サがいいので、ランチタイムヤ、夕食などにも良いみたいです。うちの家族が贔屓にしてるたった一つの店です。





グリーンツーリズム 2000/11/24 (と)

みのりの看板 片品林檎亭の隣は星野果園さんというリンゴやさんで、グリーンツーリズムというのを勉強しているようだ。寄り合いで酒を飲んだとき、自信にあふれた言葉を聞いたことがあるから本当だろう。林檎亭々主より、五つほど若い。髭を生やし一種独特の風貌をしている。
 農業をやりながら、民宿をやっている。さらに今度農家レストランを開店した。イタリア系の洋食屋さんでコックさんを雇っている。名前は「レストランみのりの里」という。以前は貸し農園やハーブ園のことを言っていたが、今はブルーベリーをたくさん植えている。
農業関係の補助事業を使ってレストランを建築したらしい。リンゴ狩りのときにはうちのお客さんにもずいぶん宣伝をした。そして教えてあげたお客さんにもたいそう喜ばれた。気にいったのでしょう。
 農業だけでも難しいし、それにプラスして農家が、民宿、レストランと手がけていくのは、今の時期だけに特に大変でしょう。ブレーンもいるだろうし、オレ達が心配する必要もナイのですが。
 片品林檎亭手前を100メートル、反対方向に入っていきます。新しい農業をめざす方、また農家レストランで食事をしてみたい方一度出かけてみて下さい。 

「レストランみのりの里」電話 0278−58−3538
朝11時〜夜10時 火曜定休。




村民運動会 2000/9/15 (と)
 オリンピックが始まった。開会式をハイビジョンで見たが、それはそれはきれいだった。
 今日、年に一度の村民運動会があった。村民運動会は人がでる。以前ほどではないにしろ、人口6000人の三分の一ほどの人が集まるのではないかと思う。実数は警察の発表がないのでよくわからないが、片品にもこんなに人がいたのかと思うほど、人が湧いてくるという印象である。片品小学校の校庭が一杯になる。婦人会踊りとか、片中生のフォークダンスとか、全員でる物は別にして、普通なかなか出場できない。足の速い人の晴れ舞台で、その速さをみて観客も喜ぶ。一年に一度の大スターである。
 中でも8つの区に別れている行政区単位の区対抗リレーという、小学一年から、60歳代までのリレーはプログラムのメインイベントで、最高に盛り上がる。男女別のレースで、最初に女子が走る。今年は久しぶりに、ホームページの取材でこれを見に行った。このリレーも差がでてしまって面白くなかった。接戦だとなを面白いのだが。アナウンスも、学校の先生をしていて林檎亭々主も教わったことのある、その後教育長をしていた倉田平四郎先生のアナウンスの名調子も復活していた。とにかく大勢の人がでるのが驚きである。


片品は大にぎわい 2000/8/15 (と)
 私の住む菅沼には、二件の民宿と統一協会の研修センターがあります。夏休みになると都会からたくさんのお客さんが入ります。宿泊施設に勢いが出ます。他の民宿村もペンションもお客さんは増えますから活気付きます。ここのお客さんが増えると、林檎亭から見える食品卸のコヤナギも車の出入りが多くなります。さらに農産物も、播き付けがなくなる分、出荷も多くなり、隣の集落にある農協の集配センターに向かう車も多くなります。今、野菜の値段が安くても、そろそろ良くなるだろうという期待を託しているので希望もあります。農業体験やそば打ち、ピザづくり体験を商売にしている遊楽木舎にもお客さんが増えます。畑を見るとどこも青々していて気持ちがいいです。田圃も穂が膨らんできました。もうじき黄金色の秋です。片品にたった一つある、サエラカントリークラブ尾瀬というゴルフ場も、涼しいのでお客さんが増えます。お盆で家を出ていた次男三男や嫁にいった娘達が帰ってきます。林檎亭にもオーナーさんが訪れます。
 わたしは、いまが片品の一年のうちで一番活気ある季節だと思います。農業と観光の片品村が元気になる季節だと思います。夏が終わってホッとできるような成果がでればいいなと心から思います。皆さん、どうぞ、片品へいらっしゃーい。


