。すると「はい、なくなりません。改装するのでさらにお得な在庫一掃セールをしますのでお出かけ下さい。」と言われちゃいました。うーん、私としてはこれは躁状態になっている。さらに、帰りに去年の12月分の支払いをしていないヤマト運輸によって支払いまでしてきてしまった。これはおかしい。反動で寝込まなければよいが・・・。



2/16  検死官シリーズの最新刊「審理」上下を読み終わった。初めのところがケイのイライラしている様子がでていて読んでいてこちらに移ってきたようで進まなかった。中程はアナやバーガーにいろいろ聞かれて説明するのがセラピーなのか事情聴取なのかセリフばかりがぐだぐだと続いて読みにくかった。そこに連続殺人が始まったら面白くなってきた。しかし読み終わってみると全体を通してベントンの知られざる一面、ルーシーの新しい仕事などいろいろ新しい展開もあって充実した作品と言える。特にナチの進攻を受けたオーストリアの家族がどう受け入れたか、彼らが実はユダヤ人であったことからは真実とは何か、守るとはどうすることかという命題を突きつけられた感じだ。また次作に引き継がれる、マリーノの息子や、たぶん出てくるジャン・タリーとの対決が待たれる。こんどは白熱の法廷シーンがあるに違いない。そこではダイアン・ブレイの悪行の数々も暴かれるに違いない。うーん、楽しみ。私の予想ではケイを襲ったときにドアを開けさせたのはおそらくタリーだと思う。そこの所をハッキリさせて欲しい。
この作品の中で殺された少年の母親がモルグで最後に子どもの姿に別れを告げるところがあるがスタッフやケイの対応が親切で感動する。アメリカではこうなんだろうか。地下鉄サリン事件の被害者の母親が新聞で、娘さんの遺体が衣服をつけずにかえされたことをたいへん悔しがっていたが、遺体に対する尊厳の気持ち、残された家族を支える社会の仕組みが日本にはない。中坊公平の本を読んでいてもそれを思った。被害者なのに社会からもまた攻撃される。



2/14 白金も黄金も玉も何千に勝れる宝子にしかめやも 渋滞で帰れないと思って8時半まで仕事をしていた11日、夕方電話で「渋滞してるし時間かかるから」と曖昧に言ってしまったため子どもに心配させてしまった。車でどうかしたのか、誰かに連れ去られたのかと心配してくれたらしい。「今度はまだ仕事してるからとハッキリ言うように」とおこられた。心配なんて私がするだけで心配されるとは思ってもみなかった。いつの間にこんなに大きくなっていたの。
スキー場の休憩所には家族づれが入ってくる。まだ一人ではリフトに乗れないような子どももやってきて親にソフトクリームなどをねだる。すぐに買ってやる親もいれば、黙ってその場を離れ子どもが泣きながら追っていくのもある。兄弟がうるさく親につきまとってやがて喧嘩を始める。親は「うるさい。喧嘩しちゃダメ」というばかりだ。店のバイトの若い子が話しかけると買ったものもそっちのけで話し込む。誰かに向き合って欲しいと思っているようだ。私も覚えがあるけれど子どもがあのくらいの時には親は夢中で子どもとなかなむきあえないもの。そのうちにこどものほうでこちらを向かなくなってしまうのに。



2/7  昨日は春のように暖かかったので40日ぶりくらいで林檎亭に行った。ジョーロといくつかの道具を取りに行ったのだが今現在道からみると林檎亭は1メートルほどの雪に埋もれているように見える。雪が解けたりまた凍ったりして固くしまってくる春先はその雪の上を渡れるようになる。かんじきとかあれば一番だが、長靴でも大丈夫。朝なら私の重さもしっかり支えてくれる。貴泰は屋根から落ちた雪に登って屋根に手が届いていた。林檎亭のなかでは暮れに植え替えたパンジーはダメになっていたが、ローズマリーの一番大きいのはしっかり青々としていた。家の玄関が広ければ全部持ってこられるのだけれど。でも今年はレモングラスの冬越しに初めて成功するかも。ここまでくれば、春はもうすぐ。




2/3 今日も片品は雪。週末にはいつも降っているのでスキー場のお客さんも今ひとつ伸びないような。ナイター営業も一応やってはいるが寒くてなかなか滑っている人は少ない。それでも100km以上も車を走らせて駐車料金、土日に高くなるリフト券代を払って来ているからには頑張って滑るようだ。無料休憩所では椅子に座ったまま眠っている人が多い。疲れているんだろう。だけど休みにはなにかしないといられない日本人の特性か。帰りの峠などで事故にならなければいいがと思うばかりだ。
だいぶ前になるが大学のセンター試験があったとき東京でも雪が降った。その時どこの天気予報でも受験生に余裕を持って家を出るようにと言っていた。交通機関などのアクシデントを懸念したのだろう。しかし大きなお世話ではないか。センター試験を受けたかったら自分でそのくらい考えたらいい。18年間で初めて雪が降るわけでもあるまいし。大事な試験なら試験場までのコースの下見くらいしているだろう。心配は過保護な母親がするくらいで全国をあげて世話をやかなくてもいいんじゃあないの。と、帰宅の車で談志師匠のカセットを聞きながら思った。




1/28 エド・マクベインの「87分署シリーズ」を一冊読んだ。軽くて良い。殺人の数が多いが。懐かしいキャラクターに出会えて嬉しかった。その後、「少年達の沈黙」というのを読んだ。新聞記者の妻と刑事の夫の話だがなかなか面白かった。面白い本というのは初めの二行くらいで解る。これは面白いな・・・と気づくとワクワクしてくる。ラストは残念だった。人質を取って立てこもった場合、出てきた犯人が銃を持っていると思わせるような仕草、懐に手を入れるなどすると咄嗟に警察の方は犯人に向かって銃弾を浴びせるが、この場合犯人の青年が持っていたのはトランプのカードだった。彼らはその15年前父親が殺された地下室ですでに死んでいたのだろうか。最後のシーンは映画のスペース・トラベラーズを思いだした。今日は日曜日で一応忙しいわけなので本は持っていかないかなと思いつつ、ミセス・ポリファックスを一冊持っていった。何回も何回も読んでいるのに引き込まれるのはなぜなんだろう。
ところで、子供と一緒に見ているアニメに「ONE・PIACE」というのがある。ワンピースというのがひとかけらという意味なのかどうか解らないが、そのなかで麦わら帽子をかぶった海賊王志望の人物が去年こう言いきった。
「俺はみんなに助けて貰わなければ生きていけない自信がある。」
というのだった。こどもたちも笑っていたがよく考えると実際一人で生きている人はいないわけで、みんなが何かしら人に助けて貰っているわけだがここまで開き直るというか、ハッキリ普通言わないだろう。でもこういうふうに言ってもいいのか。というような妙な嬉しい感じがあった。



1/24 トマス・H・クックの「闇をつかむ男」と「死の記憶」を続けて読んだ。そういえば去年「緋色の記憶」も読んだと思う。抑えた書き方で次第にことの全貌が明らかになっていく様子は見事だと思う。平凡な当たり前の生活のなかにひそむ罠。外からはわからないどんな家庭にも嘘や偽りや秘密がある。初めはいたいけな少女の誘拐事件だと思っていたものが実は地元有力者による売春婦の中絶に絡んだ殺人事件、さらに事件を調べていく本人の出生の秘密に及ぶ謎。明らかになった事実をみんなに知らしめることが果たして正しいことなのか。それまでは父親が兄姉と母親を殺害したと思っていたが、その兄には他に父親がいて母親は生涯、夫を愛することはなかった。そして本当はショットガンを打ったのは・・・。うーん、すごい。つい何回も読み直してしまう。
ただ、今度はもっと軽い娯楽的なものが読みたくなってきた。
  片品林檎亭便りを作るので去年の顧客名簿の整理をはじめているが一昨年の今頃のことを思い出す。一太郎で作った700人ほどの名簿のファイルが開けなくなって泣きそうになって当時パソコンをやっていた人にところかまわず聞き回ったこと。沼田の本屋さんを廻ってファイルと書いてある本を探し捲ったこと。名簿が出てきてからも宛名ラベルを作るのにまたいろいろ本を漁ったこと。
今年はパソコンのある人には印刷した物は送らないので名簿を分けなければならないが何かファイルをいじるのは怖い。というわけでなかなか進まない。



