<フ家にお世話になって冷遇されてる。それが魔法学校に入ることになり、その学校での出来事を面白く描いている。学校の隣の森に住む悪い魔法使いとの戦いがクライマックスにある。
 これは楽しかった。物語に吸い込まれていきました。魔法を使う人達の学校と言うのも面白い設定で、それを信ずるなら、私の近くにも魔法使いがいるはずだし、この学校に留学する人もいるかもしれない。毎度書きますが、この物語を信ずるなら面白くて、面白くて、感動します。作り事だと思わなければ傑作だと思います。小説を読んだ人も面白いと言ってたし、イギリスの原作者の女性も映画の出来を絶賛していた。主人公ハリーの勇気はスバラシイ。
 詳しくはこちらのホームページからお入り下さい。


立川志らく独演会 前橋市民文化会館 2001/12/10 (と)

 立川流期待の星、志らくを一度ちゃんと聴きたいと思っていた。CDもあるし、ビデオも録画してある、本も読んだが生で聴いたことが無い。やっと巡り会えた。それだけでもう嬉しかった。

 子ほめ  らく次
 松竹梅  志らく
 宿屋の富 志らく
  中入り
 シネ落語
 チャッフリンの「ライムライト」

 いい会でした。志らくを満喫出来ました。面白かった。ところどころに新しいくすぐりを入れて、それが筋の邪魔にならない。まくらも面白い。めちゃくちゃ楽しい。さらにシネ落語なるものは、立派な古典落語、人情話に仕上げてある。時を江戸時代に置き換えてスバラシイ仕上がり。原作・チャップリン・脚色志らくと言うところか…。
 何処がどんなに楽しかった、面白かったか詳しくはおせえない。1/17日(土)6:30、柳家花禄と一緒に笠懸に来るから行ってみるといい。
 主催は前橋市民文化会館と音協の共催のようだったが客は少ない。200人はいなかったろう。地方の落語会は、笑点メンバー、小朝、談志師匠で無いと客が入らないのか…。主催者がみんなで券売りをするところは熱意に押されて客が入るというのも大いにあるが。

 あー楽しい落語会だったァ。
 

沼田演劇をみる91回例会『冬物語』 幹の会+リリックプロデュース公演 2001/12/2(と)
作・シェイクスピア
主演・平幹二朗・前田美波里 

 
劇的な芝居でした。劇だから当たり前だけど。ストーリーは書きませんが、すごくいい作品でした。平の重厚な演技、前田の気品ある美しさ、芸達者な脇役陣。王子と姫役の初々しい演技どれをとってもスバラシイと思いました。この芝居が沼田で見られたことに感動しました。一幕の嫉妬という暗い重々しい芝居から、二幕の明るい希望に満ちた愛の話、ハッピ
エンドと、何度も言うようですが劇的な芝居でした。信ずる事の大切さが描いてありました。
 小六の次男を連れていったのだが、一部は特に難しいセリフ劇だ、後半は歌あり踊りありでわかりやすかったと思う。それはともかく、大人になって沼田で小さいころシェイクスピアのセリフの詰まった芝居を見たと言うことはいい思い出になるだろう。それだけでも価値がある一夜だったと思っている。

前橋労演295回例会
 (の)
 シェイクスピアなんてつまらないと思っていた。沼田の芝居に行けなかったけど別にいいやと思っていた。ただたまには前橋に行ってみるのもいいかなと思って、「沼田で見られなかったら前橋で見られる。」という県内演劇鑑賞会の連携の特典を使かわせてもらった。この芝居が面白かった。舞台が色鮮やかだった。沼田より舞台の天井が高いのもよかった。芝居に奥行きがあった。ハッピーエンドな終わり方がよかった。前田美波里がジプシーの踊りを踊ったところがよかった。むかし「いいとも」にでていた深沢敦という人が道化で出ていてこの人の歌がよかった。こんなところかな。


『かあちゃん』ムービィクス伊勢崎
 2001/11/25(日)(と)   

