私家版読書日記 

 楽しい本、心に残る本、感動で振るえてしまうような本、様々な本の感想を載せていきます。これはほとんど林檎亭家内専用のページです。読書の参考にしてみてください。

 宮部みゆき「おまえさん」講談社文庫 2013/3/3

作者のデビューしたての頃の作品と比べると、全体に自信が感じられるような気がする。キーボードの上で登場人物が歩いたり、喋ったりするのを作者がつっこんでいる。大筋の話とは異なる空樽屋のおきえのこと、「いさご」のお六と彦一のこと、野菜の荷売りをしている丸助のこと、作者がこの庶民たちを愛してやまないのが伝わってくる。今回平四郎の同心仲間の信之輔がはじめて出てくるが彼が女差配にやり込められるところがある。ここがすごい。どう凄いかは書ききれないので読んでもらうしかない。そして信之輔は目を覚ます。

特筆したいのがさらにまたその上を行くキャラクターの登場だ。弓之助の兄で遊び人の淳三郎。彼のこれからの働きが楽しみだ。もしドラマになったらこの役を誰がやるか。

実は宮部みゆきの新作「ソロモンの偽証」をまだ読んでいない。前の「楽園」も落ち着いて読んだのはつい去年だ。こういう現代の問題に真っ向から取り組んだ作品は読んでいてこちらも消耗が激しい。「おまえさん」のような娯楽によった作品ならいつでも何回でも大歓迎だ。

 

佐々木譲「暴風圏」 2013年2月9日

  佐々木譲の作品も昨年はいくつか読んだ。「制服捜査」も印象に残っているが、なによりこの本だ。この本を読んだのが去年のちょうど今頃、やはり風と雪が激しい晩だった。作品もやはり北海道の暴風雪が荒れ狂う一晩が切り取られている。同じ地域にたまたま居合わせた人達。仕事に迷い、人に迷って雪の中に道を見失う。ペンションに逃げ道を失った凶悪犯も避難してくる。ギリギリの状況で暴きだされる本性。夜で暴風雪。この二つの条件が重なって死が迫る。車が雪に立ち往生してしまえばもう一巻の終わりだ。どきどきしながらページをめくる私のすぐそばで窓を吹雪が揺らしていた。臨場感なんてものじゃなかった。

有川浩「植物図鑑」(幻冬舎文庫)

 有川浩の作品に最初に出会ったのは「県庁おもてなし課」だった。読もうかな、とおもったら本を盛大に落としてしまってそのまま買ってきた。これが当たりだった。それからいくつか読んだ。「阪急電車」も「フリーター、家を買う」も良かった。

 この本のカーテンコールの一遍、さやかの家をでて実家に戻っているときの樹と少女のふれあいを描いた章がぐっとくる。樹の自分に真摯に向き合う姿勢。学校で先生に叱られがっかりする少女に、大人も子どもと同じでフツーにちゃんとしてて、フツーにいい加減だと言う。こんなふうにいつも思ってられたらいいな。


2012年に読んだ本 2013.1.21

二月の初めだったかに、けやきウォークにいった。主な目的はマッサージにかかることで予約までの時間つぶしに立ち読みをしていたら予約に遅れてしまったのが、三島有紀子の「しあわせのパン」。この時の反省で次に予定があるときは携帯のアラームをセットしてから立ち読みをするようにしている。これは丸沼高原のcou屋さんを思い出す作品です。

自分がここまで本にとらわれてしまうか、と実感したのが三浦しをんの「舟を編む」。沼田のブックスおみさんで買って片品まで待ちきれなくて白沢のファミマで半分くらい読んだ。もちろんその日のうちに読み切った。これがいま行方不明。私から借りている人がいたらご連絡をお願いします。

そのあと三浦しをんのエッセイを集めた「三四郎はそれから門をでた」を読んだが本なしでは生きられないところがここまで同感できる人は少ない。暮れになって「神去なあなあ日常」の続編「神去なあなあ夜話」がでた。うちの集落にもぜひ平野勇気君を一人リクルートしたいです。ファミマの駐車場で文庫の上下のうち上巻を読み切ったのが沖方丁の「天地明察」。遠くに感じていた江戸時代がぐっと身近になった。

映像になったものばかりのようだが大泉洋が町長役をやる「プラチナタウン」も面白かった。

毛色の違うところでは斉藤孝著「最強の人生指南書」はかばんに入れていつも持ち歩き読んでいる。西郷隆盛も読んだという佐藤一斎の言葉は今に通じる。佐藤一斎の弟子に片品の花咲出身の星野華村という人がいたという資料が残っている。興味深い。

本を選ぶのに読んでいるブログやメルマガの影響は大きい。安宅和人の「イシューからはじめよ」は、ほぼ日から興味を持ったわけだが難しくてまだ読み終えていない。

まだまだたくさん読んでいるがまた今度。  


宮部みゆき「小暮写眞館」講談社 2010/7/18

 こんなに一つの本を繰り返し読んだのは久しぶりだ。六月はほとんど毎日読んでいた。今も枕もとにあって開いたところから毎日読んでいる。どこから読んでも楽しめる。 いまどきの高校生はこんな感じなんだろうか。親を客観的に見て、友達とも適当に距離をとって、女の子ともつきあって、先輩を怖がって、進路を見極めて、バイトもして、気になる年上の女性がいて。充実した高校生活だ。部活ほど厳しくない同好会に入ってて、それでも積極的ではあって。

 他の作品のように犯人がいて、それを追いかけるのではないので安心して読める。何かの「思い」が写り込んでしまった写真の謎を解きながら英一はいろんな人に出会っていく。

 作品の中でいくつか「いじめ」がでてくる。色の黒いことでからかわれるコゲパン。骨ばった体形ゆえに「トリガラ」と言われ、給食の大鍋にはいったブンジ君。そして弟の光も。とくにブンジの告白は印象的だ。いじめた子どもたちよりいじめられた彼を叱った先生。言いなりになるのが情けない・・・と。もちろん、彼は知っている。言いなりにならずに戦ったところで先生は味方についてはくれない。だからぬるりぬるりとサバイバルするしかなかった。しかし、運が悪いとそれすらも出来ず、逃げ場もない子どもたちも大勢いる。学校は閉じられた世界だから。子どもたちの世界も生き難いよね。せめて、学年が変わるまで、中学校に上がるまで。高校になるまで。と我慢してその日その日をやり過ごすしかない。

 英一には四歳のときにインフルエンザで死んでしまった妹がいた。その死に彼は責任を感じている。母も父も、弟すらも自分のせいで風ちゃんを死なせてしまったと思っている。

それがまた家族を一つにしているようだ。 また、英一が想いを寄せる女性が背負っている過去もたいへんなものだ。そのうえ線路に下りた彼女をかばう雇い主の考えがすごい。走ってくる電車を正面から見たくなったなんていうありえない言い訳を、額面どおりに受け取ってそんな大人気ないことしちゃあいけないと叱る。ああ、これはもう読んでみるしかこのすごさは解らない。 そうして出会いがあって別れがあってまた英一は走り始める。


絲山秋子「逃亡くそたわけ」講談社文庫 2010/7/11

 主人公は躁うつ病を患っている。自分では鬱としか思ってなかったので躁状態のときに自殺未遂をしてしまい、入院するはめになった。幻覚や幻聴を自覚して、どの薬が効くかも解っている。精神病の症状って自分で把握してるものなのかと自らの無知が恥ずかしくなる。花ちゃんと、偶然のように誘ってついてきた「なごやん」は病院を抜け出し博多から阿蘇を通って鹿児島まで喧嘩したり助け合ったりして旅をする。脱走患者という立場からみる世界。「亜麻布二十エレは上衣一着に値する。」花ちゃんにはいつも幻聴がつきまとう。

博多弁と名古屋弁が出てくる。標準語を操れるのに博多弁に固執する花ちゃんと名古屋生まれにコンプレックスを持っているなごやん。「しかぶる」「しゃーしい」「そいぎんた」「くそたわけ」などの強烈な言葉がある。