うつぎ 200/7/13(と)

うつぎの花 昔から畑の境木にはうつぎが植えてある。7月初めに白い花が咲く。注意してみるとなかなかきれいだ。このうつぎが小さいとトラクターでついつい、うない込んでしまう。今では四隅にうつぎがしっかり植えてあるところは少ない。たいてい片側はなくなっている。いつの間にかなくなってしまった。このうつぎがしっかりしてないために隣の畑との境のことでトラブルが起きることがある。うちでもあった。近くのおばあさんに「この境は、ここが90センチほどうちへ食い込んでいる」とイチャモンをつけられた。こっちに取ってはイチャモンである。裁判をするわけにも行かないし、結局喧嘩してずっと陰で、日向で悪口を言い合うのは、精神衛生上良くないと判断し引き下がることにした。心の中では、生涯許せないと思ってる。つまり泥棒扱いされたわけだから。私の性格は、よほどのことがない限り争うより引き下がります。そんな生き方でやっていきます。どこの山林の境もまったくわからなくなっていますから、これからは折り合うことがなければトラブルが次々出て来ると予想されます。 境木はしっかりと植えておきましょう


戸倉ダム関連の土出の橋 2000/6/28 (と)

古仲の橋 久しぶりに片品村の北部、戸倉方面に行った。いつの間にか橋の工事をやっていた。戸倉ダムの着工をにらんで、道路の拡幅やルート変更の工事が始まっていた。この写真は土出の親水公園からみた、国道401号線の新しい橋で、古仲と伊閑町を結び戸倉から尾瀬に通ずる。
 戸倉ダムは、自然保護優先の考え方もあり、着工、竣工はまだはっきりわからないようだ。
 写真のすぐ左下が片品川、橋の向こうの奧に尾瀬がある。
 この小公園も片品温泉の近く、片品北小学校のすぐ近くにあるのだが、いつできたのか知らなかった。同じ村にすんでいても近くでないと何も知らないで終わってしまう。




サエラリゾート尾瀬についてサエラリゾートの看板 2000/6/20(と)
左の写真、本来は片品小景に入れようと写したのだが、変更してサエラ問題の事を書きます。
 10年ほどかけて、6年ほど前にオレ達の開墾地や国有林、東小川地区の農地と山林を含んだエリアがスキー場とゴルフ場になった。名前を株瀬高原リゾートと言う。愛称は、サエラリゾート尾瀬。村と農協が出資し第3セクターとして発足した。開業当時は、お客も多く順調に経営しているように見えたが、その後景気低迷の影響を受け、親会社の昭和グループが倒産、現在和議申請中。尾瀬高原リゾートも220億だかの負債があるらしい。昨年の10月、自ら冬のスキー場の営業を始められず、スポーティングマネジメント社と業務委託契約を結び、尾瀬高原リゾート社は、実際の営業から手を引いた。そしてこの4月、スポーティングマネジメント社が撤退し、その後を片品村振興公社(村)が業務委託契約を結び、6/1から営業を続けている。これほど厳しい状況はない。隣村の川場スキー場は新しくできた会社更生法の申請をして、負債を免除して貰い、新しい経営主を捜すという。サエラもこれと同じような道を進むらしい。つまり借金を10分の一以下にして、身軽になって、それで営業を開始してくれる企業を捜すのだという。素人考えだが、どうもあぶなっかしい。これに向かって村や、議会や農協が全力で対処しているようにも見えない。一部の関係者だけが動いている。オレ達が知らないだけなのか。
 オレ達地権者会は、地代が滞りなく入ること、ゴルフ、スキー場の営業が続いいくことができればそれ以上は望まない。まだ昨年度の地代は入っていないし、いつ入るかの回答もないのだが。
 いろんな噂が飛び交っている。村が弁護士と相談して、なんとか道を見つけて進めていてはくれるが。これからどうなって行くんだろうという不安は常にある。よその集落の親しい人が言ってたっけ、「まぁ会社が潰れて、何も入らなくなっても仕方がないと思っていれば間違いない。」と。
 いろんな問題が起きてくると、人間がよーく見えてくる。同じ集落の人、村会議員、村のリーダーなど。自分の事だけ考える人、言うことだけ言って、何もやらない人。全てマイナスに考える人。とにかく何も言わない人などなど。それこそ、杉浦明平や山下惣一が書くような小説のネタがごろごろしている。

