名 所

ロックハート城 日本の滝百選、棚下の滝 吾妻町・観音山不動の滝 県立・赤城ふれあいの森 吾妻町・大戸の関所跡

倉渕村・東善寺「小栗上野介忠順の墓」 長野原川原湯の「白糸の滝」 塔のへつり アルフの里 毘沙門天

金 刀 比 羅 宮。

不動峠に建つ石宮
この石宮の建立は江戸末期、嘉永六年越後長岡藩の殿様が江戸に向う折、風光明美の比の地に旅人の道中安全を願って金刀比羅宮を建立するよう家来に命じ建立された石宮と云う。ちなみに石工は地元上津村斎藤甚之助と云う名匠で、世話人と共に氏名が刻まれてあります。場所は名胡桃城より西に山を登り高山村の中山宿に抜ける道の頂上(不動峠)から左に300m程は行った所。

中部北陸自然歩道 環境庁 群馬県 月夜野町


棚下不動尊の滝
37mの断崖より一気に落ちる、水量も多く見事の滝です。(雄滝)赤城村棚下大字大岩。 国道17号沼田方面より綾戸トンネル先、左折し橋を渡り右折約700m〜800m程の左側に駐車場があり 歩いて右の道を登って行くと300m程、に不動尊ありそこから石段を登り(10段).(52段).(60段).(80段)と4回の石段を登り そこに滝(雄滝)奥の院があった。雌滝は駐車場から40 m上の断崖に見える。
    
県立・赤城ふれあいの森
紅葉が奇麗になりつつあります。登山者も多いようです。
国道353号線、畜産試験場を赤城山方面に上り、箕輪部落に駐車場、姫百合登山口、ここから荒山(1572m)鍋割山(1332m)に登れる、またそこは県立・赤城ふれあいの森。森林公園です、遊歩道の木道が林内に各方面に造られています、色々の木々が植えられ、歩道を歩いて森林浴に良い所です、駐車場より車道を進むとローラースベリ台があり、遊歩道が有り東屋も有ります。ローラースベリ台の横に大きな松がある、周囲4mもある木です。今日(H10.10.29)遊歩道の修理に行ってきました、台風の大雨で砂利が流された、仕事中富士見村の小学生の遠足が帰ってきた一年生くらいの子供達、話では子供達でも1時間30分程で鍋割山に登れるとのこと、

右は、県立・赤城ふれあいの森。木道。 姫百合駐車場 。



☆ 荒山・荒山高原・鍋割山・鍋割高原。地図をご覧ください。木道の遊歩道、幾つかのルート私達
が造りました。

ロックハート城

沼田より(国道145号線)権現峠そこに [ 若山牧水の詩碑 ]があり100m先に ロックハート城(津川雅彦が英国から買い北海道に作ろうとしたが出来ず石のサンポー(株)が建てたお城)があり、2km先に中山城跡がある、中之条の手前に桃瀬の水牢が有り中之条の伊勢町で渋川よりの(国道353号線)との交差点を右折する、(国道353号線)はそこから四万方面に、(国道145号線)が右折して1kmほど行き二股の交差点を左方面に行き原町のバイバスに道より300m程奥の山手にお城のような岩櫃城と言う名の温泉があり、この原町から岩櫃城跡に登っていく、そこから更に岩櫃山にのぼれる、国道に戻り更に先に行くと、吾妻渓谷(景色の良い所です、熊や岩松や盆栽がいっぱいある)八ッ場ダム建設予定地、河原湯の駅の手前からトンネルを掘っている。「工事用トンネル」、更に先に行くと長野原町の左1000m程の山の中段より上段に丸く周りが20,30mメートルの切り立った山がある、これが城跡で丸岩城跡、まむしがいっぱい居るとの話です。更に進み嬬恋村三原を右折して行き万座ハイウェイを進み料金所の手前が西武のゴルフ場料金所その先を右折して終点が石津硫黄鉱山跡そこを緑化の為ハリシバを(ネットに種と肥料の入った)張る仕事に行ってます。 又中之条で右折しないで直進して橋を渡り進み信号を右折して一つ目の信号を左折して進み、岩櫃山の反対側の道から岩櫃山を見ると岩の凸凹した素晴らしい山です、更に進み大戸ここも有名な所です、国定忠治がここの関所で捕まったと言う話、更に進み忠治の処刑所があり更に進み今度は一本の松(二代目かな?)忠治の戸惑いの松(関所を通り長野に逃げるに、行こうか、戻ろうか、との松に足を掛けたりしたのかな??)さらに進むと権田少し高崎方面に行くと、あの江戸幕府の金庫番の小栗上野介又戻り中之条より国道353号線を進み5.4km程の金原を左に進み沢渡温泉更に進み暮坂峠ここに若山牧水の詩碑がある。今度そこから下って小雨を右折して進むと草津方面と白砂、野反湖に行けます。