 本の世界はどの作品もそうだけど主人公のある時期だけを切り取っている。花ちゃんにはこういう過去があって今こうしているけれどこの旅が終わったらまた、薬を飲んで世間と折り合いをつけながらやっていくんだなあと納得できる。みんなそうなんだ。昨日はこんなところで寝てしまった。今日はまたここからはじめるしかない。それでいいんだ。ときどきゆたーとできたらそれでいい。


読書日記 2010/4/30

「ひと夏の旅」 ドロシー・ギルマン

 おばちゃまシリーズでおなじみのドロシーギルマンの作品です。妻を亡くして幼い娘を育てあぐね孤児院に預けていた父親が、娘に会いに行くところから始まり、成り行きから五人で南を目指す旅に出ます。優秀なプロデューサー、アナブルの力でクラウンの仕事に付いたりアイスクリームを売ったり親子と連れはひと夏の間に自信をつけていき、また、アナブル自身は父親と娘の生き方から様々なことを学ぶ。彼女が親子を自分がそれまで知っていた人達とは違う、本物の偽りのない人間だというところがある。それまで自分が属していた世界の価値観は通用しないと言う。人と付き合うことの大切さ、信頼、尊敬を学んだという。

 毎日、悲惨なニュースが続いている。親が子を殺し、子が親を殺す。あんまり毎日続くのでもう、どこで起きた事件か覚えていられないくらいだ。こう続くと慣れてしまうように思えて怖い。作中のアナブルが学んだことをみんながもう一度学べたらいいのに。と思う。



読書日記
2010/4/17


「ラララ親善大使」 小学館 紺野美沙子

1998年に国連開発計画(UNDP)の親善大使に就任した紺野美沙子が七カ国を訪問したレポート集です。カンボジアやパレスチナなど今とは政治状況が異なっているところもあります。それらの国に行って実際に日本が支援して出来た施設を見学したり、貧困の有様に胸を衝かれたりする見聞録です。貧しい国々ではまだまだ人身売買も横行しています。アフリカから新天地に送られた奴隷たちの苦しみ。まだ50年と経っていないカンボジアのポルポト政権による虐殺の歴史。そうした事柄に直面していたときに日本のトップニュースが「トキの赤ちゃん誕生」だったことから世界のことをわかりやすい言葉で発信しようと決意したとあります。

印象に残ったのはブータンです。国王陛下が唱えた「GNH」グロス・ナショナル・ハピネス・・・国民総幸福量という考え方。足るを知る。人と比べることなく、自分自身の幸せのものさしを大切にする。そして、感謝の気持ちを持ち続けること。物欲にまみれたニッポンと対極にある考え方。

紺野美沙子のレポートは日本の援助が単に何かを作るだけでなく、現地の人に機械の動かし方や整備の仕方を教え自分たちが引き上げた後も残された機械が生かされるようにしていること、農業の分野では自立できる人材を育てることなどきめ細かいことをを教えてくれます。

私がこの本を知ったのは、今はなくなってしまったTBSラジオの土曜朝の番組でした。中村尚登ニュースキャスターがメインでいろいろな本も紹介されていて「び〜さん屋源兵衛物語」というビーチサンダルをいろいろ作ったお婿さん(今、本が見つからないのでうろおぼえ)の本も買いました。この本で事業がうまくいかなかったときでてきた「言い訳はしない。出来ることは全部やる」というフレーズに励まされたことを覚えています。


読書日記  2010/4/11

「食堂かたつむり」「みをつくし料理帖」

 もっと頻繁に更新しようと思うのだが、書こうと思っているうちに違う本を読んで次々に書きたくなってしまうので困る。

 食事にはあまり拘らない生活をしている。特に大人たちだけになってからは料理も手間のかからないものばかりになっているが、ここに来て料理人が主人公の本を二つ続けて読んだ。

 一つは「食堂かたつむり」。柴咲コウが主演で映画にもなった作品。ちなみに映画は見ていない。恋人に一切合財を持ち逃げされた主人公が実家に帰ってきて食堂を開く。大好きだったお祖母ちゃんのぬか床だけが心の拠り所であるようにして。やがて、彼女の作る食事で癒される人たちがいて、周りの人たちとのやりとりもあって、母親の病気が発覚して・・・。

 この中でインスタントものしか食べていなかった少女が祖母と暮すようになって煮干で出汁をとった味噌汁を飲み、料理に目覚めていくところがある。少女はやがて料理人になるが祖母の教えを守って料理に心を込める。こんな風に毎日毎日に心を込めて暮せたらいいけど、と思わせてくれる。

 食堂がお見合いに使われる場面がある。地元の農家の跡取りと学校の先生。思案の末、野菜だけを使ったフレンチを作る。食べ終わって感動している二人にどこで取れた野菜かと聞かれ内緒にしてあったが全部跡取りさんのうちで取れたものだと明かす。農家には自分のうちで作っている野菜に誇りを持てていない人もいるという、だからいやいや跡取りをしている人もいるということだ。野菜自体に力があれば野菜をメインにした献立が出来る。野菜農家には嬉しい一節だ。

さてもう一つは流行の時代小説だ。本屋から足が遠のいているうちに時代小説の分野には魅力的なキャラクターが次々生まれているらしい。それらすべてを友達にするにはこちらの掛かりも大きいし図書館は遠いし思うに任せない。そんな中シリーズ一作目を読んでどうしても二作目が欲しくなったのが高田郁(かおる)の「みをつくし料理帖」だ。訳あって両親をなくし、上方の料理屋で奉公していた「澪」が江戸に来て、蕎麦屋で働き出すところから始る。同業者との絡み、昔馴染みの行方がわかったり、近所の人たちと助けたり助けられたりの日常が丁寧に描かれている。その中に料理だ。旬の食材を丁寧に料理していく様がなんとも羨ましい。

料理とは離れるが働くことの心構えみたいな一節がある。「澪」の店に住み込みで働く下足番の娘の弟が奉公先で叱られて飛び出す。何日も探した挙句、子供は見つかるが奉公先に戻るのを嫌がる。哀れんだ澪の店の主人が子どもを引き取ろうと提案するが澪のもともとの雇い主の御寮さんが店主を諭すところがある。

「奉公始は一番大切なときだ。六つ七つの子が奉公先が辛いから逃げることは良くある。けれど、その尻拭いを他の者がしたのでは、これから先も嫌なことから逃げ出す一生になってしまう。」と苦言を呈する。澪もまた「甘えさせてもらえるなら際限なく甘え、優しくされるのが当然になってしまっては駄目だ」と話す。先々のことを考えてこの子の我慢を信じてやる、ということか。学校を卒業して勤めに出ても三ヶ月で辞めてしまう若者の多い今の時代に向けた作者の意図を感じてしまう。


読書日記 2010/3/25 (の)

 ぼくには数字が風景に見える  ダニエル・タメット

 ダニエル君はアスペルガー症候群。脳の一部がうまく働かない。それを補おうと脳の異なる部分が発達していく。ダスティン・ホフマンが演じた「レインマン」で有名になった数字にめちゃくちゃ強い特殊な能力を持っている。

 自閉症もあわせて持っているのでとにかく周りの人と適当な距離をもつことが出来なかったり、空気を読むことが苦手。決まった順序に物事が進まなくなるとパニックをおこす。

そんな自分の特性を客観的に把握してどういう準備をしたら周りに迷惑を掛けないか自分が快適かを考えてむしろ積極的に世界に関わっていく。

この本に書かれていることで私が解らないのは数字が共感覚を持って見える。ということだ。まったく解らない。ただもちろん今までも知ってはいたことだけれど、自分がわからない感じ方をする人が世の中にいる。ということをもう一度確認した。ダニエル君ほど飛びぬけていなくても、同じ事柄に当たっても違う感じ方をする人はいるしそれを違う現し方をする人もいる。そんなこと。