1/19 「毒素」ロビン・クックを読んだ。これはこれで怖い本だ。Oー157によって死んだ子どもの仇をとろうと心臓外科医の父親が変装して食肉処理業者の工場までもぐり込む。事実をゆがめて伝えるマスコミ、政治的圧力で動く官庁。毎年500人ものこどもたちがそれで死んでいながら動こうとしない政府。ハンバーガーを売るために良心を売り渡してしまった業者達。私たちが食べているものは本当に安全なんだろうか。昨日一日、下痢に悩まされたせいか妙に気持ちに残った一冊だった。今まで読んだこの人の作品の中でもごく身近なテーマでおもしろかった。
  ところで今日の朝、TBSの森本毅郎のスタンバイに群馬県の太田市の市長が電話で出演していた。成人式での新成人の振る舞いに一石を投じた市長さんだが新成人のことを彼らとか呼ばずに「こどもたち」と言っていた。子どもとしか思えないんでしょうが、それにしても。



1/18  「ハンニバル」を読み終えました。凄い。怖い。怖い本です。レクター博士にぼろぼろにされたメイスンが生き続けているのも怖い、イタリアで歴史的建造物から吊り下げられる男も怖い、豚に喰われてしまうカルロ達も怖い、最後の方でクラリスと一緒に食卓についた博士に生きながら頭蓋骨を開けられるクレンドラーがなんといっても怖い。わあああああ怖い。それにしてもクラリスはすっかり麻薬に漬かってしまったのでしょうか。目覚めていながらの選択なんでしょうか。FBIで頑張っても仕方ないと見切りをつけたのでしょうか。
博士の妹の死に方がそのあと何人も博士が命を奪うもとになっていたのか。とにかくもうこれからは犯罪を犯して追われる人間にはならないのでしょう。いやいや怖かった。どんな風に映像化されるのか知らないけど、見たくない。



1/16 私がバイトをしているところは無料休憩所の中なのでいろいろな人が出入りする。この間は大陸から来たと思われる背の高い蒼い目の青年がやってきた。彼はおもむろにソフトクリームの看板を持ち上げて「ひとつ」と言った。ヨーロッパ人ってこういうユーモアというかウイットがある。そして小銭入れの方がぱんぱんに膨れているのに千円札を出して300円のソフトクリームを買った。バニラというのがファニラというような発音だった。後ろに人がついていなければ小銭を出すように勧めたのだができなかった。



1/10 暮れの27日から今日まで休みがなかったので明日が初めての今年の休み。生活改善グループの会議に行って、病院へ主人の薬をもらいに言って、税務署へ行って、図書館へ行って、忙しくなりそう。
 忙しい間に本を読みました。中坊公平「私の事件簿」はいろいろ凄かった。豊田商事の事件では不可能を可能に変えたように思った。「ヒマラヤ杉に降る雪」のディビッド・グターソンの第二作「死よ光よ」は1900年代初頭のアメリカの農家のようすが出てきて興味深い。夏の間に林檎の箱をたくさん作っておくところ。家族が力を合わせて農場を切り盛りしていくところ。冬だけ学校があること。季節労働者が移動していくところなど。描写が実に巧みだ。もう一つJ.D.クリスティアンの「緋の女」というのを読んだ。こちらは南北戦争を終えたばかり1871年のニューヨークが舞台。こちらも目の前にありありと情景が浮かぶ。しかし何より驚いたのは悪徳警官が建てた別荘の中で戦うところが出てくるが、吹雪の中をたどり着いた主人公が地下室に行って竈を焚き付ける、いわゆるセントラルヒーティングがすでにある。これが私には驚きだった。
 さて、近所の読書仲間からP・コーンウェルの新刊を借りたし、映画「ハンニバル」の原作が買ってあるし。楽しみ楽しみ・・・・。



1/5 皆さんから「はじめてのおつかい」みたよとメールが届いて恥ずかしい思いです。あの時は9月13日から15日まで家の新宅のお葬式で店を閉めていました。ようやく店を開けた16日が撮影の日でした。なかなか一人では行きたがらないだろうから10時頃到着の予定と言っていたのに8時頃来てしまってエプロンも長靴も汚いまま、「そこまで来ました」というスタッフの声にでてみるともう見えていて、「なるべくいろいろ言わないように」と言うので黙っていると「お金はもらって下さい」とか。それで後から店の横でもらったのですがそこはカットされてました。かわいい子なら片品ではりんごもとうもろこしももらい放題というわけではけしてありません。ま作られているというのがよくわかりますよね。うちとしてはあの撮影からスタッフの人がとうもろこしのお客さんになってくれているのが嬉しいかぎり。それにしても他の作品がどういう季節だったのかあまり花が無くて、片品の自然がめだったように思いました。広島の閑静なお宮さんの石段の上でわき水を葉っぱで集めるのも良かったけど。



2001/1/1 言葉の林を訪ねて下さって拙い文章をお読みいただいている皆様、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。



12/24  18日から冬のバイトが始まりました。準備に通い、昨日から営業開始です。私としては夏の間さんざんと考え、失敗をしたり、怒られたり、悩んだり、走り回ったりしたので、冬は決められた仕事だけをしてあとはゆっくりしようと思っています。顧客名簿の整理や、片品林檎亭便りの準備もあるのでおいおいと始めなければなりませんが。バイトは年末年始がとりあえず休みが取れないので風邪を引いたり体調を崩さないように気をつけてやります。二年目でだいぶ度胸がついてきたので落ち着いてやれそうです。
 今日は世間ではクリスマス・イヴですが家にはサンタは来ません。こどもが小さいうちはサンタが来ても良いんじゃあないかと思いましたが、長男が二歳の時だったかおじさんが「サンタからだと言ってやってくれ」と預けてくれたロボットのおもちゃを枕元に置いて、こどもが見つけて持ってきたとき、おばあちゃんから「それは沼田のおじさんがくれたんだからちゃんとお礼を言うんだぞ、サンタなんていなもんは来ないんだからな」ときつくしつけられたのでそれ以来、耕介はすっかり冷めています。もともと日本の習慣ではないわけで。まあ、ケーキは一応食べましたけど。そのあと、バイトで一緒の人の子どもさんのために「FATHER・CHRISTMAS」のアニメを録画しながらみたのが私のクリスマス。もう何年も聖書は読んでいません。
 ところで、トップページからリンクでサエラスキー場を宣伝していますが他にも丸沼、武尊牧場、尾瀬戸倉、片品高原、尾瀬岩鞍の各スキー場がすでにオープンしています。私が働いている軽食屋は尾瀬岩鞍のゴンドラ乗り場の中にある無料休憩所の傍らにあります。岩鞍は今年もスキーヤー・オンリー。詳しくはhttp://www.oze-iwakura.co.jp.



12/11 今日は白沢村のアライトマトランドの奥さんと一緒にお昼を食べに行ってきた。長男の目医者を朝一番にすまして、中学校に送り届けてからもう一度白沢まで行くというなんだか無駄のように感じるがバイトが始まればゆっくり出かけられなくなるからと行ってきた。片品では何人か農業をしている人と話す機会もあるが他の村の人と話す機会はあまりない。生活改善グループなどで他の村と一緒になってもなかなか話は出来ない。新井さんは私が直売を始めて何年目かに看板に惹かれて寄ったことから行き来するようになった。ハーブも作っていて、トマトのことでは教わることがたくさんある。直売の方法、お客さんとの接し方などずいぶん教えてもらった。またパソコンを始めたので、その点でも交換しあう情報が多い。とっても前向きなお嫁さんで、お母さんです。



12/7  今日は先日行われた消費生活展の反省会ということで、前橋の授産施設「とも」をたずねた。生活改善グループ片品村連協から一名、これが私、食生活改善推進委員から二名、保健推進員から二名、エンジョイネットワークから3名が参加、役場は経済課、住民課、保健課から各一名、それに尾瀬クリーンセンターから二名と運転手という面々で、先に集めた雑古紙を運び説明を聞き、弁当とチーズケーキを頂き、帰りにはトイレットペーパーを積めるだけ買ってきた。「とも」についてはホームページを参照下さい。http://www.mmjp.or.jp/shinonome
私は授産施設というとお産をするところかしらぐらいの認識でいたのでそこで古紙の回収、ペットボトルの回収と分別をしている様子は驚きでした。また大きなロールから小さいロールを作って裁断している様子はすごいほこりのなかの作業で大変そうでした。
先日みた「愛が聞こえます」の舞台と重なって、元気な所長さんが光って見えました。
さて、帰りに県庁を見学しました。折しも12月定例議会、傍聴席は8割ほどが埋まり、議会庁舎は見学者でいっぱいでした。まわるく作られた議場は明るく、昔みたドラエモンの未来の会議場のようでした。結婚式場のような階段の前で記念写真を撮りました。
議会庁舎だけで88億円だそうです。他には展望ホール(実に32階)、群馬県の形を12000分の1にしたレリーフなどをみてきました。
天気のいい日にはこどもを連れてきても良いなと思いました。