2001/5/3追記
 サエラリゾート尾瀬の現状は、2001年も片品村振興公社(村)が業務委託を受け、営業を続けていく事になったようです。人員及び、予算など厳しい条件で営業を続けているが善戦をしていると思います。冬のスキー場では、わがホームページも特別リンクをはって宣伝してきたのですが、今度ゴルフ場も「片品百景」にとり入れる予定だし、これからも今まで同様ホームページ上で宣伝活動も続けていきます。サエラが繁盛すれば私たちも潤うという図式が成り立つ。どうぞサエラのスキーゴルフ場のご贔屓をお願いいたします。
 片品村振興公社(村)になってから、地権者会で話し合い、自分たちも応援しようと、地代を半額にしてこのリゾートの存続に期待をかけています。地代も入った事を追記しておきます。 


春雷、襲来、落雷 2000/5/17 (と
 5/8の夜中、でかい雷が菅沼の中心部に落ちた。15メートルほどのあすなろという木の真ん中に斜めから直撃した。これはすごかった。近くの人達は、寝ていて振動で飛び上がったそうだ。100メートルの範囲の中の電話が5本も壊れた。地震、雷、火事、親父というけど、これは恐ろしかった。それによく雷親父というたとえがあるけど、雷親父は、もういないですね。こんな恐ろしい親父いないです。ま、関係ないですけどね。この時の写真載せておきます。

雷の落ちたところ  雷が落ちてしまって、倒れた木

左の写真は、雷が直撃したところ。右の写真は、二日後風で直撃されたところから折れた。


炭焼きガマ 2000/4/30 (と)
炭焼きガマ 私の住む菅沼の集落の入り口に炭焼きガマがある。
 昔、ここは日光の森といっていくつもの石仏があり、子どもたちの遊び場だった。ここに炭焼きガマができて、もう20年も経つだろうか。その当時は、今90歳をはるかに越えた、松あにいがリーダーですみ焼きを教えた。今炭を焼ける人は少ない。その当時はみんなが競って焼いて、釜が空くのは順番待ちだった。コタツも練炭から炭に変わった。炭火は、気持ちいいと言うことでずいぶん流行った。しかし今は、もう焼く人も数人になり、コタツに炭を使う人も少なくなった。
 写真は、松あにいの息子さんで、70をこえた栄作さんが春一番の炭を焼くために口火を焚いていた。

ゴミ 2000/4/30 (と)
 昨日、道路愛護デーでサエラスキー場方面の水路の掃除に行った。スキー場に行く道の5メートルほど下の水路のU字溝の土や落ち葉を片づけたのだがここにゴミが落ちていた。スキー客が捨てていったものではないかとみんなで想像した。空き缶や衣類や紙類が一抱えもあった。どんな気持ちで捨てていくのだろうか。空き缶などいくらでも落ちている。まぁこれが日本の現実であり、これらを見ているとゴミがなくなるのは難しいことだと思う。ゴミは捨てない。と…とりあえずここまでは書ける。しかし老後をゴミ拾いのボランティア活動に捧げるとはまだ書けない。


 尾瀬高原の農畜産物 2000年のつどい 2000/4/25 (と)