読書日記                   2010年3月10日

 三年ぶりに読書日記を書くことにしました。(の)

まず昨年のBEST3を紹介します。私の誕生日に主人が単行本を上下で買う暴挙を果たしたのが宮部みゆきの「英雄の書」これは読み応えがありました。結末にはいまひとつ納得がいかないところもありますが、人間の業とか原罪について考えました。ファンタジーと現実が混ざり合い作用しあって息をつがせぬ展開が続く、さすがは宮部みゆきといった作品でした。同じく単行本で「おそろし」というのが出ましたがこちらも本のなかから心の中を見透かされるような感覚に陥る傑作でした。

私はあまりコミックは読みませんが、飛鳥新社からでている「トーキョー無職日記」はお薦めです。イラストレーターときどき漫画家のトリバタケハルノブさんが書いてブログに載せていたものを本にまとめたものです。これは何度も何度も読みました。自分を率直に分析して、過去を振り返って反省して、生き急いで疲れたり、共感するところだらけです。主人公は勿論、周りのキャラクターも「こういう人いるなあ」と思わせる。みんなで本を買って早く第二弾を単行本にして欲しいです。

さてなにより昨年のサイコーの本は三浦しをんの「神去なあなあ日常」にきまりです。

なんとなく進路も決まらぬまま高校を卒業した勇気は母親と担任の謀略で林業の研修生として神去村に送り込まれます。そこで魅力満点の田舎の人間たちに出会い、一年を過ごすうちに成長していく。それがすうっと納得できる作品です。まあここまで素朴な林業の村がほんとうにあるか、そこに送り込まれてこんな我慢のできる素直な若者が今時いるか、とか疑問はありますが、日本もまだ捨てたもんじゃあないのではと思わせてくれます。

昨年の秋、静岡で林業をやっているお客さんがきたのでこの本の話をしたら知っていてドラマか映画になると言ってました。おやかたさんにはぜひ佐藤浩一を充てて欲しいところなんですが作中では40歳前の設定になっているので無理かなあなんて言って盛り上がりました。最近の版は宮崎駿さんのお薦めの帯をつけて店頭に並んでいます。この本を私に薦めてくれたのは沼田のいつも行く尾身書房のミネ子さんです。ミネ子さんのお薦めに外れはありません。

 昨年は他に堀井憲一郎の「青い空、白い雲、しゅーっという落語」「落語の国からのぞいてみれば」を読みました。楽しい本です。

また思いついたら更新したいと思います。ながい感想にお付き合いいただきありがとうございました。


読書日記 2007/3/7

 「沈まぬ太陽」(アフリカ編)山崎豊子

 最近企業小説とでもいう分野が面白くなってきた。NHKで始ったドラマの「ハゲタカ」に触発された態だ。江上剛の「非情銀行」、「腐蝕」の二つを読んだ。サラリーマンって大変なんだな。これから社会に出る自分の子供たちのことを考えてしまう。とってもこんな複雑な人間関係に対処できないに違いない。「沈まぬ太陽」はたまたま買った週刊誌の記事に名前があった。沼田の図書館で借りたのだけれど、なんと貸し出しカードが二枚目がいっぱいになっていて三枚目をその上に貼り付けて返却日のスタンプを押してくれた。こんなに借りられていた本に当たったのは初めてだ。

主人公が次々と追いやられていく僻地の日本とはまるで違う文化、習慣、衛生。最後のナイロビでは孤独との戦い。気持ちを強く持ってやっと帰ってくることが出来るまで、腐らずに一枚でも切符を売るために営業に歩く執念。自分の仕事に誇りを持ち続けていられたのは自分でその仕事を貶めなかったからではないかと思う。

「春になったら苺を摘みに」梨木果歩

 昨年買ってざっと読んであとでゆっくり読みたいと思っていた本。どういう育ちの人か良くわからないけど大学の途中で英国に留学したらしい。その頃の回想や、あちこち旅をしたさきでの出来事を書いたエッセイ。「西の魔女がしんだ」「裏庭」などを読んでいるのでそこにつながる精神世界の原点が窺える。

プリンス・エドワード島を訪ねるときの話や関空に行く電車で乗り合わせた日系アメリカ人の話が印象に残った。日本人が歴史の中でどのように扱われ、どんな思いをしてきたか。日本の田舎にいては味わうことのないいろいろな出会いがある。日本人とイギリス人が先の大戦についてやりあう場面。お互いが知らないもの同士だと余計に高まる偏差なナショナリズム。とにかくこの薄い本にいろいろな人種の人たちが出てくる。ナイジェリアの部族の王様からムスリム。イスラエル人でカナダに住んで自閉症のこどものサポートをしている夫妻。そして9.11。またそれから五年。自分が今何処に立っているか、何処に向かっているのかを再考させられた。

イコン フレデリック・フォーサイス 2007/2/9 

 1996年に日本で出版されているこの本は1999年のロシアが舞台だ。前半ではそこに至るまでの経緯、後半では数日間の息詰まる攻防が描かれている。ロシアという国はスパイが活躍しやすい背景があるようだ。いや、日本でも私などが知らないだけで、裏の世界の攻防は日々展開されているのかもしれないが。たまたま、佐藤優の獄中記も読んでいてそこにロシアやチェチェンの事が出てくるので現実が重なって面白かった。


誤殺 リンダ・フェアスタイン 2007/2/1

 今まで殺人事件を解決する検察官には普段の生活はないと思っていた。事件が終わるまではそれにかかりきって夜も寝ないと思っていた。しかしこの主人公は事件を抱えながら、それも被害者は友達で、現場は自分の別荘のちかくで、更に容疑者は自分のボーイフレンドだというなかで、雑誌記者のインタビューをうけたり、他の沢山の事案について法廷に行ったり、部下を励ましたり、上司に報告したり、クイズ番組の答えを考えたり、更には運動不足の解消と気分転換にバレエのレッスンを受けたりしているのだから驚きだ。一緒に事件を追っている刑事は働きすぎを注意されて年休を取ったり、四時からのシフトで出勤したりする。作家が現役の法律家で実際主人公と同じ検察官なので勢いリアルになるのだろう。事件とその経過も興味深いがこうした周辺がしっかりしていることが作品を盛り上げていると思う。


「野の花のように」 ロザモンド・ピルチャー 2007/1/14

羊が群れを成すヒースの丘。いくつも連なる湖。何百年も変わらずにある石造りの家。スコットランドの高原地方にあるベンコイリー。またロンドンにほど近いウッドブリッジ村の居心地良く整頓された家。登場するあまたの人物をありありと思い描くことの出来る描写。いくつかの偶然が出会いと再会を造る心地よいストーリーの流れ。本を広げているのが氷点下に雨戸を閉め切った部屋の布団の中でも、遠くどこまでも旅をすることが出来る。

主人公の悩みを一緒に悩み、彼氏の身勝手を一緒に憤慨し、しばし現実を忘れる。素敵な本です。

「魔女は夜ささやく」ロバート・R・マキャモン

 暮れに買った太田光の「トリック・スターから空へ」の中で紹介されていた本。この人独特のちょっとホラーがかったミステリー。アメリカが開拓でどんどん広がっていた時代の新しい町を起こそうとする人間とそれを阻もうとする人間、更に殺人犯と被害者、インディアンと白人、雇用者と被雇用者。さまざまな人間の愛憎が描かれ、血なまぐさい場面も多く、しかし読後がさわやかという不思議な本。

 イギリス本国から飛び火した魔女裁判。この町でも続いておきた不幸の原因をポルトガルの血を引く女性にかぶせようとする。判決が下り、もうなすすべはないという家政婦に主人公が問う。「生きていくことの意味は何でしょう。真実が護るに値するものでないとしたら。」こんなにストレートな問いかけもあったことをもう、何年も忘れていた。