12/3  実は先週、念願のオーブンレンジを買いました。今までオーブントースターと火口が二つのガス台だけで料理をしていたのでこれは大変な出来事です。ピザも焼けます。
 予算は4万円。私が夏の間、本来出荷が休みで唯一ゆっくり出来るはずの土曜の朝に早く起きて農協の直売に一袋100円のピーマン、200円の小さいトマトなどを収穫して詰めて出荷した、その合計が4万円だったのです。小さいと主人に笑われました。その朝穫ったものに限定されて、7時半までに出さなければならず、忙しかったり、手間取ったりして思うようには出荷できなかったので、これでも頑張った方だと思いました。それにしても寝てて良ければいつまででも寝てられるのに、こういうのをこの辺では「欲と二人連れ」と言います。
ともかくも4万円を持って買いに行きました。ところが、出かける前に記帳に寄るとあと5千円入金していたのです。ワオ。よくわからないけどこれも予算に加えよう。そして店に着く間にいろいろ考え、安いのも良いけれど、せっかくだから、パンも焼けるようなちゃんとしたのが欲しいと思い始めました。行く前はコンパクトな大きさでと思っていたのですが、もともと、グラタン皿が3個一度に並ぶものが欲しかったこともあって結局幅54センチのなかなかしっかりしたものを買ってしまいました。消費税込み45960円。そうすると、レンジ台も始め考えていた物では収まらず結構大きいものになります。うちに帰るまであの台所がどれほど狭くなることやらと心配していたのですが置いてみるとそれほど邪魔にはならずずっと前からここにあったかのようになじんでいます。
電源を入れるとインターネットのコマーシャルでチャーシューの大きなラーメン屋さんを検索している妖精が帽子の中からでてくるちょっとおもちゃみたいなレンジですが、次男には「結婚したてのお嫁さんみたい」と評されながらピザを焼いたり焼き鳥を作ったりしています。



11/20  本棚の整理をしていて萩尾望都の「メッシュ」がでてきてつい読んでしまった。これは究極の親に捨てられた子供の本。
メッシュとよばれる子は本当はフランソワーズという名がありながら髪がメッシュが入っているのでみんなにメッシュと呼ばれそのまま通している。父親に憎まれ、家を出、人間関係にぐちゃぐちゃになって、怪我をして贋作画家ミロンのところに転がり込む。最後には正気を失った母親から否定され、ついには刃を向けられる。その時、彼は母親が望むなら死んでもいいと思う。自ら生まれてきたことを否定する。親に必要ないといわれたら子供は何を生きるよすがにしたらいいのか。・・・と問いかけるこれは大作だ。一編一編にもテーマがあるが全体を貫くメッシュの悲しみ。それを支えようとするミロンの優しさについ引き込まれる。出会ってすぐ、父親を殺そうとして失敗したメッシュを抱きしめて「良かった人殺しにならなくて」と言って、なんどもフランソワーズと繰り返し呼ぶところが何をメッシュが必要としているかを知っている作者に驚く。
親に捨てられるというのは実際捨てられるのでなくても、結構あることだと思うのが、梨木果歩の「裏庭」を読むと感じる。主人公の照美は小さいとき死んだ双子の弟のことで親に許されてないと感じ、ずっといい子を演じている。その母親も自分が母親にしてもらってないために子供に何が必要かわからない。とくに日本人は抱きしめるといったことは苦手なので自分の気持ちをどう表して良いかわからない。
さいごに裏庭から帰ってきた照美はそこであった祖母に頼まれたからと母親を抱きしめる。また、自分は一人だということは寂しいながら親の希望通りに演じなくても良いことだと理解し、ホッとする。本当に自立するというのはこういうことかも知れない。
この本も読むには読んだが繰り返し読まないとなかなか全部を把握できないすごい本だ。



11/15  12日で店が終わり、13日と14日は消費生活展の準備と当日、終わってから4時半の新幹線で新宿紀伊国屋ホールへ小沢昭一の「唐来参和」を見に行って今日はまた前橋に農村女性セミナーと言うのを聴きに行ってきた。実に忙しい。と思ったら何の都合か担当者が半日で帰るといってパネルディスカッションは聴かずにJAの花木センターをみて帰ってきた。もっとも私は前の日の寝不足で午後は座席にいても聴いている自信はなかったが。
 こうした講演などのとき、昼食はたいてい弁当が出る。駅弁みたいな冷たいご飯。駅で買えばもっと温かいかも。それをホールは飲食は禁止なのでロビーなどで食べて下さいと言われる。何年か前に九段会館に「農村女性の主張」を聴きに行ったときはホール内に座ったまま弁当が配られた。そのときも「ここで食べるの」と驚いたが今日はロビーにびっしり並べられた小さいパイプ椅子に座って食べるようにとのこと。ぎっしりすわって身動きもできない。畑や住宅の中にできた県のりっぱな建物の中だがその並んだ椅子にはビックリした。
 講演の内容は上越市で頑張っている小川雅子さんという女性の体験談で「みんなを同じレベルに・・・というのはもうやめて、意識を持つ何人かがまずやってみよう。」と思ったこと、「女性の社会参画と言われても、女性の側に人材がなかなか育っていないので、働くだけでなく自分の意見を短くまとめ説得力を持って発表できるように農業委員や各委員会に出ていって通用する人材を育てる必要がある」ことなどが印象に残りました。
 昨日、新宿駅で自分が乗るのは何線か、中央線ならホームはどこかまずトイレに行った方がいいのじゃないか高尾に行くので良いのかそれだと東京と反対にいちゃうんじゃあないかと思って登りかけた階段を下りたり、東京駅で上越新幹線の下りはここだけどさて上りはどこのホームなんだとわけの分からないことを考えていたり普段は使わない頭を総動員してなんとか帰り着いた。
 人の話を聴いて適切な質問をし、自分の意見も相手に伝えるというのはこういうのをずっと頭の中でやるということなら今の私では無理だと感じた。何も考えずにトマトの枝を欠いたり、リンゴの花を摘んだりするのでめっきり頭を使ってないモンね。



10/25  不思議に思うことがある。私には二人の男の子があるが、彼らが嘘をつくとわかる。本当に些細なことで、どっちでも良いようなことでよく嘘をつくがそれがなぜか嘘だとわかる。私もこどもの頃面倒だったりちょっとの自分の利を計算して嘘をつくと「嘘ついてもわかるんだからね」などと言われ「わかるもんか」と思っていたが、これが親にはわかると言うことなんだと妙に納得。わたしは自分の子供時代を比較的覚えている方だがこどもが嘘をつく場合、たいていは怒られたくないということが動機になっている。こちらがつまらないことでいちいち怒らなければむこうもつまらない嘘をつかなくてもよいことになる。「絶対怒らないから本当のことを言ってごらん」と言って結果如何で怒ったりするのが一番よくないと思う。
思い出して、あの嘘も親に見抜かれていたのか思うと複雑な思いになることがある。



10/16   昨日はあまり多くの人が訪れてくれたので午後に来てくれたバスは入場をお断りしてしまった。
「18人だから団体じゃあない」と言うバスから降りてきた婦人はぐんぐん店に入ろうとするがりんご園もいっぱいだし陽光がまだもげないのでリンゴもあまりないし、二人ではとても対応できないと思って丁寧にお断りした。ご婦人は怒ったようだったが仕方がない。きちんとしたサービスが行き届かなくなってしまう。
団体でも幹事さんがとりまとめて下さって全体を把握していて、入場料ともぎ取り3kgでいくらというようにまとめて払って一緒に入って一緒に出てくるようならいいが、「私は入らない」とかいって店で待つ人がいて店から見てもリンゴがあんまりきれいなので「見るだけだから入っても良いでしょ」とか言って入って「あんまりおいしそうだから一個もいぢゃった一個だけだものいいよね」とかいわれるとそのいちいちに対応しなければならなくてつい断りたくなってしまう。時間がなくてがやがや入ってがやがや出てきてトイレの順番でずっと店にいたり、みんなを待たせて一人だけゆっくり考えて発送を依頼していく人とかいるとありがたいながら、気を使ってしまう。
私の周りだけ時間がゆっくり過ぎて全ての人に丁寧に万全に対応できると良いのだけど・・・。