 片品農協は、農協合併作戦に反対し1000人足らずの組合員で独自の道を歩んでいる。平成11年に農産物11億円の売上目標額を達成した。12年は、12億円の目標を立てた。去年のような市況は期待できないから、達成はなかなか難しいだろう。型通りの式典は順調に終わった。今日の集会も若い農業者は少ないから元気はない。爺さん婆さん(もちろんオレも入るが)ばっかりだった印象が強い。組合長の挨拶は、意欲が感じられた。オレ達もあれ以上の意欲を持たなければ、生産者なんだから。そうでなければ誰にも文句も言えない。
 きょうはこれでいいと思うけれど、この種の集会で何を生産者に訴えればいいのか考えてみた、そしてそれがわかった。農業者に自信を持って仕事をして欲しいと言うことだ、これが私たちに伝われば、安全な農産物を作り出すという強い意欲が湧いてくるだろう。したがって目標達成もできる。それには論理的に、やさしく農業の重要性を説いてくれる人が必要だ。生産者大会のあと講演会を開催すればいい。井上ひさしとか、山下惣一とか、そういう人を呼んで貰いたい。オレの場合ここに書くだけではない。直に農協幹部に言うべきことがあり、先日は星野傳六組合長に丁寧な手紙を書いた。内容は、農協のホームページを創るべきだという持論を訴えた。どう受け取ったかは、まだ話してないのでわからないが、組合長にチョット会ったとき「手紙をどうもありがとうございました」といわれたから読んでくれてはいたようだ。話す機会があったらその話のつづきと、農業の重要性を論理的にわかりやすく話をしてくれる人を招いてくれとお願いしておこう。


菅沼のこどもたち 2000/3/24 (と)菅沼のこども

 現在片品村が1800戸、そのうち菅沼が34戸あります。さらに老人の一人暮らしが4人、すべて女性。……男は身体が弱いのです。
 こどもたちは、小さな集落の割には何人もいます。ぽかぽか陽気の3月中旬、散歩途中のこどもたちがお母さんと一緒に林檎亭の前を通りかかりました。大クンと奈都チャン(3歳くらいかな)元気に育っています。ちなみにお母さんたちは、村外からお嫁さんに来ました。

 菅沼最高齢の、松次郎さん(通称松兄い)は94歳。片品では最高齢のほうです。こんどこどもたちと一緒の写真をぜひ載せてみたいなと思っています。いつもカメラを持ち歩いてチャンスをねらっています。

 
 



花咲クラブ 2000/3/17【と】

 花咲地区に、花咲クラブというグループがある。村つくり、村興しを楽しくやっているグループでメンバーは、30歳代から60歳代まで30数人ほどいるのか。武尊山から、武尊様を下ろし修復したのを皮切りに花の運動を率先してやったり、おらあが村の文化祭を始めたりした。この活動がいつか必ず実を結ぶ。片品で一番素晴らしいグループである。ほかの地区、ほかの村でまだまだ動きのない人は、花咲クラブのまねをしただけでも大きく前進することは請け合う。
 先日開かれた座談会にお邪魔したのだが、若い人の意見を年輩の人がよく聞いてくれて、さらに年輩の人の意見を若い人が素直に聞く。非常にいい環境ができあがっている。
花咲クラブの面々  2月の末、昼間は、自分たちの庭のような武尊牧場周辺をスノーシューで散策。【悪天候で中止】
夕方みんなの努力で生まれた花の駅片品で会食。 夜は、温泉民宿みやまで、車座座談会という冬の行事。
 キンサクさんのブナの種をまいてブナをそだてて水をつくろうという話は、壮大で前向きで、実現性があってすごかった。