今年の読書 2006/12/26

 振り返ってみると、今年も結構本を読んだ。一息に読んだのは宮部みゆきの「名もなき毒」。もう一度、じっくり味わいたい。同じ頃読んだ荻原浩の「コールドゲーム」。これが今年一番怖かった本。昔の同級生が次々殺されたり、殺されかけたりしていく。出席番号順というのがすごい。最後に主人公が後ろ手に縛られながら携帯で助けを呼ぶ。「自分を助けるのは自分しかいない。あきらめたら終わりだ。」と。これをいつも思い出した。同じ作者の「神様からひと言」は映像化されるらしいが、痛快。「噂」という本も面白い。一番最近読んだのが「メリーゴーランド」これは一回読んだだけなのでもう一度、細部に注意して読みたい。いろいろ含みがある。

 さて昔から追いかけている作者の一人が「ミセス・ポリファックス」シリーズのドロシーギルマンだ。先ごろ訳された「キャノン姉妹の12ヶ月」は前にも紹介したが片品で暮らす私には手放せない本になっている。同じように今年何度も読み返したのが「テイル館の謎」。大きな企業のCEOの一人息子に生まれ、自らもミステリー作家の道を踏み出しながら飛行機事故のトラウマに捕われているオリバーが大伯母の残した家屋敷に住み続ける人たちによって救われる話だ。「キャノンー」でも描かれた都会と田舎・・・何もかもあるところでの暮らしと何もない中で暮らすことの豊かさが対比されている。人間に一番必要なものは何か。

「アメリア・ジョーンズの冒険」も面白い。作品の中に出てくる台詞で「愛されずに育ってしまう人は案外多い」というのがあるが、これは愛されずに育つとそれだけで精神的に欠けていると思っていたけれどそれは不幸な個性の一つと片付けられているのがうれしい言葉だ。
 今、太田光の「トリックスターから、空へ」を読んでいる。難病でアメリカにわたって移植手術を受けた芸人がラジオで太田光に助けられたいきさつを語って以来、ただのお笑い芸人ではないと思っていたが、この本はその考え方がストレートに書かれている。年齢が近いこともあって時代の捉え方が解りやすい。戦争や、時事問題についての意見も共感できる。このなかで紹介されている本が「魔女は夜ささやく」というロバート・R・マキャモンの本だ。まだうちにパソコンが来る前、便りにこの作者の「少年時代」のことを書いたことがあるが並べて紹介されている。もう一度読みたい。

「国家の品格」と「祖国とは国語」を買って読んだ。東京に行った息子は本を読んでいるだろうか。人生に大切な事柄を決めるこれからに備えて大局的な見方が出来るようにとにかく、読書だけはしてほしい。


  
  不撓不屈
 高杉良 2006/6/20 (の)                          

 私の実家は椅子の修理や製造をしている小さな小さな町工場だが憶えている限り昔からTKCの記帳用のノートがあった。見開きの左側に帳票類をのり付けするページがあって右側に項目ごとに金額を記入するようになっている。小学生頃からのり付けや計算をする父親を見たり自分も手伝ったりして普通に勘定科目の言い回しなどに親しんでいた。その欄外になにか心得めいたものが小さく印刷されていたようにも思う。あれがこの今度映画が公開される不撓不屈のご当人飯塚毅氏その人の創り出したシステムそのものだったとは。それにしてもこの精神力。正義を貫く気骨。どこから生まれてくるものなのか。英語はおろかドイツ語も自由に操り、講演を依頼されればその国の出版物に取材して原稿を用意する。それも一冊や二冊ではない。この自分に課題を持ってあらゆる事に望む姿勢。まったく告発しようともくろんだ人たちとは次元が違いすぎる。今元気でいたら、昨今の自分の利益を最優先する、そうして裕福になっていく人たちをもてはやす風潮をどうご覧になるのか。残念に思うのは、もっと世間に下りてきて、政治や経済を変える影響力を発揮してほしかった。
長く生きて企業人としてその不屈の精神力をもって社会に影響してほしかった。凄い人というのはメディアに現れにくいものなんだなと思った。これは新聞やテレビが取り上げないのか私の接するメディアが偏っているのか、ともかく映画や本を通じてこういう人が同じ時代日本にいたということを広く再確認できることは良かった。


 
 国家の品格
 
藤原正彦 新潮新書 (の) 2006/2/27
 
 いちばん嬉しかったのは47ページにでてくる「人を殺していけないのはなぜか。」の答え。「駄目だから駄目」という一節。私はそれで納得がいっていたけれどこどもに「それじゃあ説得されないぞ」と挑まれるとどんな理由を考えたらいいのか困った。戦争状態を引き合いに出されたりすると弱った。しかしここで「重要なことは押しつけていいんだ。」と書いてあるとほっとする。
 藤原ていと新田次郎の次男と紹介されている著者は外国で生活したこともあって日本の良さを外から良く見つめている。昭和18年、旧満州生まれとあるからきっと戦後の価値観の変動の渦を生ききってきたんだろう。日本はそれまでの「鬼畜米英」や「天皇は現人神」という考え方を押しつけていたやり方の反動で押しつけて然るべき事すら
押しつけなくなってしまった。年長者を敬うとか、卑怯を憎むといった当たり前のことを教えられなくなってしまった。
テレビの普及が一因になっているかもしれない。先頃の時間外取引による放送局の買収など卑怯の範疇には入らないのだろうか。
 日本には誇れる物がある。誇れる人もいる。この文化。この自然。この考え方も歳いった人たちが懐かしむのでなくこれからの時代を生きる人たちに読んで気づいて貰いたいものだ。
 



 
哲学 島田紳助・松本人志著 幻冬社文庫刊 〔と〕2006/2/3

エッセイはたまに読む。たいていが落語とかお笑いとか、特に気にかけている作家などのもので、量とすればホンのわずかだ。

 この本は痛快だ。テレビ番組を見れば、二人がタダモノではないことくらいは俺にもわかる。そのどこがどうタダモノではないのかが解る本である。

 二人が、交互に自分の考えを本音で語るエッセイ。芸能界に入ったきっかけから、将来の予測までしてしまう。子供の教育についても語っている。読んでいるとただただ、こいつ等はすごいやつだ、タダモノではないと感心してしまう。

 紳助の「漫才の教科書」75ページはすごいなー。

 しかしそれに比べたら、俺なんぞ、農業を生業としているけれど、何をしてきたのかわかったものではない。

 年末にM1グランプリという特番がある。紳助が審査委員長で隣に松本も座っている。ほかにもなかなかの連中が顔をそろえているが、俺はこの二人の点数の出し方にいつも注目している。ネタの楽しみに加えて、この審査講評も一つの楽しみである。厳しい評価を通して漫才のもつ楽しさが倍増すると考えている。

 この本を読んで見ると、漫才やお笑いというものの姿が見えてくる。これは、名著の一つではないだろうか。


虹よ、冒涜の虹よ・上下巻 丸山健二著 新潮文庫刊  2006/1/29〔と〕読書日記初登場

 5年ぶりくらいに小説を読んだ。オール読み物などに掲載されている短編はいくつか読んだけれど1冊の小説は本当に久しぶりで、そのことだけでも充足感がある。読み始めて1年が経つ。950頁ほどの作品の80パーセントは今年になってから読んだ。何を読もうか考えたときに、丸山健二なら間違いないだろうという判断だった。間違いないという意味は、読み応えがあり感動させてくれるだろうと言う意味である。その判断は、国語の教師をしていて、自らも小説を書く友人が薦めてくれた作家だからでもある。

 あらすじは、普通の家庭に育った35歳の新進気鋭のやくざ「真昼の銀二」が、暴力団の組幹部二人を殺害し、逃亡先での数十日を描いた作品。
 逃亡中に自らの生き方の象徴ともいえる虹の刺青を入れる。小説の全編を通して、自心にその生き方を問いかけ、木彫りの仮面を通してその内面に迫る。銀二を追いまとう死神が、銀二の生き方を問い詰める作品である。