10/14   私は夢を見ることが多いほうです。この前、近くの伯母のお葬式のときにももう終わって三日も経ってから、「うどんが足りない」と飛び起きてみたりしました。次男が6時に出発する学校の旅行に出るときは4時頃から夢でお弁当を作っていてご飯が炊けていなくてこどもに謝っていて、「あ、これは夢だ」と思ってお弁当を作り始めて、5時に目覚ましがなって「あ、まだ夢だった」と起きたときにはすっかり疲れているといったこともしばしば。不眠症というのではないのですが。考えていることをそのまま見てしまうようです。
今日はすごく暇でした、土曜日だというのにお客さんが少なくて、ラムズイヤーの植え替えと、ワイルドストロベリーの草むしりをしました。一株だけ大きくなったパイナップルセージが花を咲かせていました。



10/14   朝、店の準備に出てみると時雨模様です。遠くの山では初雪が降っているかも知れません。こういう日は昼間は温かくなることが多いのです。あと虹も出やすい天気です。白菜を並べていると中学校にこどもを送ってきたのか、隣の集落のお母さんが「北斗できた」と声を掛けてくれました。「北斗は来週あたりからです」と言うと、走り去っていきました。家の商いの目標の一つに近くの人に利用してもらえる店というのがあります。今までは来てもらったことのなかった長男の同級生のお母さんが今年は何回か来てくれてチョット嬉しく思っています。
さあ、陽光の収穫が始まりオーナーさんの来店も始まります。ジョナゴールや北斗、陽光の時期になると店は最盛期です。だんだん寒くなりますが、色づいてくる山と一緒に深まる秋を楽しみたいと思います。



10/7   自慢ではないが年より若く見られることが多い。若くというか幼くというか。昨日は熊谷ナンバーの車で乗り付けてきた男性二人にかまわれてしまった。入ってくるなり「どうして入園料が200円なんだ。安いじゃあないか。」と言う。「とうもろこしがまだあるのか。『味来』は不味いな。ありゃあ食えたモンじゃあない。」「トマトの試食はないのか。美味かったらたくさん買っていくのに。」矢継ぎ早のつっこみにタジタジ。どうしてこんなときにお父さんはいないの。だれか違うお客さんでもいてくれればいいのに 。『味来』が不味いというのは人それぞれだから良い。と、トマトをもいできて試食させる。「美味い。買った。」とまるでハウスごと買うような勢いで言うので「何sくらいですか。」というと700g入りの袋で6個だという。思わず「あら皆さん、ひとかごはお買いあげになります。」と言い置いてハウスへ。「そんないいるかい。トマトばっかり喰ってられるか。」と背中で声がしていた。
 よく間違えられるが、大根のサービスはリンゴ狩りの人で、来た人みんなではない。ところがリンゴ狩りの方にというところは読まないで、「大根サービスだって」という人がいる。もちろんいつものお得意さんやリンゴ狩りをしなくても箱で3箱も買っていく人はまた別だ。この男性二人も最後に車に乗ろうとして「おい、大根サービスって書いてあるぞ。」と言い出した。私は丁寧に頭を下げて大きな声で「大根は200円を払ってリンゴ狩りをした方にサービスさせていただいております。またご来店下さい。」おばさんは負けてないぞ。


10/1  昨日、子供が突然おじぃちゃんちに行くと言いだして沼田まで送っていった。理由は明解。うちではテレビゲームは私の実家においてあるのでゲームがやりたくなったら沼田に行くしかない。この前行ってからやく二ヶ月。子供もうずうずし出したというわけだ。さて、お兄ちゃんには夏休み後半のバイト代を要求され実際よく働いてくれたので、欲しいソフトが買える分だけ渡し、文真堂へ。一つあったお目当てのソフトも手に入り、貴泰には今週予定されている学校の旅行に備えて財布を購入。あと本を買おうと書籍売場へ。CDや雑誌の売場に比べ格段に風通しがいい。耕介はなにやら歴史物を、貴泰は「もう一つの宇宙」というのを持ってきた。私は奮発して柳美理の「命」と宮部みゆきの文庫本を購入。早速、昨夜と今夜で「命」は読了。やることだけやったら本を読んでいいというのは実に楽しい。仕事をしていて張り合いがある。つくづく本が好きなんだ。耕介は8月頃「ホワイトアウト」の原作本を読んで20日ほどかかったらしいが、(何せ中学生は忙しい、おかあさんには宿題も塾もないモンね)私が、「ハリーポッターと秘密の部屋」を17日に買ってきて翌日読み切ったら、ちょっと尊敬してもらえた。「命」は東京キッド・ブラザーズの東由多加の闘病について書いてあった。所々にでてくる北村易子さんには数年前まで公演のお知らせをもらっていて、結婚してすぐ東京に行った折、原宿の小さい劇場でキッドの芝居を見たことを思いだして懐かしかった。この前の「ゴールドラッシュ」ではミレニアムを生きる作家としてこれは書かなければといった気負いが感じられて圧倒的だったが、ずいぶんと対象的な作品だと感じた。作家が思いのままに書き連ねる商売ではなく、執筆スケジュールに縛られている様子が、また在日の人の不便さが、愛情や憎悪と並行して迫ってきた。
今夜からは宮部ワールドに浸れます。



9/27   今年の失敗の多いのは異常だ。私が原因のものに合わせて主人も相当やってくれた。メールやFAXで次々苦情が届く。すっかり落ち込んでしまった。
いくつか要因はあるが、お客さんとこちらで考えが違うというのもいくつかある。お客さんのなかにはすぐお金を振り込みたいとお考えになる方が多く、特にお客さん自身の所に荷物が行かないと請求書の送付が遅れる事が多いのでたびたび電話で叱られる。しかし、こっちは荷物を出すのが精一杯で請求書はつい後回しになってしまうのだ。それに、振り込み票に金額が入ってないというのがある。これは振り込み票を同封しさらに、こちらの番号を記入してあるだけでも十分手間を省いてさしあげているというふうに考えていて、通販の会社のコンビニに持っていけば即払えるというように手回し良く何もかも書き込み済みといったサービスは考えてもいなかった。今まで、金額が違っていたことはなかったし、問題とも思わなかった。税金だって、おやこ劇場の協議会に払うお金だって自分で何もかも記入しているのだから。お客様の中には「つりはいらない」とばかりに3980円のところに4000円払ってくれたり、逆に局の手数料を払込金額から差し引いて払ったり、虫食いがあったらその分は引いて下さいと書いてあるとしっかり3本も引いてよこしたり、「虫食いはあったがとてもひけない」とメッセージがあったり、いろいろでそれもみんな許容範囲だと思っている。通販の常識では荷物が届いて7日以内とかいうのがあるらしいが、半月や一月たっての振り込みもなかにはある。こちらも毎日厳しくチェックしているわけではないので「おやおや」と思うくらいですんでいる。そんなところでやっている。うちは通販の会社ではなく、あくまでも百姓なのだから。もっともパソコンの導入で来年の取り組みがどうになるかはわからないが。

もうひとつ今回いろいろもちあがった問題で去年の反省にもあったのだがついお客さんの要望に応えようとして規格以外の注文を受けてしまうというのがある。トマトは2kgか4kg、とうもろこしは5kgか10kgと決まっていてほかの注文は受けなければいいのだがキャベツを入れてくれだとかブロッコリーが一つ欲しいとか言われるとついなんとか箱に入れようとしてしまう。とうもろこしと一緒に入れるととうもろこしからでる熱で野菜がトラックのなかでどうなるかつい想像力が及ばなくなる。そして苦情が届く。
あとはひたすら初歩的なミスが目立った。これは忙しさとストレスが主な原因だろう。落ち込んだり、投げ出したりしないで、倦まず弛まず仕事をしていって皆さんに迷惑がかからないようにしたい。