 市川崑監督作品/岸恵子 主演/原作 山本周五郎/脚本 和田夏十・竹山洋/助演 小沢昭一・コロッケ・春風亭柳昇ほか。
 時がゆっくり流れていて、この映画は別世界へ連れていってくれます。久しぶりにいい映画をみました。いやー楽しかった。こういうの見ると心が優しくなるんですよね。皆さんもだまされたと思ってみてご覧なさい。
 この映画の細かな情報はこちらへ。http://www.toho.co.jp/kah-chan/
 『かあちゃん』の次に『ソードフィッシュ』というジョントラボルタのコンピューター犯罪のアクション映画を見たけど大したことは無かった。
 この日は家族で行ったのだが、それぞれ勝手に好きな物を見た。最初にかあちゃんを見るよう薦めたのだが、見ようとしなかった。あとでもう一度言っておいた。「おいみんな、かあちゃんは面白かったぞー、自分だけで決めないで、人の推薦するのも見た方がいいよ」と。



片品芸能鑑賞会第11回例会「すへて世は事も無し」11/16(金) (の)                                  
 こどもたちも一緒に家族4人で見に行った。片品芸能鑑賞会の例会。なかなかの入りでホッとした。加藤健一事務所の作品は沼田で「ああ星条旗娘」を貴泰と見ていたので「あのノーマンのしばいだ」と楽しみにしていた。
舞台が開くと登場人物がほとんど年寄りなのには驚いた。9人中7人が老人。4人姉妹とその連れあい達。中でもカールという鬱病気味の大工さんがよかった。自分が何者かいつも探していて、「あの分かれ道に戻らなくちゃあ」と言い出すと危険信号らしい。長女の旦那で兄妹と付き合うのに反対している元大学教授という人も面白かった。突き放すようにせりふを言う。そうしながら互いに相手がいかに大切でとても必要としているかを告白して、ラブ・コメディーになっている。次女の自分が相手にとって一番だということを疑ったことがないというセリフにはちょっと驚いた。へーという感じ。こういうすごくもなく、サラっとした芝居が受け入れられるようになってよかった。
昔見た「旦那様は狩りにお出かけ」みたいのだと万人受けすると思うけど。翻訳物にもチャレンジして欲しい。

あの老人たちの誰に似ている?   (と)

片品村でも翻訳物の芝居が上演でき、村の人にこんな芝居もあるとわかって貰えたのではないかと思う。考えてみると、小沢昭一の「唐来参和」、文学座の「女の一生」、フォーリーズ「オレ達は天使じゃない」など地方に来てくれる良い芝居は片品村でもいくつか上演してきた。こんどは翻訳物が見られればと思っていたので、そう言う意味で貴重な例会だった。
一口に言うと老人問題をあつかった芝居と言える。老人が、悩んだり助け合ったり、どう生きていくかなどが、面白く描かれていた。兄妹3人の夫婦と独身の末の妹、40歳と39歳の婚約者が登場する。その中で自分は、どの老人に似ているか、近いか、なりたいか、すごく興味のあるところだ。鬱病気味の三女の夫の悩み、行動、セリフ回しなど特徴がありそうとう面白かった。その息子の、なかなか結婚できず、それを悩んでいることなども面白く描いていた。

例え年に一回になったとはいえ、6000人の人口の一割弱が見に来るという例会が続いているというのは、すごいことでこれは誇れることだと思う。これらの芝居の例会をどこからの助成もなく、続けているのはスバラシイ事だ。オレ達見るだけの観客にとってはありがたい事でもある。芝居を見るには、企画する。劇団を決める。交渉し契約する。会場を予約する。チラシやポスターを作り、チケットを売る。最低、経費を払えるだけのチケットを売り上げなければならない。当日を迎え、スタッフを迎え、大道具を舞台に搬入し、キャストを迎え、開演前に、駐車場の係や、受付や、会場整理係をする。芝居を見たあとはまた大道具の片づけを手伝い、大ホールの掃除をする。キャストやスタッフを宿に送りその日の仕事が終わる。役員の人は忙しく疲れた一日となる。そうしなければ、こういう村での芝居の公演は実現しない。役員の活動をお金に換算すると、私の計算では80万円以上になる。これはすごいことで私ら一会員にとってはありがたいこだ。私は役員を退いたので、少しの券を売るのと当日の大道具搬出を手伝う程度だからずいぶん楽だが、役員の人はいろんな苦労があるだろう。近頃はチケットがなかなか売れないのが一番の苦労だろうと思う。
今回の芝居を見せていただきまして、役員の皆さんに心から拍手を送ります。
ありがとうございました。