 わからない言葉が多く、いくつもメモして後で辞書を引くという作業もあった。たとえば聞きなれない言葉で、麦雨とか陰雨など、意味がよくわかるとさらに文章の理解も深まった。
 たとえば次のような文章は、本当に小説を深く楽しむことができた。

 「月は太陽の力を借りて放射する光を自ら賛美している。恐るべき生殖力が、夜中も尚、野を一面に覆っている。時間つぶしに打ち寄せているようにしか思えぬ波は、毎回毎回飽きもせずに、ありとあらゆる出来事が仮初めであると囁いている。」。

 これはたまたま開いた場面を転記しているに過ぎないけれどこんな表現もあった。
 「莫大な闇が、圧倒的な力強さで夜を獲得してゆく。
 どこもかしこも夜の勢力圏内に組み入れられていく。」
 
 この作品を読んで、人生の終盤を迎える歳になり、自らの生き方、考え方を再思考し、新たな目標の構築を迫られたのです。
す。


レモンさんのPTA爆談 小学館 山本シュウ (の)2005/8/22

 この本もラジオで、ゲストに著者が登場して紹介されたものです。絶対読みたいと思ってでも別にすぐでなくてもいいと思い町の本屋に注文しました。もちろん、行きつけの沼田にあるブックスおみです。ところが注文から入荷まで一月かかりました。7月11日に頼んで8月13日に入りました。同じ日に注文した小西克哉の「バイリンブック」も三週間かかりました。なんでもネットで即日手に入る時代にこの遅さはなんなんでしょう。「特急便にしなかった」と本屋さんは言います。いつも「特急で取り寄せようか。」と聞かれると「その分余分に手数料がかかるなら・・・」と遠慮して(その分請求されたことはないので)「いいよ普通で」と答えてしまいます。もちろんすぐに欲しかったら迷わずネットで頼みます。アマゾンなら4日とかからないでしょう。しかしみんながそうしたら本屋さんが無くなってしまう。それは自分としても困るわけで。友達かどうかの前に、あてもなく本屋に行って背表紙を眺め至福の時を過ごす。この時間を失いたくないので。独身時代に仕事の帰りに白亜書房へ寄って、やまだ屋へ寄って、中村書店によって、そのあと名前も忘れたけどもう何軒かはしごして、どの店にも特色があってこういう本ならあの店に行こうとか考えられたのにいまはもうどこもやめてしまい、教科書を扱っている店とコミック専門の店と似たような店しか無くなって。哀しい限りだ。子供達に本を好きになってもらいたいならもっと本の流通業界は構造改革が必要ならしっかり改革して生き残りを図って欲しいものです。

 この本はおもしろくて一人で何度も笑ってしまいました。どこがどんな風にというのは言えません。ぜひ皆さんも大きな本屋さんに行ってあるいはネットで手に入れて地域で子供を育てていくことについて考えましょう。 教育をやる人にはどうしても読んでもらいたい一冊です。学校の不思議な思い違いみたいなものがいっぱい出てきます。

「国家の罠」外務省のラスプーチンと呼ばれて 佐藤優 新潮社 2005/7/12(の)

 これは2002年に話題になった外務省と鈴木宗男衆議院議員の贈収賄などの一連の事件を廻る内幕手記です。いつも聞いているTBSラジオのストリームの中でパーソナリティーの小西克哉さんが勧めていたので早速買いました。事件を作り上げた検察庁とのやりとり、当事者となった何人かの様子、なにより拘置所内の日常の様々が克明に描写されていて面白く読みました。
 正直に言うと宮部みゆきや横山秀夫の小説を読むようなわけにはいかず、ここ何日かは畑仕事で疲れ果て、夕飯の後片付けをそそくさとすませ寝間着に着替えてこの本を開き、読めるところまで読んでそのまま寝てしまうという日が続いた。寝付く前にメガネをどこに置いたかわからないこともあったからよっぽど疲れていたんだと思う。それでもなんとしても読み終えたいと思ったのはこの本の初めの方にあった「日本人の実質識字率は5%」という言葉に反応してなんとかその5%に入りたいと思ったからだ。最近面倒になって感心がない新聞記事は読まなくなっている。それがどこの時点から「読めない」に変わるのか。年を重ねるうちにそうなっていくのが怖いと思い、この本もスラスラ読めないだけに「途中ではよさないぞ」と思った。
 外務省と国家と大臣と業界と検察・・・。何が正しいのか、誰が嘘をついているのか、運が悪かったのか、生まれる時期を誤ったのか。ただ物事が一面からだけでは語れないこと、報道されていることが事実とは限らないことは納得できた。またこの中に出てくる公平配分路線から傾斜配分路線への内政における転換とか時代のけじめという考えはわかる気がする。よく複雑な流通経路をして「日本型福祉社会」とか言われていた物が輸送形態の変化によって流動化してきているのもそういったことかと前から考えていた。
この人の凄いところは512日の拘留生活の中で220冊も本を読んだことだ。そして拘留がもたらす心の状況を把握し、孤独や隔離が本心を裏切らないように自制したことだ。  希望としては仕事や何かが一段落したらまた読み返したい。
 

「壁を破る発想法」 佐藤満 日経BP社  2005/4/14(の)

3月の16日に筆者が沼田で講演会をした。私も行きたかったが主人が行って私はバイトを休めなかった。帰ってきた主人に感想を聞くと「すごく良かった。今まで俺たちのしてきたことはなんだったんだろうと思った。まったくおまえもそうだ。」という答え。私の生き方がいかにちゃらんぽらんなものだったとはいえそれを全否定するほどとはどんな話だったのか。詳細を聞いても「ホテルで灰皿に紋章をつけるんだ。」・・・などと言って要領を得ない。そこで沼田の本屋をあちこち探したが著書がなく仕方なく宅配で取り寄せた。何冊か本を出しているがこれが一番講演会の内容に近いように思う。
確かに今までの時間の使い方、仕事に対する姿勢、問題にぶち当たったときの対処の仕方など目からウロコの話も多い。なんに対しても、特に難題に対して前向きだし、売り上げが伸びないのは社員が悪いとか景気が悪いとかではなくて原因はすべて自分にあるという考え方もすごい。
具体的に自分に生かせる手法もいろいろ紹介されている。「物事を単純化し集中し全速力で取り組む。」「全部を完璧より小さいことから今すぐ」とか、「サービスの基本は、一回の例外もなく持続性を持って同じサービスを提供すること」などなどアンダーラインを引きたいフレーズが一冊の本の端々に散りばめられている。
今度はじめて本屋のビジネス書の棚の前に立ってみた。これまで自分には縁がないと思っていた棚だ。
ほかにも魅力ある本が見つかるかもしれない。とりあえず次は同じ筆者が週末の農業体験について書いた本を注文してある。それがくるのが楽しみだ。


「日暮らし」 宮部みゆき 講談社 20005/1/31 (の)                          

 ひさしぶりの宮部みゆきの新作だ。私は月刊誌は読まないので連載しているときは一度も読んだことはなかった。謎解きや弓の助の活躍もさることながらそれぞれのキャラクターがよく描かれていて楽しい。町役人の主人公ののんびりぶりもいいし岡っ引の政五郎や佐伯という同心、久兵衛やお徳の人柄がすぐそこにいる人のように感じられる。
 特に今回読み終わって残ったのはお徳を手伝う庖丁人の彦一が出奔したおみねを探し当てた後スケベ爺の囲い物になっているのではかわいそうだと言い出すところで平四郎が説いてきかす所。彦一がそんなことを言い出すのはおみねの色香に狂ったのではなくただ今の自分のある場所からただ逃げ出したい口実を探しているだけだということに気付き、自分が人を追い抜いたからといって後ろめたく感じても追い抜いた人を救うことはできない。女が身を持ち崩したとしてもそれは自分で選んだことで結局は自業自得。他の誰かにどうすることもできないんだと説くところ。
 こどもにも言うことだが自分の人生は自分の努力の結果。どんなに自分に言い訳しても人のせいにしても、結果は結果として出てくる。それが妙に胃の腑に落ちた気がした。
 湊屋を離れた新しい事件で二人が活躍してくれることを願う。また前編にあったような短編でテレビドラマになって欲しいと思う。神木竜之介クンが弓之助を演じられる年でいるうちにぜひ・・・。