涼しくなってきていよいよ林檎の本番を迎えようとしている。新しい、赤いエプロンをおろして気合いを入れてかかろう。



9/18  りんご園のオープンから半月あまり、とうもろこしが虫に食われたり、キャベツもぼろぼろだったり、いろいろあるけど、昨年一昨年のお客様がまた来て下さったり、励まされることもある。リンゴジュースやとうもろこしを蒸かして出すと一様に喜ばれる。
学生のグループがやってきて女の子達がかかとの高いサンダルで大根を抜いたり、葉っぱを切れなくて男の子にやってもらったりしていて「おいおい」とか思うけど、常連さんの意見どおりお客様はあくまでもお客様。なかには「ごちそうさまでしたー」と元気に挨拶していく学生がいるとまああたりまえのことだけどさっぱりしてていい子だなんて思ったり。わたしもすっかりおばさんをやっている。
去年は途中で投げ出した感があるトマトを今年は最後の一個まで穫ろうと管理に精を出している。そんなわけでハーブ園は草だらけ・・・。



8/26 気がついたら8月が終わろうとしている。一昨日手伝いの人を頼み初めて、ようやく人間らしくなってきた。夏休みの間子どもが頑張って手伝ってくれていたのだが、とうもろこしの送り出しの作業がお昼過ぎまでかかり、昼食も自分は食べずにトマトを穫りに行ったりして、時間いっぱい働いたあと、帰ってきて翌日使う箱作り、姑が畑でとっておいたミョウガを洗い場まで持っていって洗ってくるとご飯も食べたくなくなるが、食事を済ませて片づけたあと翌日発送する伝票の準備、件数が多いと12時を過ぎることもあって寝たかねないかで5時になりとうもろこしを穫りに行くといった繰り返し。ようやく収穫が注文に追いついて、今日の注文の分を明日発送というふうになってきたので今日の注文分だけ書けばいいことになり落ち着いてきた。寝不足で伝票を書いて間違いが頻発して電話で叱られたり、みんなに迷惑をかけたり。国道に出たとき、対向車線のバスを後続の乗用車が追い越したのに気づきながらスピードをゆるめずに、ふと「ぶつかるのかな」なんてのんきに構えてる自分にぞっとしていつでも眠くなったら寝ようと決心。
9月1日のりんご園のオープンまでに店の周りを片づけなくては。「こんなに働いちゃあ無理だよ」と思うとき、冬の間にスキー場でバイトをしたことを思い出す。一番忙しいときは6時半とかに店に入り、夕方までまとまった休みもなく立ちっぱなしで、朝入るときはまだ暗く、夕方帰るときももう暗いという日々だった。それを考えれば自分の家でこのくらい何だというんだと思う。店が始まってもいろいろ準備を間に合わせておいて皆さんに喜んでいただけるようにガンバリマース。


7/9  6月の第四土曜日に菅沼婦人会の旅行でお台場へ行って来た。初めは大観覧車にみんなで乗ったがこの日はあいにくの天気でなんにも見えなかった。乗ってみるとあっという間だった。ただ、夕方のニュースをみるときにあれに乗ったんだなーと思えると言うだけ。ま、それも経験ですから。ゆりかもめに乗って台場に移動。みんなはフジテレビに行ったが私ともう一人はアクアシティに直行して映画を見ようと企てるが混み具合をみて断念。わがままをしていて集合時間に遅れたら大変とまずGAPで子供服を探した。そのあと、インターネットで調べておいた1000円で10分間のマッサージにかかれる店というのを探して上階へ。ここも混んでいたがとりあえず待つことにして荷物を頼んでトイレへ。この広さにしてはトイレの数が少ないと思ったが、何よりまず、トイレに入って戸を閉めた途端に閉塞感にとらわれて、ぞっとした。空気が薄い。いつもりんご園のところで窓から吹き込む風を感じてホッとしているのにこれはなんだ・・・息が詰まる。どうしてみんなこんなところにいられるの。レストランの窓際の席を除いてはだいたい外は見えないし、ひとひとひとひと・・・。これに絶えられないと都会では生きられないのかなあ。わたしはだめだ。と、みょうに納得。
でもマッサージ屋さんはちょうど男の人で力もあってとっても良く効いて最高でした。



6/28  また随分長い間更新しなかったものだ。パソコンが不調になってホームぺージ・ビルダーを立ち上げるのが億劫になった。
最近トラブルがなくなってきて、おそるおそる、立ち上げている。やはり振り出しに戻すというようなのは忙しいときはやりたくない。しかし、身近にパソコン人口は確実に増えている。
「気持ちが風邪を引く」という状態にしばしばなる。新聞が読めなかったり、本が読めなかったり、ぜんぜん休みがなかったりしたとき 。ひどくなる前に体を休めたり、思い切って仕事を休んだりできればいいが、忙しい時期はそうもいかない。そうすると「倒れるまで突っ走る。」ということになる。「走り疲れたら、歩いて。歩き疲れたら、休んで。やがて休み疲れたら、きっとまた走りたくなる。」と昔さだまさしが唄っていたけど。



5/12  花豆の支柱を立てた。5aくらい。支柱を立てるところは主人と一緒にやって網をかける作業は一人でやる。仕事をしていてこんななんでもないことがどうして前はあんなにイヤだったのかと不思議に思う。前というのは10年くらい前、子どもを連れて畑に出ていた頃、思うように仕事は進まず、気持ちばかりが焦っていた。保育園に出していた頃はもう少しと思っても、一番遠くの畑にいても迎えの時間には保育園に行かなくてはならず、下の子が小学校に上がったときはなんて楽になったのかと驚いたものだ。
ところで、花豆の網というのは細い糸でできていて広げると18メートルになるものがまとめてある。これを両端をひもに通して広げていくのだが素直に通さないと広げるときにひっかかる。一つがずれているだけで絡まったりごちゃごちゃになったり、始めに止めてある糸を切ってしまった後で順番が狂っていたことに気づいたときには悲惨だ。この頃はなれてきたし、一人でやるので落ち着いてできるのでひどい目には遭わなくなった。緊張して通し、風になびいてすーっと広がっていくときはちょっと嬉しい。



5/8  夕べ落雷で停電した。雹も降った。寝付いた2時半頃、また稲光と大音響。うちが振動するほどの大きさだった。常夜灯が消え、30分経ち一時間経っても電気はつかない。隣の家では街灯がついている様子。これはもう、家中の電化製品が壊れて、パソコンもテレビもお陀仏か・・・。布団の中で総額いくらになるのか、保険に入っているからと言っていた主人の言葉を思い出したり、東京電力の「主電源を抜いて節電を」のコマーシャルを実践していたらと後悔したり。4時を過ぎた頃思いついてブレーカーを見に行く。居間も真っ暗。テレビの青いランプも消えている。電話も静かだ。ブレーカーはと見ると漏電・・・専用と書いたのが降りている。懐中電灯で照らして箒の柄でブレーカーをあげると冷蔵庫がブーンと音を立てた。「あ、壊れてない。」居間を通るとテレビも重々しく立ち上がったようだ。トイレに行くと暖房便座がすっかり冷たくなっていた。ホッとして布団に潜る。主人は何も知らずに眠っていた。
  今日になってあの一撃は300メートルほど離れたところの杉の木に落ちたものとわかった。何軒か電話が使えなくなった。今年は大気が不安定な日が多い。 



5/1  私の読書の傾向を知っていてくれる本屋のみね子ちゃんがドロシーギルマンの「古城の迷路」というのが入ったからととっておいてくれた。このタイトルに聞いたことがあると思いながら開いてみるとこの作者の一つ前の作品で「アメリアジョーンズの冒険」の中で主人公がこどもの頃から愛読していて、この冒険で出会う謎の死を遂げた作家の作品として出てきていた。ドロシーギルマンの考え方には日本の禅やヨガの考え方から影響を受けていると思われるものが多く単一宗教の押しつけがましさのようなものがなくうなずける。この本は本当の意味で冒険物語だ。どこか天路歴程を思わせるところもある。様々な国を通り抜け、めざす目的地にたどり着く。いささか説教じみたところのあるがドキドキもある。でも早くおばちゃまの次の冒険を楽しみたい。



4/25  ホームページビルダーが起動しなくなってバタバタしていた。前にトラブルを起こしたときのことをよく思い出して丁寧に恐がらずにやればもっと早く解決したのに。おかげで仕事の予定は狂いっぱなし。
    前に自分が書いたものを読み返してドキッとすることって良くあると思うけどこの間は特にそうだった。片品林檎亭便りに「西の魔女が死んだ」からひいて「大切なのは自分で決めることと、決めたことを最後までやり遂げること」なんて書いておきながら全く遠く離れたところで生活していた。反省。
   ところで、昨日沼田へ行った帰りにラジオをつけたら普段主人が乗っているのでN.H.K.がかかって思わず国会中継を聞いてしまった。河野外務大臣が自分の答弁に「御答弁させていただきます」と繰り返し御をつけるのが気になった。ジェフリー・アーチャーの「めざせダウニング街10番地」にでてくるような丁々発止のやりとりは無理にしてももう少し与党の人達も勉強している様子が窺える答弁があったら良かったのに。