劇団のこと作品の情報は加藤健一事務所ホームページへ


尾瀬太鼓愛好会10周年記念演奏会 11/11 (日)午後1時30分開演
 (と) 
 観光りんご園最後の日、婆さんは開演に間に合わせ、かみさんが送っていった。なかなか面倒がり、何処にも行きたがらないけど、この公演には行きたいと言って出かけていった。80過ぎの婆さんが行きたいといった。私は次男を連れて、後半にあわせてホールに入った。おぉぉー入っている。入りは上々でたいしたものだ。満員に見える7分の入りと言うところか。後半は「どどんこどん」で始まった。何度も聞いた曲、小、中学生の中心の演奏で始まった。なかなか上達している。そのあと一番古い曲で、一番多く演奏されているだろう曲目、尾瀬太鼓の先生、まむれ太鼓の代表者島田明子作曲の組曲「尾瀬の四季」を春から冬までを演奏した。今まで聴いたのは大抵がイベント会場であり、野外が多く、目的は他にあったので、集中して聞けないことが多かった。今回は違う。椅子に座ってこの尾瀬太鼓を聴くだけに来たのだから。感想はかなり、かなり上達している印象。尾瀬の秋」なかなか良い曲でまた聴きたくなった。小さな太鼓が5つだったかな、確かにいい曲で、難しそうでもある。ここには隣家の映美ちゃんが出ていたというのもあるが、ひときわ大きな拍手を送った。最後はメンバーの一人、萩原さんが創った「武尊の風・疾風」という曲で締めくくった。アンコールは、ゲストの手久野太鼓や上州武尊太鼓連も加わり、たしか「上州」という曲を演奏した。そして出口では全員がロビーでお客様を見送っていた。司会は片品のプロの司会者、声優、FM尾瀬でお馴染みの扇野みゆきさんだった。地元ゲストには、片品北小学校の「八木節踊り」と片品小学校の旧越本分校から始まった伊藤多喜男の歌にあわせて踊る「稚内ソーラン節」が花を添えた。特に片小の「稚内ソーラン節」は村の人気者になった。

 私には、芝居やいろいろの芸能を見るとき、内容まで入っていけるものは良いものであるという定義がある。そう言う意味で、今回の尾瀬太鼓のコンサートは作品まで、曲の内容まで入って行けたのでいい会だったという結論に達する。名実共に真打ちに昇進したと言っていいでしょう。

 私は前半を聴いていないので、一つだけ気になることがある。どんなふうにメンバー紹介をしたのだろうか。一人一人にスポットを当てただろうか。大いにそうすべきであったと思う。一人一人の努力がこんなにいいコンサートになったのだから。

 いろいろと思うことはありますが、もう真打ちですから、なにも言いません。ただ迷ったときは、目的を確認しあえば先が見えてきます。そして太鼓を叩けば、叩き続ければ良い案、方法が出てくるでしょう。

 尾瀬太鼓の奏者やく40人の人達に、オレ達はとてもとてもかなわない。初めて生まれた片品で太鼓を演奏するということを芸能に仕上げたのですから。どんなにか努力をしたでしょう。辛いこともあったでしょう、悩むことも、投げ出したいことも…。それでもこれだけの内容に高めていったことは、称讃に値します。絶賛していいと思います。メンバー一人一人に、何時までも拍手を送りたいと思います。
 また機会あるごとに聴きに行きます。
 


沼田演劇をみる会90回例会 
こんにゃく座 『魔法の笛』 
10月26日(金)
午後6時30分開演 2001/10/26 (の)
 