吾妻町・観音山不動の滝
吾妻町原町から平沢方面に登っていくと途中右に降りるようにして沢を渡っていくと観音山そこに不動の滝かがある、滝は二段になっていて一段目は7〜8m二段目は12〜3mありそうです。回りが林で景色も好いです。
平沢部落に岩櫃城跡があり岩櫃山に登っていけます。駐車場も上の段に10台は止められそうです、下の舗装の駐車場は広くもっと駐車できるでしょう。
吾妻町・大戸の関所跡

大戸関所は、信州街道の要点をおさえる重要な関所で近世初頭の寛永八年(1632)に設置された。
信州街道は草津温泉を始めとする湯治客。善光寺参り、北信濃の三候の廻米や武家商人の荷物各地の産物の輸送路として、中山道を凌ぐ程の活気を呈したともいわれ、江戸と信濃を結ぶ最短距離として重要な街道であった。別名神州道、草津道、善光寺道、大戸廻りとも呼ばれていた。
大戸関所は元和九年五月(1623)将軍秀忠上洛の時に、要害の地の此の地を守護したのが始まりといわれる。其の後寛永七年に幕府目付によって関所見立の巡検があり翌八年に正式に関所が設けられた。中山道の脇往還で碓氷関所の裏固めの意味を持っている。以後二百三十有余年の間幕府代官の管理の下に運営され、明治元年九月に廃止された。関所は通行手形によって往来の旅人を厳重に取り締まり、関所破りは重罪として処刑された記録がある。
註「関所を避けて山越しなどした者」。通行の門限は明六つから暮六つ(午前6時より午後6時)までと定められていた。また要害地域を守る関所付の村として大戸、萩生、本宿の三ヶ村は関所番人を出し警備に当たったり関所破りを監視するなどの負担を義務づけられ近隣の十一ヶ村は関所普請村に充てられていた。
嘉永三年十二月(1850)に関所破りの罪を受け侠客国定忠治は、この地で処刑された。映画、演劇や講談浪曲でもしられている処である。


倉渕村・東善寺「小栗上野介忠順の墓」

大戸の関所より倉淵村権田に抜ける峠に、忠治とまどいの松、が有ったが松食い虫により枯れて今は切られて無いがその面影の古根がのこっている。
徳川時代末期、徳川家譜代の旗本であった小栗忠順公は官を辞して群馬郡権田村に退隠した、馬術が達者であった小栗公は遠乗りをして領地境の松まで時折り見廻りに訪れたと伝え聞いている。明治元年(1868)四月五日官軍に捕らえられて烏川の畔で四十才の若さで非業の最後を遂げたのは今猶惜しまれている。
小栗上野介忠順の詳しい説明はここをクリックして下さい。
長野原川原湯「白糸の滝」 国道145号線を草津方面に進み、吾妻渓谷を通り長野原町に入るここが八ツ場、ダムの予定地もうすこし進むと橋がありその先が川原湯、JRの駅「川原湯」白糸の滝は、橋の手前のお店の所から左に降りていく、国道脇の駐車場からも見える。 この滝は中断に滝壷が有り見栄えの良いたきです。吾妻川の対岸には吾妻渓谷に行ける遊歩道がありこれから観光客が多く成るでしょう。只今もちらほらきています3月19日。

塔のへつり
福島県下郷町に10月28日行ってきました、紅葉見に、塔のへつりは自然に出来た塔のようです。 私の考えでは沼田と同じように噴火で川が止まり沼に成って泥がたまり固まったところ沼が破れていくうちに硬い所だけ残り塔のようになったのかな。対岸にへつりのように並んで出来ています、紅葉も奇麗でした、 帰りに大内宿により大変な賑いでした。

資料・吾妻町観光協会

アルプの里アルプの里紅葉のナナカマドアルプの里 10月12日紅葉見に行ってきました。アルプの里、湯沢よりロープウエーに乗り山の上にある、小さな沼が有り色々な高山植物が植えてありました。景色が好く花がいっぱい咲いていました。 、冬はスキー場

毘沙門天開山堂浦佐駅の近くには上杉謙信の信仰した毘沙門天が有りそを参拝しました。駅前には田中角栄氏の銅像か手をあげている。小出まで行き新潟県文化財指定 赤城山西福寺に「開山堂」がありけんぶつした。凄い彫刻で日光の東照宮みたいな立体的に彫ってあった、見物を進めます。


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