4/17  一昨日、ロータス123を使おうとしてどうしても私のミスではないと思われるトラブルが発生。ユーザーサポートに電話しようとしても土日はやってないしとりあえずわかりそうな人にはみんなに聞いてでも解決しなくて。主人の落語会に行っても「花の駅は表計算ソフトはロータスですか」なんてきく始末。そして見せて貰いやはりアプリケーションに問題ありかなと思って、とうとう今日10時をまって電話してみると話し中からつながってコード番号を入力してからまたスタッフの手が空くまで延々15分ほど待って「只今電話が混み合っています。もう一度お掛け直しいただくか、もうしばらくお待ち下さい」のアナウンスを気が遠くなるほどきいてやっと電話口に人間の声が。状況を説明するとやはりインストールし直すようにという話。「スタートボタンから設定、コントロールパネルからアプリケーションの追加と削除・・・でやってみてください。」「はい。」で切ってしまったが運の尽き。アンインストールを始めたところおよそ私には答えられない質問が次々出てきて「この手順で数分でできますから」という電話の話とはぜんぜん違う。頼りのヘルプもわけわかんないし。いいやもうはいはいでいっちゃおう。削除していいかときかれてもいいも悪いもわからない。いいと答えて先に進もう。てなわけで次へ次へと進み。「正常に削除されました。」とでたのでそれはおめでとう。ではインストール。ところがここでまたつまずいて、次へのボタンが反転している。使う人の名前に「星野時夫」とはいっているが何か問題があるのか。ここで駄目元とNAVIに電話。ところが間違って関ネットにかかってしまい、その人が親切に「会社名とあるところにスペースでも入れてみて下さい。」というのでやってみるとがぜん「次へ」のボタンが生き返った。NAVIにも解る人もいたのね。ありがとう。・・・こういう簡単なことでも説明書に一言書いておいてくれなくちゃあ、ど素人のおばさんにはわかんないのよとひとり怒りまくって「でもこれで同じ局面にぶつかった人には教えて上げられるよ」と気を取り直し123のトラブルも無事解決したし。
      しかしこれで私はJUST SISUTEM、IBM、そしてロータスと3社のメーカーに電話した強者となった。ところで勤めている人って絶対、サポートシステムは利用できないと思われる。こんないつつながるか解らない電話余所で掛けられないし。土日はやってないし。どうやって問題を解決するのかしら。販売店がもっと充実してるということかしら。パソコンがしまい込まれる原因のひとつかも。



4/8  仕事がだんだん本格的になってきて私のラジオ生活も始まりました。電波が入りやすいというのが主な理由でずっとTBSをきいています。今日は土曜日、永六輔の土曜ワイドに岩波ホールの高野悦子さんがゲスト出演していました。おとめ探検隊というゲストの住んでいるところや思い出の場所などから中継するコーナーで私も行ったことがある根津神社界隈でした。もっとも私はその時は目的地を捜すことに気を取られて自分がそんなに由緒ある処に立っているとはついぞ思わなかったのですが。聴視者からの葉書かファクスで高野氏が講演会か何かの席でチマチョゴリを着て踊ったのを見たというものがあってそのことを高野氏に聞いたところ
「70歳になったので何か新しいことを始めようと思って踊りを習い始めた」というお話。介護保険も始まり70歳といえば人の世話になる年齢とばかり思っていた私にはショックな一言だった。



4/5  三月中に今年も「赤毛のアン」のシリーズを読み返した。今回はアンがレドモンドに通うところと中学校の校長を務めるところそれからアンのこどもたちが中心になる「虹の谷」と「アンの娘リラ」。読み返すたびに違うところが印象に残る気がするが今回はアンが大学に通ううち長い休みになってもギルバートがアボォンリーに帰ってこないことが妙に気になった。始めは休みになると新聞社でアルバイトをしていた。最後の夏は西部で新しく鉄道を敷くところに働きに行ってしまう。そうして今年も学校に通うための学費を働き出す。「アンの娘リラ」ではそれまでの人々の暮らしはすっかり様相を変えてしまう。イギリスが戦争を始め、カナダからも若者達が出発していく。残されたもの達は息子のいる地域の戦況にハラハラしながら日を送る。しかし私が聞いていた太平洋戦争の日本軍の様子とはぜんぜん違う。戦地からは手紙が届き、始めのうちは家の人が送った荷物の中のフルーツケーキをみんなで分けて食べたりする。戦況は良きも悪しきも伝えられ台所で地図を広げながらパンをこねる。詩人の心を持っていてこどもの頃ですらけんかをしなかったウォルターは遂に帰ってこない。しかし、自分がなぜ戦うかをはっきりと知っていて、残っている妹のリラに戦いが終わって後の人々に伝えるようにと言い残す。この本を読むとそれまでのアンとギルバートの行き違いにハラハラしたことなど夢のようだ。この悪夢のような4年間でリラは少女から娘に変わる。戦争孤児を引き取って育て、虚栄心を抑え、母の慰めとなる。何度読み返しても引き込まれてしまう。



4/1  貴泰が分数のわり算ができるかという話から「おもいでぽろぽろ」を見ることになった。貴泰は話の流れからセリフからみんな覚えている。こんな風に学校の勉強も覚えてくれるといいのだけれど・・・。
 とにかく、唐突に五年生の頃の話をはじめる都会の娘さんに山形のとしおさんは実に優しい。なんとかこの休暇中にタエ子さんに自分をアピールして次回につなげようという意気込みを感じる。田舎で百姓をしているということがそうさせるのかあまり積極的ではない。でも本家のおばあちゃんのお節介が無くてもいつかとしおさんは自分の思いを伝えてタエ子さんを山形県人にしたんじゃあないかなと思う。ただ、一端東京に戻ればほかの見合いの話もあるだろうしおばあちゃんとしては急いだというところだろう。いつも思うことだが雨の夜、あんな狭い車でタエ子が自分の五年生の頃の話を話しているのを聞きながら、「もう明日は彼女は東京に帰ってしまう」と考えながらすぐそばにあるタエ子の手を握らないとはとしおさんがタエ子をていねいに扱っているところに感動してしまう。



3/17  思い立って渋川のイケダ種苗まで行ってみた。年々規模が拡大している。今年はパンジーのハウスが二棟建っていて、激安価格だった。花の苗も、果樹の苗もいろいろ出始めていた。ハーブの種が欲しかったがそれは品揃えが今ひとつ。
今日は雨。去年はぬかるみに足下を心配していた駐車場が舗装されていて一息。ところが車が通るところはアスファルトでも駐車するスペースは小石を敷き詰めたようになっていた。いつだか、環境先進国といわれる国では道路の舗装はタイヤの通るところだけというのが主流になってきているときいたことがあったがそこまで考えてのことだろうか。



3/15  今日から剪定を始めた。私は7年生くらいのワイ化栽培の畑の剪定をする。朝始めていると主人が来てやり方をおさらいした。言われたように剪定をすると枝があんまり少なくなって「大丈夫なの・・・」という感じ。考えたら主人が言うことにいちいち「そうなのか」「なるほど」と素直に応じるのは剪定だけかもしれない。あとはなににつけ、自分の意見を言わせて貰うから。
あまり高さは伸びていないのに下の方に太い枝が何本もある木の下枝を切ったら木がホッとしたように息をついた。



3/7  話題の「ハリー・ポッターと賢者の石」を読んでいる。本が大きくて職場には持っていけないが、寝る前に少しずつ読んでいる。これは面白い本です。ジャンルはファンタジーですがドキドキワクワクは最高です。エンデの「はてしない物語」にも匹敵します。
何の本に挟まって来たのか光文社文庫の河童の絵のある栞があって「きょうはここまでつづきはあした。・・・でももう少しだけ」という言葉が書いてあるが私の気持ちをぴったり現している。このシリーズがあと6冊も味わえるなんて幸せ・・・。