沼田演劇をみる会の例会に貴泰と二人で出かけました。こんにゃく座はマニアックと聞いていたので自分でもいろんなものを見なくちゃならないからと思っていきました。実際、あんなに長い時間じっと見ていられて貴泰もえらいと思います。生演奏があって随所にギャグもあって構成もまあまあ面白くて歌でわかりにくいセリフ、流れのつかみにくいストーリー展開を補っていたと思います。
 貴泰が何処かでまたオペラに出会ったりモーツアルトと聞いたとき、あの旋律を思い出して、身近に感じてくれればと思う。音楽にふれずに生活している私には「自分は命に限りがあるが音楽は永遠に続く・・・」と言うセリフが新鮮だった。

 本来なら、わが家族の書いたもののみをアップするのが好ましいのですが、今回は談志師匠の感想と言うことで、落語を通じて知り合った金川氏の文章を載せさせていただきます。(と)

立川談志独演会 埼玉志木市文化会館 2001/9/1 (金川邦久)

 緞帳が上がると、舞台の右手にめくりがあり、そこに「談志」と出ているので、前座はないのかなと思っていると、右そでの幕の後ろから、のっそりと談志が現れた。
 三十分ばかり漫談をやった後、「二人旅」をやり、15分中入り、その後「落語チャンチャカチャン」と「大工調べ」を演った。とこう書くと、特に何もないようだが、実はということで以下に書いてみます。

 相変わらずというか、談志の漫談は視点がユニークで、ズバリ本質を衝いて来るところが誠に心地よい。
「小朝って、下手だねぇ。『真景累ヶ淵』ってぇけど、ただやってるだけだね。落語ってぇのは、人間ってどうにも訳のわからねえものだってところを見せるものなんだけどねぇ」と、これは私の小説論と全く同じで、思わず膝を打つ思いだった。
 「二人旅」というような前座噺を、談志が演じるのを初めて見たが、これがやはりさすがと思わせた。日ざかりの、埃っぽい田舎の街道が目に浮かぶのである。
「落語チャンチャカチャン」はマニア向けのご愛嬌、それでも一つ一つの場面は実にキチンと演じられている。こういうものを演って、ちゃんとサマになるというのが凄いねえ。
 そして最後の「大工調べ」。与太郎のキャラクターをガラっと変えてみせた。
噺の中でも言っていたが、「与太郎が棟梁の口上を面白おかしく間違えて喋るなんだぁちっとも面白くないだろう」ということで、棟梁が大家に道具箱を返してやってくれと頼む台詞に、与太郎が実に人間観察の鋭い含蓄のある台詞をずっこけながら付け加えたり、わざと間違えたりして言うのである。
 談志自身も「こんなものは一期一会で、もう一回演れと言われてもやれないな」と言っていた。
800人入る会場が超満員、「これだけの人が俺のこういう芸に付き合ってくれるんだから、俺ぁ幸せだよ。今夜はとても気持ちがいい」と最後に言って、嬉しそうに笑っていた。最初に出て来た時の眠そうな顔つきとは全く違って、晴れ晴れとそして、若々しい顔に見えた。
 私は昭和40年の春に、大阪で談志を間近で見たことがある。JR大阪駅前の阪神百貨店の一階に、道に面してラジオ大阪のサテライトスタジオがあり、そこに、談志と上岡竜太郎(当時は横山パンチ)が出ていて、生放送中だった。あの時の若々しい顔と同じだった。
 もう36年も前になるが、あの頃から落語はそのうち廃れるなどと言われていた。しかし、いつの時代にも凄い芸人というのはいるもので、そういう人の芸は、生活が成り立つくらい多くの人たちから求められ、存続していくものではないだろうか、とそんな感想を持ちました。