 写真はその時の一こま。
 左から2番目がキンサクさん。
 右端が知人の横井さん。
 歩く旅人、花咲村づくりの仕掛け人と呼ばれている。



村会議員には村から300万円ほどの報酬がでている 2000/3/5【と】
 片品の村民なら、自分がその人に投票したかしないか関係なく、村会議員がちゃんとやっていなければ抗議していい。それは村が300万円ほどの給与を出しているからである。いままで何をやっているのかわからなかったり、今ひとつ議員の活動に納得行かなくても黙っていたけどもう違う。どんどん、どの議員にも意見を言うべきだ。もちろんこちらも勉強したり、行動しなければ説得力はないけど。それに一人でなくみんなでいうべえ。というのがこの間の数人の集まりの結論だ。
 村会議員の人達に言います。もっと勉強してくれ。行動を起こしてくれ。観光片品、農業片品は、駄目になるぞ。少なくともオレ達よりいろいろな力があるのだから。もう村民も黙っていないですよ。議員も村民もほとんど何もしていなくても、今まではなんとかやってこれたけどもう無理だ。
 これは片品だけのことでなく、ほかの市町村や、県会議員も一部を除いて同じだろうと思う。


天気の歴史 2000/2/29【と】
 「はぁ雪はいらねえ」、この頃村のあちこちで聞かれる言葉だがこれを言ってはいけない。特にスキー場関係者、さらにそういう方面の人達を相手に商売をしている人達は禁句である。さらに観光と農業で生きてる村なのだから、だれひとり言えないはずである。つまり人間の歴史と天気の歴史の違いを見れば歴然。私たち人間は、自然の本家天気の思いのままなのだ。私は桂枝雀師匠の『日和ちがい』のまくらを聞いて以来そう決めています。「はぁ雪はいらねえ」といわれるたびに、心の中で「そんなに自分がってに考えては駄目だっぺ」という。
 今朝も20センチほど雪が積もり、まだまだ降っています。  雪は豊年の貢ぎありがたいことです。


惜しいなぁ 2000/2/12 【と】
 人間、顔はいいのに衣装が惜しいなぁという人がいる。顔だって目鼻立ちはいいし、口の大きさもちょうどいいけど眉毛が惜しいなぁという人いる。これらは少しの努力で実を結ぶ。
 少し前まで建築ブームだった。片品のあちこちに新しい家ができた。しかし惜しいなぁという家がある。家も日本家屋で素晴らしい、いい庭もあるのだが手入れがしてないとか。洋風のしゃれた家だけど、郵便受けが似合わないとか、玄関先にタイルが貼ってありきれいなんだけど、雪が降るとつるつる滑って危険だとかいろいろと惜しいなぁという家がある。わが家には土蔵がある。中には何もないのだが。白壁がまだらに落ちている。母屋もそれに似合った家なので惜しくはないが、…それでも惜しいなぁ。庭先に花が植えてあってなかなかなのだけれど、そのすぐそば廃車があったり農機具の使い古しがあったりする。惜しいなぁと思う。
 この惜しいなぁを少しずつ解決していくと、きれいな見栄えのする、いい集落になるのではないかと思う。そんなことに取り組むグループを作れるかどうかが問題で、それを実践できる村や集落があれば、これから発展する可能性が高い。
 こんなとこに気が付いているのに、何もできずにいる時夫さんも惜しいなぁ。


誰でもピアノ 2000/1/10 【と】
 昔片品でピアノを習っている人などほとんどいなかった。オレ達の年代では菊地医院の娘さんだけだったのではないか。その後保母さんになるとか、学校の先生になるとか、必要に迫られて習うようになった。しかし今では、どこでも誰でもピアノをやっている。習い事の一つとして定着してしまった。男の子も少しやっているようだ。15年ほど前に分校に赴任してきた女の先生がピアノくらい習わせていないんですかと言ったとか言わないとか。秋の片品音楽祭では、ピアノ教室に通っている人達が文化センターの舞台に大勢登場する。これを文化の水準が上がったというのだろうか。わが家の両隣からもピアノの練習音が聞こえる。上隣りの曲は、昔どこかのテレビ局で天気予報のBGMで流していた、わが愛とかいう曲。農作業をしながら隣家のピアノを聴く時代になりました。


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