3/4  昨日小学校の授業参観に行ってきた。片小にもパソコン教室ができて20台ぐらいのきかいがはいった。。NECで98、一太郎の子供向きバージョンらしい。詳しい話は聞けなかった。ところで貴泰と一緒にローマ字入力のブラインドタッチの練習を始めた。まだまだ見ずには打てないがだんだん早くなりたいと思っている。
     最近の小学校では国語の授業でディベートというのをやるらしい。ディベートという単語は言葉の達者なあの教団の幹部が初めてテレビに登場したときに私の語彙に加わったものだが次男の記憶では今年から授業に取り入れられたらしい。あるテーマに賛成の立場と反対の立場のグループに分かれて意見を戦わせるという授業らしいが参観していてなんとも手応えがなかった。声も小さく、意見も同じ事の繰り返しで六年生の最後の授業参観だというのに物足りなかった。こんな事もやるのかという点では驚かされた。



3/1 片品林檎亭便りの発送の仕事がようやく終わり、幾分風邪気味ながら三月を迎えました。今年の二月は雪が降っていない日が数えられるくらいしかない寒さでした。原のハウスに大根やジャガイモを埋けてあるのに住宅がないので除雪してないため堀に行けないくらい雪が積もっています。明日主人は屋根の雪下ろしをしようと言っています。
昨日久しぶりに「続あしながおじさん」を読みました。孤児院を任されたジュディの親友サリイの奮闘の次第が手紙の形式で書かれています。幸福な結婚生活を送るジュディだけでなく結婚生活に破綻した友人の例などから自分の将来を冷静に考えて魅力あふれる青年政治家に別れを告げる様子が今回は印象に残りました。どうしたらよりよい孤児院にできるかと毎日仕事に追われる姿はとてもステキです。ごく初めの部分で孤児の身なりが均一でしかも青い格子縞のスカートから真っ赤なペティコートがだらしなく下がっているのでは自尊心が保てないと嘆くところがあります。またこどもたちにはアイスクリームがぜったい必要だと書いてあります。愛情というのはただ持っているだけでなく持っているということを相手に伝えなくてはならないものです。そしてこどもたちは自信をつけ自尊心を持ち社会にでて相手を大事にできるんではないかと思います。ある人達にはあまりに当たり前のことですがこの頃のニュースでは必要不可欠なこのことがなおざりになっていることが多いと感じます。自尊心は虚栄心や優越感とは違うものです。「アン」のなかでも自尊心が大事なことはたびたびでてきます。



2/4 図書館とビデオを返すために大急ぎで沼田に行って来た。上の町の信号のところにあったいせやデパートが壊されていた。
私は小学校3年まで上の町に住んでいた。いせやができたのは確か2年生くらいの時だったと思う。3階までエスカレーターのあるデパートは画期的だった。あの頃はまだ活気があって永徳屋、主婦の店、つしまやなど本町通りだけでも3軒のスーパーがあった。
スズランも今よりずっと大きい店舗を構えていた。お馬出し通りや八幡小路など名前を聞くだけで情景が浮かぶ。もちろんまだベイシアどころか、satyもなかった頃。
上の町にも再開発やらなにやら空き地が多い。駐車場にしてあるが、くっつき合っていた店同士の真ん中を抜いたようになっているので残っている店の壁がむき出しになっていてなにやらわびしい。沼田は実は11市のなかで唯一H.P.を持たない自治体らしいが
私は一応生まれた土地でもあるし、また利根郡の要でもあるわけだからなんとか栄えていって欲しいと思う。もちろん建物や通りだけが大事ではないし、もっとソフトな面でも充実して欲しい物だと思う。



2/1 今日もまた、林檎亭便りの仕事ができなかった。夕食後、主人に誘われてうかうかとビデオなんか見てしまったからだ。「エネミー・オブ・アメリカ」は観たかった作品だし面白かったけれど、やはり仕事が先延ばしになるのは困る。明日も7時には家を出なくてはならないし仕事中はほとんどたっているから休みはないし。そこいくと男の人はいいよね。「ご飯だよ」といわれるまで好きなことしていていいんだから。家事に費やす時間をパソコンに向かっていられたら仕事も進むんだけど。はじめに思ったより長時間をバイト先に売り渡しているので代償で何か買うことにしましょう。
 今日は、ダウン症の子がスキー場に来ていた。昨日もいたので宿泊しているらしい。前に「E.R.」でみた事を思いだした。38歳のダウン症患者の心臓移植についての話。スタッフが奔走して移植が受けられるようにしたのに年老いた母親が拒否する。もう自分も長く世話をすることができないから、生きていても施設にいれるのではかわいそうだからというのだ。命の重さ、人間の尊厳について考えさせる話だった。ただ、その母親はその子が神の元に召されると信じられていたところが救いだったが。
 ところでスキー場のトイレには「トイレはきれいに使いましょう」とあちこちに貼ってある。「こんなこといわれないとできないのか私たちは・・・」と思ってしまう。今年もまた、ずいぶん間接喫煙を強いられている。灰皿を使っても片づけない人も多い。ありとあらゆる物を灰皿に利用する人もいる。旅の恥はかきすてというヤツだろうか。

1/27  丸沼スキー場に初滑りに行ってきた。こどもたちが今日から後期の冬休みに入ったので一緒に。雪の状態が最高。おまけにお天気もいい。ゴンドラに乗ったら白根山が触れるように近くに見えて、上州武尊は雲の上に頂を覗かせるといった具合。
スキーは初心者からなかなか進まないが今日は好条件が重なって今までで一番楽しめた。斜度があるところではボーゲンに力が入るので今も足が痛いくらい。本当は腹筋とか使った方がいいのだろうが。
このところデボラ・クロンビーのダンカン・キンケイドのシリーズを読んでいる。登場人物の心理描写が丁寧だ。ジェマ巡査部長との行き違いなど実に初々しい感じがする。また、一人一人が家族、育った環境、今までの自分の歴史などを大切にして今を生きているところがいい。若草物語をごく子どもの頃に読んでああいう母親像にあこがれていたがジェマのお母さんも娘を叱るのでなく諭すのでなく育てていた様子が回想の中に出てきて羨ましく思った。

1/21 今日は大寒。それに合わせたように朝から雪です。主人のたっての勧めで「シックスセンス」を観に沼田まで行って来ましたが、車でたった三十分しか走らないのにこの気候の違いはなんでしょう。特に帰りにそれを感じました。晴れていて、もちろん路面に雪などない沼田から大荒れの片品に帰る。そこにずっといれば何とも思わないのですが片品方面から来る車がどれも屋根に雪を積み、フロントが凍り付いている様相で来るのをみると、なにか覚悟を新たにする気分でした。
もちろん沼田に行くときは車にスニーカーを積んで置いて、降りるときに履き替えるのです。片品ではどこに行くにも長靴でなくてはなりませんが、うっかりそのまま峠を越えてどこか店に寄ろうものなら大変ですから。


1/16  わたしが働いている店は、スキー場の無料休憩所の中にあります。主にレジでお客さんに応対することが多いのでずっと休憩所の中を見渡していることになります。この何日かは忙しくないのでお客さんのいろんな様子が見えるようになってきました。昔の漫画にあったような背の高い男の人と小柄な女の人のカップルが柱にもたれて眠っていたり。親子連れでも親が絶えず子どもを怒っている人もいれば、子どもの面倒を一手に引き受けているお父さんなど、見ていて飽きない。中には女か男かをウェアーでやっと見分けるようなひと、親子より年が離れていると思われるカップルで男の人がずっとビデオカメラで女の人を追っているのを見かけたり・・・。人間観察にはもってこいです。今日は朝一滑りしたのか、8時半から11時半まで何杯もビールを買ってくれてずっと話し込んでいる人達がいました。「ああもったいないから2,3回滑って帰ろうかな」という声に「もったいないってまさか一日券買ったの」と一人でつっこんでみました。

1/7  ちょっと自慢。今日は今年始めての休みで、こどもたちをお年玉を積みに郵便局に連れていった帰り、姑の姉のみせおばさんに出会いました。私は今年はじめてだったので車を止めて窓を開け挨拶をしました。車が一台分の広さしかないし、車から降りて挨拶するほど改まった相手でもないと思ったのです。ところが後ろに乗っていた耕介に「これじゃあ馬のうえから挨拶するのと同じで失礼だ」と怒られました。耕介は昨年秋から漫画の三国志を集め始め、今二十巻まで読んだところです。ほんとは神田あたりで古本を捜しても良いのですが、そんな時間もないので沼田に行くたびに二冊くらいずつ買ってきます。一冊が600円ほどするのでざっと12000円。それもあながちムダではなかったなと思った出来事でした。