ミュージカルはだしのゲン 沼田演劇をみる会90回例会 利根沼田文化会館 (の)
2001/8/11 午後7時開演
沼田演劇をみる会がチケットを売って成功させようとした今回の公演でしたが、私は行かないでおこうと思っていました。というのもこどもの頃に見た原爆のマンガの皮膚がただれてたれ下がった人や全身にガラスの破片が刺さった人、木に突き刺さって死んでいる人の絵などが目に焼き付いていて恐くてたまらなかった思いが今でもかわらずにあるからです。ところが貴泰は前回は「無法松の一生」でつまらなかったけど、今度のはマンガで読んで話も知っているし絶対行くと言うし、主人は疲れてできれば行きたくないと言うので8月15日も近い今日、先の戦争のことを考えることも必要かなと考えを改め行くことにしました。
 作品はとてもよくできていて、特に舞台の大道具の使い方がよく火が燃える様、川が流れる様子など限られた条件の中で十分に現されていました。あとで貴泰にきくとマンガよりずいぶん省略されていたようでしたが要所は押さえてあったようでした。作品のセリフの中でも一カ所触れてありましたが、原爆で生き残った人達が苦しむものの中に「世間の目」というのがありました。その日に広島にいたからということで後々まで差別を受ける、それもアメリカによってではなく同じ日本人から差別されたこと。それが今回は強く考えました。
 戦争の体験を話したがらない年輩者は多いけれど、なんとしても語り継がなければと思う。大変な公演だと思うけれど続けていって欲しいです。


千と千尋の神隠し ムービィックス伊勢崎 2001/8/1 (の)

 こどもたちと一緒に見るのを楽しみにしていたがあまりに混んでいたのでだめかと思った。それぞれ違う映画を一本ずつ見たあとで一緒に見た。それでも前から二番目の席で目が慣れるまではちょっと大変だった。前作「もののけ姫」のような直截なメッセージはないが楽しめた。その早い展開に気がつくと口を開けてみている。テレビのコマーシャルを全然見ていなかったらついていけなかったかもしれない。今回は先に見に行った近くの人にパンフレットを借りて充分な下調べがあったので何が出てきても驚かなかったけど。
 画面の細かいところまで実によく書き込まれている。町の様子。お風呂屋の様子。いろいろな神様の様子。出かけていく銭婆の家までの道のりなどなど。でもこれは千尋の精神世界のわけだから私が迷い込んだらもっと違うものがあるのかもしれない。ハクではない、ハクの役割をしてくれるひとはきっといるはず・・・なんて勝手に想像してしまう。
 おりんが「ぼーっとしてないでお世話になりましたとかなんとか言ったら」と千尋を諭すところがある。釜爺が「仕事を中途半端で放り出すな。思いつきで人の仕事に手を出すな。」と教えるところもある。本当は親があるいは地域がこどもに教えていかなくてはならないいろいろなことを思えばずいぶん宮崎駿に頼っている。さつきやキキがさりげなく教えてくれたことになんと多いことか。(うちではこの二人は同じ役者がやっているにちがいないといっている。)ナウシカやアシタカはちょっとスケールが大きすぎるから千尋くらいの身近なキャラクターが安心させてくれる。
 何日かしてからふと貴泰が「でも銭婆はカオナシをうけいれていたよね。」と感想を漏らした。「人を受け入れる」なんて表現を最近学校で習ったんだろうか。私は20歳を過ぎてからヘッセの作品から感じたのが最初だとおぼえているけど。とにかくこどもと一緒に何かを見るといろいろ発見できることは確かだ。

GONSUKEの感想
 おだやかな気持になれる映画だった。芸が細かい、宮崎駿は退屈はさせてくれない。
 あの神様が癒しに来る湯屋は、どう見ても落語の中で想像していた吉原の大店です。昔の、江戸時代の遊郭は、落語家がまくらに振りますが、女性が身体を売る場所ではなく、総合文化の極地であったという。花魁は、今の売れっ子の女優よりはるかに上の上の存在だったと…。
 千とはくの愛の物語映画という一面もある。千尋にはなれるが、千には誰でもなれるわけではない。それをなれそうに描いているし、なれるのではと思わせるところがヒットしている、評価をされている原因だろう。家族の愛、友達の愛の為だとはいえ、千のように勇気ある行動はななかなかとれないだろう。とれると思わせるところが、夢のある映画だし、静かな、心の応援をしてくれるのであろう。