「キャノン姉妹の一年」 ドロシー・ギルマン 集英社文庫 2004/12/9
 
 おばちゃまスパイシリーズでお馴染みのドロシー・ギルマンの初期の頃の作品です。貨幣価値が全然違うところにそれがうかがえます。両親を突然事故で失い、それぞれに叔母に引き取られ違う環境に置かれて、思春期を過ごした姉妹が一緒に自立した暮らしを始めます。後見人だった叔父が残した家に入ったところから始まり、ほとんど一文無しの二人は薪を割り、パンを焼いて暮らします。湖に面した部屋を夏の間、B&Bの形で貸し出したり、叔父の残した骨董品を売ったり(知識がないためにひどく安く売ってしまったり)、自分の食べる野菜を作り、野生の苺やブルーベリーをつんで自分を養います。一年の間にお隣さんと知り合い、村に溶け込み、自然を愛でる。マサチューセッツ州の湖畔の気候は片品に似ているようだ。春の訪れは遅く、夏はあっと言う間に過ぎる。 そして長い冬。しかしそれは冬眠の季節ではなく村人の社交の季節。スケート、読書、雪かき、クリスマス。そして春の計画。一年の間に、何もできなかった娘達は料理をおぼえ、裁縫をおぼえ、魚釣りをおぼえ、そのほか暮らしていくために必要な様々なことを学んでいく。人との交際、自分を見いだし自信をつけ、自分に必要な人を見つける。これ以上の成長はないだろう。新しい年に隣人から鶏をプレゼントされ、二人の生活はどんどんシンプルで豊かなものになっていく。最後に訪問したニューヨークの便利な生活からまた湖畔に戻るのを喜んでいる二人は今年は蜜蜂を飼おうと計画する。多分これに成功したら次はリンゴを植えるに違いない。作者の夢、理想の暮らしがこの本には余すところなく描かれている。
 何カ月ぶりかで時間を忘れて本を読んだ。


 「僕が笑っている理由」 金子貴俊 集英社be文庫 2004/6/9

 発売当初から探していて三刷になってようやく手に入れたこの本。なかなか正直に書いていると思った。ほんとうは高校だって留年も退学もなく行ける力を持っていると思うけど。その日その日をやり過ごすのに精一杯で自分の気持ちを保ち続けられない。環境って大事だなと今更ながらに思う。それでもここまで振り返って書けるのはすごい。書くという作業はきっと苦しく、大変だったんだろうな。別に仕事もこなしてるわけだし。
 ほかにも並みでない経歴を持ちながら芸能界で生きてる人もいるけど、これは他の社会より開かれてるからかしらん。生まれや育ちが全てを決めない、個々の努力がものを言う。どこでもそれはそうだけど。
 


  「獄中記」 ジェフリー・アーチャー アーティストハウス 2004/3/22

 「百万ドルをとり返せ!」から始まって私は正統派のアーチャーファンなので実刑のニュースには驚いていた。そんな中で去年は「運命の息子」を出しているし・・・。今度は又「転んでもただでは起きない」というか、まったく見上げたものだ。三週間の一日一日まるで一緒にマスコミ攻勢ににおびえ、がなり立てるラップ・ミュージックに眠られぬ夜を過ごし、開放的な刑務所に移されることに胸をなで下ろすこの引き込まれる書き方はどういうことなんだろう。
 塀の中から見たイギリス社会。これからきっとこの人にしかできない働きをするんだろう。囚人達の中にもファンがいたり、囚人一人一人の状況を観察する目はすごいと思った。周り中に並々ならぬ関心を持って接していき、元々持っていた品性からか尊敬を得たり、誰にも話したことが無いという生い立ちをうちあけられたり。本の中でJ.グリシャムを彼自身そう評しているけどこの本の作者こそストーリーテラーは他にいないと思う。
 この人の作品の中で一番好きなのは「十一番目の戒律」。こういうワクワクするものをこれからも書いて欲しい。


   「りかさん」  梨木果歩 新潮文庫  2004/3/15

 これはまったく不思議な本です。人形達が泣いたり笑ったりします。その人形の持ち主の感情の濁りの部分を吸い取ってくれるのが人形だという定義の上で様々な事柄が動いている。一話の背守ではそういった人形の役割というようなことが語られる。またりかさんという主人公の蓉子を導く立場の人形が紹介される。この人形がすごい。雛祭りに飾られた様々な人形達の思いが次々に語られて息もつげない。人間の欲や思惑で大切な持ち主から離されたりひどい目にあったりした人形達。二話のアビゲイルは想像が付きましたが青い目の人形でした。戦時中に憎しみの的になってそのまま思いが残りそれが持ち主の家族に災いをもたらしています。りかさんの導きで絡んだ糸をほどいたおばあちゃんと蓉子は同じ価値観を持つ同士として絆を深める。蓉子がひとりで帰る道で桜の古木に腕を掴まれるシーンは怖い。そうしていろいろが終わってその古木を許そうとしたときすでに切られて無くなっている。そこで初めて蓉子は草木染めを経験する。やがてそれを生涯の仕事にするまでになるのだがこの時蓉子は人形や木や人のそれぞれの物語を聞く人になりたいと願う。何とまっとうな成長か。
 とにかく泣けて不思議の世界に身を委ねる快適さを味わった二時間でした。今年のお勧め第一冊。


    時計坂の家  高楼方子 リブリオ出版  2004/3/1

 今年最初のファンタジーの本。フー子は従妹の便りに誘われて母の実家を訪れる。そこで出会う不思議な体験。従兄弟達とのふれあい。自分に自信を持ったり、行方不明の祖母について哀れんだり、怒ったり。自分の知らなかったことを知るたびにいろんな感情を覚えていく。懐かしい時代。地名もいい。汀舘やら、時計坂やら。
 ただ一番心に残ったのは、あちらの世界にいってしまった祖母を追っていかなかった祖父の一言。「私はこういうものを善しとしない。」一人一人が違う価値観を持った存在だということ。大人ならどういう生き方をしてもそれは本人の自由だという祖父。こういう強さはなかなかいい。

 気が付いたら10ヶ月も本を読んでいなかったようだ。今年は読むぞ。子どもの成長や(進学や)、仕事や雑事に追われながら一時逃げ込める私の場所。それがどこでも、布団の中でも、新幹線のせまい座席でも本があればそこが私のくつろぎの場所。楽しい本に、時間を忘れさせてくれる本にいっぱい、出会えますように。
   HOOT カールハイアセン 理論社刊   (の)2003/5/2                                 

 寝る前に読む本何か無いかな・・・といつもの「ブックス・おみ」で見つけた本。前に「ラッキーマン」が置いてあったところにあった。新聞の一面の下にある紹介欄に見つけたのは買ってきてから。「あれこんなところに」と思った。
 装丁が変わっている。青一色の表紙に目玉が二つ。これが何かは読み出すとわかる。パソコンがトラブっている実家に行ってウィンドウズのバージョンアップをしたり、再セットアップをしたりして費やす待ち時間の為に持っていったら、ほとんど一日待ちだったのにちっとも苦にならず読み終えてしまった。キャラクターがいい。主人公のお父さんがいい。なんか家族に関心がない公務員みたいだけど少ない会話の中からこどもの必要を感じ取ってしっかり行動してる。お母さんもいい。こどもを愛しているんだけど、自分の趣味もしっかり持てて、しかもこどもを誇りに思ってる。本の中に出てくる何人かのお母さん達の中にはきっとこどもに何かあってもちょっとも心配しないみたいなタイプもいるけど。
 それにしても学校はどこでも緊張の連続なんだな。こどもも学校という特殊な社会の中で、また家庭の中でじぶんのポジションをまっとうしようと苦戦してるんだな。というのがユーモアたっぷりの中に迫ってくる。
 自分の信念を曲げないこと、そして考えてるだけでなくて行動する事の大切さを教えてくれる本。ワクワク、ドキドキして、社会の複雑さや大人のずるさもでてきて、面白さ満載の一冊でした。