12/31  今年はあまり本を読みませんでした。柳美里のゴールドラッシュや花村満月のイグナシオであけた一年でしたが、むずかしいことや背伸びはしないで自分の楽しみで本を読んでも良いんじゃあないかと思った一年でした。本当は1999年という節目に生きている意味を問うとか、自分にできることをもう一度さらい直すとか大晦日とはそういうものかもしれませんが、明日の早起きのため、早く寝ようなんて思っています。

12/24  こどもたちは通知表も出さないまま実家に行ってしまいました。家ではさせていないテレビゲームを実家ではすきなだけできるという彼らの都合で私が仕事を早く仕舞って送っていったんですが。そのわたしは、図書館でシリーズ物の本を借りてきたのですがなんと去年すでに読んだ本でした。確かシリーズのなかの二冊くらい読んだ筈だからとあらすじを読んで確かめて借りてきたのに、しかも覚えがあるだけで犯人が誰でどういう展開か全く覚えていないのだから良いのか悪いのか・・・。

12/22  家を出るのは7時半。気温はマイナス8℃。小学校の前にある電光掲示板で確認しながら急ぐ。国道から入ってスキー場までの道は行きはよい良い帰りは怖いの下り道。麓は晴れていてもスキー場は吹雪だったりするんです。後ろの車に迷惑をかけながら怖さが先に立ってオートマティックだというのにシフトをセコンドに下げたり、たまたまラジオに出ているさだまさしの声も気が散るからと消してしまっての走行。今年はスタッドレスを新品にしたんだしこれで事故っちゃおしまいよ。
いきなりぜんぜん知らない人達の中で働くというのもいろいろ刺激があっていいものですよ。まだソフトクリームはうまくなりません。


12/17  昨日から岩鞍スキー場のゴンドラ乗り場にあるデリカショップで働き始めた。名前はラ・ドンゴ(羅丼檎)。仕事は始めてのことばかりなので覚えるのがちょっと大変。肉まんを蒸かしたり、コーヒーを作ったり。ソフトクリームを重ねるのがうまくいかない。
       ここ何日か思い出そうとして思う出せないでいたずっと前に見た上々台風と木の実ナナの芝居「阿国」のなかのセリフを思い出した。(沼田出身の馮裕華が出ていた。)一期は夢よさあ狂えというもの。正しくなかったかもしれないけれどこれが芝居のテーマだったと思う。狂えと言うのは「楽しくやろう」とか「生きろ」という広い意味だったと思う。目一杯踊ったり歌ったりする楽しい舞台だった。
   

12/14  土曜日にトマトを片づけた。雪が降り、風の強い日だったが、この雪がまた積もってしまうとできなくなると思って片づけてしまうことにした。原中を見渡しても働いているのは私一人ではないかという悪天候。こういうことが時々ある。春の村のお祭りの日も間に合わなくて一人でハウスの骨組みを作っていた。村議選で潰れた日数を数えながら。・ 梅雨寒の金曜日、主人がどこかへ出かけていなかったが、かじかむ手で芽かきをやっていた。永六輔の「七円の詩」が妙に身にしみた日だった。・ 誰もいない茅刈り場で熊を遠くに見たこともある。心細いなんて言っていては片品で百姓はできない。レベルをどこに置くか。自分が納得がいく仕事をするかどうか。私の場合はもう一つ、昔から働いてきた人の目がすぐ近くにあって結構厳しい。姑はいつ何があって仕事を休むことになっても良いように、間に合わせておく。なにがあってもというのはだいたい葬式。本家筋の場合、3日は仕事にならない。しかも突然やってくる。私は解ってはいるけどまだまだ仕事に追われないとやらないので何かあった日には目もあてられない。もう少し気楽に考えられる性格だったら胃の薬もいらないのだけれど。

12/9     前日の大雪が嘘のように晴れ渡り、一日で道路は乾いてしまいました。もちろん私たちが寝ている間にせっせと除雪している人達の努力があるからです。そんな快適な道を沼田までお歳暮を届けに行って図書館に寄ってきました。そこでドロシー・ギルマンの新しい文庫を見つけました。この人の作品は「おばちゃまは飛びいりスパイ」から全部読んでいる。主人公の女性の行動力、若い人との関わり方が大好きだ。面白い本を読んでいるとだんだん終わりに近づいていくのが残念だと思うことがあるがこの人の本はまさにそれ。

12/7      今日は大雪。昨日の朝わかっていれば・・・ということばかり。乗用車のタイヤは履き替えてないし。キャベツも取り入れてないし。12月始めでこれほど降ったのは何年ぶりだろう。おかげでなんの準備もないまま一日降り続くらしい雪を見つめています。こんな時、雪だから今日はお休みとばかりに本でも読めたらいいのだけれど。林檎亭の回りなどは風が強くてかいてもすぐ吹き溜まりになってしまいます。



 12/6    郵便局に行く手前で学校帰りの貴泰に出会い、一緒に局にはいった。  貴泰は目に付くもの何でも触る。折からサンタの人形が置いてあって、左手を握るとオルゴールが流れる。まずこれを鳴らしてさて次は簡保のフローチャートで自分に会っている保険はなにかと検討。結婚していますかの問いに「してるわけねーだろ」と一人でつっこみをいれて。その隣にあったのが「あなたの声をお聞かせ下さい」の箱。そこでしばし考えている様子。おもむろに「聞きたいのなら聞かせてやろう。おーーーー。」と小さい声でつぶやいた。



12/2  
今回、約一年ぶりの東京。ひとりで出かけるのが億劫になるのは駅の券売機が思うように使えないことが原因の一つ。駅によって、その入り口ごとに違う券売機を置いてあるのでいつもまごつく。この前使えたはずの機械でつまずくのもショックだし。今回はまず、上毛高原駅の機械で「どこが行き先のボタンなんだ」ととまどう。発車時間が迫っていてよけいに焦る。それならみどりの窓口で駅員さんから買ったらと思うが、そうするとますますできなくなるのでとにかく機械に向かう。しかし、券売機で出てきたお釣りというのは信用するしかないといつも思う。上毛高原で一万円札を入れると、お釣りが千円とやたらピカピカ光った十円と百円玉がでてくるが後ろで待っている人がいるのに二枚の切符の合計やら補数計算やらたくさんの小銭を数えるなんてとてもできない。そして急に重くなった財布を抱えて階段を駆け上がるのがパターンになっている。だいたい、ゴッホ展に行きたいとは思っていたが今日行こうと思ったのが朝の7時半、それから子どもを送って洗濯物を干してこんなことなら昨日のうちに済ませておけば良かった伝票書きなどして、さらに主人に「これだけ手伝ってくれ」と言われて箱詰めをして出発したのが9時。ネットで発車時刻も調べられずに途中のコンビニから電話で聞くなどとにかく計画性ゼロ。ただ「ゴッホ」を見に行くだけでなく、ひとりで電車に乗るとか目的地にひとりで行き着く、あるいは欲しいと思ったものを買う・・・といった並べて書くと子どもの練習のような、社会に適応しにくくなってリハビリしているような目的のための一日。
 結局、真っ直ぐ行ける地下鉄とか、もっと有効に使えたかもしれない埼京線とかは使わずに上野から渋谷まで山手線を使うという愚挙ともいえる行動。でも山手線も何度か乗ったけど鶯谷から池袋はほとんど初めてだったからまあいいか・・・と帰りは渋谷から東京までまた山手線に乗ってこれも急いでいるなら京浜東北の快速に乗った方がいいのではと目の前の人がホームの向かいの列車に移っていくのを見て思ったり。
前に東京駅で切符を買ったとき機械を使っているので自信があったのに、外からはいるところでなかったために機械が違って、とうとう「どちらまでおもとめですか」と案内の係の人にお世話になってしまった。「上越新幹線の上毛高原駅」と言えずに上毛高原なんて言ってしまうしお昼も食べられなくてまずい駅弁なんて買っちゃうし、自己嫌悪。夕飯の支度に間に合うようにどうでも5時には家に着きたかったので上野に着いたのが11時半、東京駅を出たのが2時12分、その間に山手線を一回りという東京を知っている人にはあきれかえられるような休日でした。それにしてもすぐそばに住んでいて良い催しにはさっと行ける人は良いなあと実感。たった30分ゴッホの作品を見るのに一日がかりですから。
 しかしわたしはさらに驚くべき、根津(上野の北)から六本木まで歩いた経験もあるのだ・・・とこれはまた後ほどのネタに残しておきましょう。


   
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