詳しくはこちらのホームページへ
http://www.toho.co.jp/sentochihiro/



ドクター・ドリトル 2001/8/1

http://www.foxjapan.com/movies/dolittle2/

猿の惑星 2001/8/1 (と)
 昔の猿の惑星はドキドキした。後で考えるとタイムスリップの繰り返した゛った。
 今度の新作は、前と同じ逆転の発想。あれは地球の未来ということでしょう。宇宙の磁気の嵐の中で、タイムトラベルしてしまう。そして猿の惑星で、全てを解決し、元の星に戻ろうと、飛び立つとまた磁気の嵐の中を抜け、地球に到達…。そこは…そこは…。これまた子供だましの映画でした。楽しい方は、楽しかった人は、こどもの心を持てる人だと思います。持てない私はもうこの種のものは見ない方がいい。詳しくはしたのURLをクリックしてみて下さい。
http://www.foxjapan.com/movies/planetoftheapes/

 この日は月初めのため、入場料が大人1000円これは安い。いつもこうなればもっと客は増えるか…。夏休みとはいえ、平日この混み方はすごい。「千と千尋の…」が人気があるのか、開映15分前に行って次の回のチケットが10枚くらいしか残っていない。これはすごいヒットだと思います。そして、その見た人がまた人を呼んでいるようです。あれほどテレビでスポットを流しているのだから、見ない人は仲間はずれになるようだ。なりはしないが。映画はまだまだ大丈夫だな。演鑑は危ない。


「15才」学校W 家庭ビデオ 2001/7/7(の) (た)

 お兄ちゃんとお父さんが落語に行った留守に「15才」を家庭用ビデオで見た。
 最初に学校に行かなくなった少年の机の上に友達が置いてくれている金魚が写った。女の子がちょっと振り向いて餌をやる。トラックを乗り継いで九州まで行く間にもいろいろな人に「学校はどうした」と聞かれる。うるさいと思ったり、丁寧に話したり、聞く人の関心がおざなりなものか真剣に聞こうとしているかを敏感に嗅ぎ取る。
 屋久島に着くまでに引きこもりの青年と心を通わせるがこれも主人公の彼が素直な少年で自分でも悩みを抱えているから相手も心を開くのだろう。縄文杉に行き着くまでがあんなに大変とは思っていなかったが、連れになってくれた女性が励まして念願を果たすことができる。また丹波哲郎演じる老人とのやりとり、その息子とのいきさつのなかで少年が「汚れた下着を買えたりご飯を食べさせたりすることが嫌ではなかった」というところがあるがこれが今まで気づかなかった自分を発見するということだろう。宮崎駿が対談の中で今度の作品では「普段は眠っている子供の中の生きる力を呼び覚ましたかった。」といっていたがそれにも通じるかなと思った。
 世間にでてみると親を見る目が違ってきて、うちに帰ったとき椅子を勧め、話そうとして和解できるところが自然でよかった。それでもやっぱり始めて学校に行くときのストレスは大変なものだ。それに耐えられないとわかっている子供は不登校にならないでただ行くだけ行っているというのが事実だと思う。
 
 貴泰もなかなか気に入ったらしくなんどか話をした。いろいろな人がでてきたこと、汽車が現れたところなどがよかったそうだ。縄文杉から一人で帰ってくるところはドキドキした。かれも生きててよかったと実感したらしい。たしかに作品としても楽しめるように作ってある。
 
 「一人前になるってどういうこと」と言う問いかけにしばらく時間をおいてから「まず、ありのままの自分を好きになることが第一歩じゃないかな」と答えたお姉さんの言葉がテーマかなと思った。当たり前のようでいてこれが出来ない子供は多い。小さいうちに何度も何度も親が「どんなにお前を大切に思っているか」を伝えなければいけないと思う。言葉や行動を通して。


高崎葡萄屋寄席「立川談志とその仲間」
(タイトルは管理人が便宜上命名) 高崎市文化会館 
2001/7/4(と)