  女精神科医 (の) 2003/4/21
 
 近くの友人から借りたこの本は前にも読んだことがあると思いながら結末が思い出せないものだった。それに前に読んだときもあまり真剣には読まなかったのか印象が薄かった。それが今度はいろいろなことに気がついてものすごく面白かった。
 セラピストの主人公は自分も両親との関係がうまくいっていない。才能がありながら夢をあきらめた母親は娘が自立していくことに嫉妬する。父親の裏切りを目撃した娘はそれでもその父親に認められたいと努力を重ねていることに気付かない。
 一人の特殊な患者が主人公に好意を寄せるところから問題が起こる。この患者は幼い頃、父親に虐待され、頼っていた年若い義理の母親には捨てられたと思いこんでいる。やがて自分の行為が報われないと知った患者は自殺を企て、裁判を起こし、主人公を追いつめる。揺れ動くなかで主人公は自分がまわりの人達にどれほど支えられているか、また壊れたと思っていた両親の関係は思いがけない価値観で結びついていたものだと知る。そしてその大変なときには父親が自分を高く評価していたことも知る。
 なによりもラストのどんでん返しはすごい。というか、結局患者を思いやり、患者のためによかれと思ってしたことは皆良い結果に結びついていく。という事が確認される。行方不明だった患者の義理の母はずっと彼を大事に思っていた。その証拠を裁判の最中にしかも夜中に届ける。常識では考えられない。本文中には出てこないが翌日泣きはらした顔で出廷した原告は義理の母ときっと長い間の空白を埋めるほどの会話をしたのだろう。誰からも愛されていないと思いこんでいた彼は自信を取り戻し、自分が招いた窮地から主人公を救い出すにはどうしたらいいか考え抜いたのだろう。
 午後の仕事に出なくてはと急く気持と戦いながら読み終える。そうしてラストをもう一度読んで納得して本を閉じる。違ったものの見方ができるのではないかと錯覚する瞬間だ。
 


  バックスキンの少女 ドロシーギルマン 集英社文庫 (の) 2003/1/23

 この作品は作者がずっと若い頃書かれ、アメリカの少年少女に読まれていた物だそうです。先住民族への人権思想が確立されていない時代のかなりすすんだ読み物だったことでしょう。ドロシーギルマンとは一体どんな人だったのかと思われます。
 幼い頃、インディアンに両親を殺され、兄を連れ去られ、町の人の庇護の元で暮らし、無理矢理年の違う男と縁組みさせられようとしていたベッキーはインディアンの元から戻った兄と共に町を抜け出します。
 この日から彼女は「逃亡者」となり、白人の中にはいられなくなり、穏やかに暮らすインディアンに助けられながら兄と一緒に森の中での暮らし方を身につけます。やがて対立をはじめたイギリスとフランスの後押しでインディアンの中で、白人とインディアンの間で戦争が始まり、兄は友人のインディアンの仇をとるために、また自分の本当の居場所を捜して妹の元を去ります。ベッキーは兄に去られ、親しいインディアンを最も哀しい失い方で失い、命を助け、今は心の支えとなった農夫にも別れ一人で暮らします。この時、彼が残していった聖書を見つけたベッキーは、その農夫がアイルランドの貴族の末裔であることを知り、驚くと共に自分を見つめ直します。日に焼け、肌は荒れ、男のような身なりで、鹿を射て、それをさばき、手でがつがつとそれを食べる。自然の中で暮らすうちにマナーもなにもかなぐり捨ててしまった自分。そしてベッキーは立ち上がります。二度と指では食べるまい。男のようにズボンをはくのもやめる。そして自分のために丸太小屋をたてる。
 丸太小屋ができた頃、農夫が帰ってきました。兄の消息を持ち、それでベッキーを納得させてプロポーズするために。二人は話し合った後危険な森を抜けて旅をします。もう少しで開拓地というところでインディアンに襲撃され、もはやこれまでというときにどこからか妹を見守っていた兄に助けられます。
 
 今の日本に暮らす私が不思議に思うのは、白人の中にいながら虐げられること。かつては同じ階級にいながら両親を失ったということで奴隷のようになってしまうこと。今の日本はほぼ平等に近いのでこれほどの差別は納得できない。また逃げたからといって犯罪者のようになること。インディアンには魂がないと教えること。教えられることをそのまま身につけるところは近くて遠い北の国にも似ているような。

 今年もいっぱい本を読むぞー。という気持になった一冊でした。


   8つの物語 思い出の子どもたち  フィリッパ・ピアス あすなろ書房 (の) 2002/7/5
 
 英国文学らしい静かで落ち着いた話の運び。それでいて真っ直ぐ心に届くのはいずれの話も自分に覚えのあることが出てくるから。「ロープ」と、「夏の朝」、「まつぼっくり」「巣守り卵」が好きだ。「まつぼっくり」では今は別れてしまった両親と三人で出かけた思い出をどうしていいかわからない末っ子が、兄や姉にサポートされながら自己を創っていく・・・感動的な過程。けしてむずかしいことではないようだけれど、そこにはまわりの人達の誠実な姿勢が必ず必要。それがあるってことは本当はとっても幸せなこと。そんなことがひたひたと伝わってくるまさに珠玉の作品集。

からくりからくさ  梨木香歩 新潮文庫 (の)  2002/6/13

「すごい本を読んでしまった。」というのが最初にわき上がってきた思いでした。草木染めの仕事をしていて亡くなったおばあさんの家を三人の友人に貸している蓉子を中心にその三人の友人がそれぞれかかえるモノが絡まり合っていく。共に機を織る二人が昔の時点で血が繋がっていたり、一人のかつての彼のこどもを他の一人が腹に宿したり。
大変なストーリーだと思うのだけれど、物語は淡々と進んでいく。旧家に嫁いだ女の悲しみや、機織りに一生を費やす田舎の嫁達。それに殿様の奥方、側室の葛藤、本妻と妾の意地など日本の女の人が代々かかえてきたモノを描きながら、四人の主人公たちとその母親、あるいは叔母などの姿を対照的にみせる。さらに異邦人を登場させることで迫害を受ける民族や移民のことも織り込む。その全編を通じて染めと織りという昔ながらの女性の仕事がゆっくりと確実に進んでいくのはすごいのひとことに尽きる。
 おばあさんが住んでいたという旧い家は床が米糠やおからで磨き上げられているとはじめに出てくる。そして庭の描写を見ればどんな家か想像が付く。そこに住む若い人達はそのおばあさんに憧れるような質実堅実な人達だ。それは程度の差こそあれそれぞれ精一杯に親に愛されて育ってきた人達だ。その上に立っているので読んでいて安心がある。織りや模様から世界の地方に思いを巡らしたり、世の中の不条理に戦いを挑んだりできるのも自分に基本的な自信があるから。まったくうらやましいかぎりだ。特に蓉子は作品の中で他の登場人物も言っているが「慈しむことを自然にやっている」ひとだ。ほかの人が全力で身につけたいと思っている「いつくしむ」ということを生まれながらにやってしまっている人。まったくもって羨ましい。そしてこの作品にはまだ他にすごいエピソードがある。まったく奧が深い。

 