 子ほめ    立川談大
 饅頭こわい ミッキー亭カーティス
 漫談     毒蝮三太夫
    中入り
 紺屋高尾  立川談志 

 ひさしぶりの落語会。野良仕事、会議のため昼寝が出来なかったけどなんとか集中して聴けた。
 饅頭怖いは面白い。隣の外人さんというキャラクターが特に面白かった。
 蝮さんはねー…。ファンは多いいですよ、でもなんか…物足りない。馬鹿馬鹿しいけどつい爆笑してしまうという域に達すればすごいけど。

 お目当ては紺屋高尾。ご当人の言によると、アドリブ・ライブというところでしょうか。説明を極力控えた構成です。テーマの「真心」を前面に押し出していた。そう感じた。花魁の高尾太夫がやけに美しく、魅力的に見えた。
 最初声がかすれる、やっぱり昔ののどの手術の影響かと心配になる。だんだんに声の調子はよくなって安心した。片品にいて梅田屋旅館でゆっくり眠れたといってましたが、疲れているように見えました。師匠のホームページの「今日の家元」や「新着情報」を見るととても忙しそうです。
 カーテンコールで、機会があれば「居残り」とか「つるつる」をやりたいといってました。耕介、中二を連れていったのだが(三度目)、どうも客の中で一番若いようだった。あの日あの時、談志師匠を聴いたと言うことは生涯の自慢になると思う。
 それにしても高崎は暑い。ハナがでそうになり、風邪気味になった。うちで薬を飲む。体調を整えるのに大変だ。



『ジャスってなあに?』片品おやこ劇場例会
 片品保育園 2001/6/3(と)(の)
出演 こうのゆきひろと愉快な仲間たち(ピアノ、ベース、ドラム、サックス)

 わが家の自慢は、秋吉敏子とルータバキンのサイン入りレコードを持っていることです。ロスの一流ホテルで新婚旅行の時聴きました。宿泊したのは違うホテルでしたが。日系人の商工会の事務局長さんと知り合って、その人が一番いい席に連れて行ってくれました。その時休憩時間に、ピアノの前で書いてもらったのです。ま、昔々の話です。 今日のコンサートもまさしくジャズ入門で素晴らしかったのですが、一部のジャリがうるさくて気分はマイナスになってしまっいました。子供を静かにさせられない愚かなホンの数人の親のために…(ずっと飛び回っている子や、後ろの遊具でずっとうるさくしている子を静かにさせようとしない親のこと)。もし、談志師匠みたいな芸人なら聴くと言うことを教えたのではないかと思います。「ここは音楽を聴くところだ、静かに出来ない人は表に行きなさい。小さな子や、静かに聞けない子供は親のそばにおくように」と。こども劇場ですし、それは就学前の子供ですから、仕方ないとは思うけど。親がそばにいるなら、少しはうるさくても、こども劇場だからいいのです。そばにいないで騒いでいる子をなんとかしようとしない親は問題です。相当問題です。相当ですから、かなり問題です。なんとかさせられないと、いつかこの親は、この子供に、ヒドイ目に合います。この行為は自分のわがままを通しているだけですから。後ろから行って思いきり、ゴンとやりたくなりました。たとえばいっちゃんちのこどもは小さいときからいつも静かに聞ける子供でしたが、これは親のしつけです。日本の村でたったひとつ、小さな村のおやこ劇場ですから、こういう人達も歓迎していかないとなりたたないのでしょう。
 「チューリップ」「さんぽ」がジャズになる。また「もののけ姫のテーマ」のツンツクさんのベース良かったなぁ。今日は親子4人で聴きに行きました。おやこ劇場の皆さんありがとうございました。(と)
 
  ジャズってほんとに楽しいものだったんですね。事前のピアノコンサートの時はおそるおそるで声が出せなかったけど今日はすっかりのってしまった。(の)