         にほん語観察ノート 井上ひさし (の)  2002/5/19
 
 この本は井上ひさしが読売新聞日曜版に1999年4月から2002年の5月まで書いたコラムをテーマ別にまとめたものです。
 この本を手に入れたところにチョット説明したいことがあります。今年の5月5日はこどもたちと一緒に映画を見に行き、留守番のお父さんにこの本をお土産にしたのでした。高崎駅で電車を待つ間に駅の構内の本屋さんで見つけました。林檎亭の主人は井上ひさしのファンなのでこの本を買いました。そのあと、沼田に来てからいつもの尾身書房に寄ったところ「この本はどうか」と勧めて貰ったのでした。私が忙しく、高崎で本屋に寄れなかったらきっと尾身書房で買っていたでしょう。尾身さんはいつもどういう本を私が買いたいかを知っていてそういう本が出ると気に留めていてくれるのでした。こういうスタンスで営業していきたい、とその時強く思ったのでした。
 さて本は読みやすく、一編一編は短く、ユーモアがあって、ドキッとして、考えさせられるものばかりです。中でも印象に残ったのは1999年11月のポケモン現象という一文です。日本語の動詞の「取る」を「ゲットする」という英語に言い換えられている原因は、アメリカでもヒットした映画の元になったポケモンカードゲームです。「みんなもポケモン、ゲットだぜ。」という日本語と英語がチャンポンな呼びかけが毎回テレビから流れ不思議に思わなくなりこどももおとなも、さらにはラジオのパーソナリティーも何かを手に入れることを「ゲットする」というようになっています。「ワールドカップのチケットをゲットした。」という具合に。筆者もその事に警鐘を鳴らしながら晩年になってもった息子さんとのポケモンカードゲームの準備をしているというものです。
 乱れているのか、進化しているのか。そういえば進化というのもこの番組から違う意味を持つようになったように思います。何年も前に片品村役場で講演をしたときの「日本語は生きていて常に変わっている」という主旨の金田一教授の話を思い出します。


あかんべえ   深川「ふね屋」不思議ばなし 宮部みゆき (の) 2002/5/10

 宮部みゆきの小説は大好きだが、文庫が出るまでは買わなかった。今回、新聞で広告を見てどうしてもほしくなった。それでホームページに「読書のページ」ができたからと理由にして買ってしまった。「お初物語」みたいのを予想していたが全然違った。この世に何か思いを残して死んでいった人達が生きている者達にメッセージを送る。玄之介もおみつも素敵なお化けだ。按摩のおじさんも、おどろ髪もお梅もそうだ。生きてる人間はちがう。おつたは太一郎に横恋慕、おたかは誤って夫を殺してしまう。いろいろがうまくいかなくて暮らしを持ち崩すところまでいったり。「ふね屋」に居合わせている誰もがみんななにか隠し事を持っている。だからお化けが見える。
みんなを亡者にしたのは興願時というお寺の住職。その人は仏の道が偽りの道と思い、仏を捜し求めるあまり人を殺した。次々と殺した。そうすれば仏の罰が当たると思って殺した。自分のこどもも。お梅は井戸に投げ込まれそこで父を呼び求めるが聞こえず、歳月が井戸の中でお梅の骨を洗って行くところはあまりに悲しい。こんな風にお腹がいっぱいで、暖かくて、乾いていて、遊んでいられるのはごく少しの人だけ。世界には飢えている人、苦しんでいる人があまりに多い。中国の領事館の門のところに立ちすくんでいた女の子の顔がなぜかお梅に重なって仕方がない。
闇の守人 上橋菜穂子 偕成社 (の)   2002/4/11                                       
これは近所の友達から借りた本で三冊あった中の二冊目の本です。最近、また四冊目が出版されたようです。ここには全く別の世界があります。でも指輪物語のようにはややこしくありません。たた土地が豊かでなく、気候も温暖ではなくちょうど昭和2,30年代の東北のようです。子供が十人産まれて四人育つくらいのところです。でも権力や、部族間の争い、それに世襲制のもついじめなどがあります。そしてそれぞれの部族に掟があり親は子供を従わせ、学校から帰ったらこどもも働かなくてはなりません。それはみんなが生きるために必要なことです。
 そうした中にいわゆるはぐれ者としてバルサという名のめちゃくちゃ強い女の人が出てきます。バルサは父親が医者で王様の陰謀に巻き込まれ危うく殺されるところを父親の友人に助けられ一緒に国外に逃亡し、そこで辛酸をなめて成長し今回、この本で初めて故国の土を踏みます。父親の友人は短槍の達人でバルサにもその技を教えます。故国ではバルサは死んだことになっており、育ての親も大変な悪人と言うことになっています。この国には何十年かに一度山の国から宝石が送られる習わしがあります。そこに行くのは槍の達人が20人ほど、そして誰もそこであったことを帰ってきて話す人はいません。今度の王様は気が弱く大臣の言いなりに、何十年に一度何て言わずありったけの宝石を奪い取ろうとする企てに乗せられてしまいます。しかし闇の守人「ヒョウル」は実は・・・。
 圧巻はバルサがヒョウルとなったかつての恩人と槍舞を舞うところです。そこで沈黙の中に激しい感情のやりとりがあります。ちかじかと魂の向き合う舞の中で志を果たせずに死んでいった養い親の本心、どこかでバルサも感じていたバルサへの怒りを知ります。そうしてバルサも怒りを返します。「どうしたら良かったのか」と。その場にいる他のヒョウルたちもバルサの故に死に至った人達ですがその人達にもバルサは素直に「どうしたら良かったのか」と怒りを投げ返します。そうしてヒョウル達の魂は皆に宝石を残してやすらぎに入っていきます。
 人が生きていくにはたくさんの不条理があります。自分の大事な者を守るためにはほかの人の大事なものを傷つけることもある。正直でありたいと思っても状況が許さないこともある。そんなことを思い出した本でした。
 
シャーマンの教え千年医師物語U ノア・ゴードン 角川文庫 (の)

 何気なく手に取った本だが読み終えて、またその前編も求めて読んだ。面白い。風邪で早く休まなくてはならないのに布団の中で読み終えてしまった。
 アメリカの歴史が学べて、南北戦争のことがわかって、その中でユダヤ人や、モルモン教徒がどんなかわかって、民族主義がどういう事かわかる。そうして違う映画を見たときそれがどういう事かわかってまたいろいろが面白くなる。はじめのところでシャーマンがオルコットが前線の病棟のことについて書いた本を読む場面が出てくるがうちにもその本がある。その事に気づいて「若草物語」のなかで四人姉妹のお父さんが牧師になって従軍していったのが南北戦争だと解った。「アン」の最後の本で「アン」の次男ウオルターが戦死したのは第一次世界大戦だけど。
 あんなに探していた殺人犯がこんなに近くにいたことが皮肉だった。アレックスが医者を志したことが嬉しかったし、シャーマンがレイチェルと一緒になれたことが良かった。そうなる決まりだったんだなと思った。ただその時がくるまで延ばされていただけ。やっぱ必要なのは勤勉である事かな。

ダレン・シャン DARRENSHAN  小学館 (た)

 ごく普通で平凡だったダレン少年があるひシルフドフリーク(異形のサーカス)に行き友達を救うために全てを捨ててバンパイアになる決意をした。
 しかしバンパイアといえどもダレンがなったのは正真正銘のバンパイアではなく、半バインパイアというものである。
そしてダレンを半バンパイアにしたミスター・クレスプリーともに生活をしていたが野宿なんかしてる生活にあきシルフドフリークに入ることになった。そしてシルフドフリークのメンバーと共に世界を旅していく話である。
 感想はおもしろくて一ページめくるごとにドキドキしてしまう。

アウグスツス ヘルマン=ヘッセ 新潮文庫 (の)

 貧しい母親の希望で産まれてきた子供に名付け親がくれたのは「誰からも愛される」ということ。しかし年を経て、それよりも大切なことは「誰をも愛する」ということであると体験していくアウグスツス。事あるごとに読み返す本の一つ。

 名付け親の部屋の暖炉の前で天使が飛び交う様子が懐かしい。