ハムナプトラ2
前橋テアトル西友 2001/6/23 (と)
 今日、上記作品を見てきた。この小忙しい時期に映画などと思われるかもしれませんが、これはわけありです。
中学2年の子供を連れて、第22回全国中学生選抜将棋選手権大会群馬県予選というのに前橋のリンコウカクに行ってきたのです。坊主の成績は、3回戦進出、昇段試験では初級をいただいた。…ここまで書くと知らない人は凄いのではと思うかも知れませんが、状況を話すと、ま、大したこと無いので驚きす。これが終わったあと、本屋に行って、そのあと映画を見たのです。県都前橋に出たついでに、付き添いのお父さんまで楽しまなければということで、こういうスケジュールになりました。
 前橋テアトル西友は久しぶりです。午後2時の回、客は16人でした。土曜の午後なのにという印象でした。伊勢崎のムービィックスに押されているのか、それとも映画離れか、とにかく少ない客だった。今度、来週あたりから、高崎の駅前にも、9スクリーンの映画館がオープンするという。映画興行界もさらに厳しい競争の時代に入りました。
 作品は「古代エジプトSFアクション大作」というところです。一口にいうと「子供だましの傑作」。子供の心に戻れれば面白いし、そうでなければ「もう実にくだらない、どうも実にけしからん」というような作品でした。テレビCMだと面白そうなんですがね。予告編でやっていた「千と千尋の神隠し」監督宮崎駿は面白そうです。これはかなり良さそうですよ。
 そんなわけでハムナプトラの情報は下のURLをクリックしてみて下さい。
    http://www.odn.ne.jp/uip/mummy2/index.html


芸能としての授業参観
・ライブ中学生日記 2001/6/21 (GONSUKE)

 今まで、学校に行くのは年に2度くらい、しかしPTAの役員になって、状況を知らないと話にならないし、内容のない私は学校の様子くらい把握しておかなければいけないと、機会あるごとに学校に通うようになった。授業参観、校内マラソン大会、親子環境整備作業、そしてこの間は中学校の学校一日公開参観日を見に行った。そこで感じたことは、授業参観は芸能みたいだという事でした。ドラマ中学生日記の実演、生舞台、つまりライブ中学生日記だと感じたのです。 
 授業参観や学校一日公開参観日の目的は、父兄に子供の学校での様子を見てもらい、いいところは誉め、悪いところは注意して、少しでもいい子に育てようという狙いだと思う。もっと突き詰めて言うと、ちゃんと授業を受けられない子供の父兄に見てもらい、なんとか先生と協力して勉強するような方向に持っていきたいということもあるのだろう。

 午後の1時間目学校の玄関に入ると、そこはシンプルな受付だった。クラスごとに生徒の名前があり、そこに親が丸を付ける。受付簿には1年と3年が10人足らず、2年は私が最初客、いや父兄だった。この催しは人気がないのか保護者の姿はほとんど見えない。芝居は銭を取るので受付がいるがここは誰もいない。アンケート用紙も用意してある。このアンケートの質問も演劇とほとんど同じだ。まずどこに行こうか、プログラム…いや日程表を見る。二階に上がり図書室の前を通ると、父兄休憩所とあり、お茶まで用意してある。これは劇場よりサービスがいい。まず自分の子供が出演?している2年の教室にいってみるともぬけの殻、専門教室に行っているらしい。3階に上がり1年の英語の授業を見る。

 チィーム・ティーチィングとかいう教え方で、アメリカ人女性の指導助手M先生とN先生が、日本語を使わず、スピーディーに教えている。オレ達の頃とだいぶ違う。違うはずだ40年も前のことだから話が古すぎる。M先生の発音を聞いていると何かアメリカの映画を見ているようで、「うおー」もうそれだけで感動する。この先生には私の趣味の落語の中の、桂枝雀の英語落語のビデオをプレゼントしたことがある。授業参観が芸能なら、この先生はスターだ、スターにファンがプレゼントしたようなものだ。私に気づいて、良く外国人がやる、「ハーイ」と手をあげてきた。私は会釈を返した。落語は聞いたかな「うどん屋」理解出来たかな。うどんつまりヌードルを喰う所は必ず笑うはずだ。
 授業の内容はわからない。英語が分からないのだから。でも数を紙に書いていたナー。素晴らしい発音でエレブン、トゥエルブとか言っていた。古いことをまた言って恐縮だが、オレ達の子供の頃は外国人の若い女性など目の当たりにみた事はなかった。それがいまは、授業を教えるのだからさぞ英語の力も付くだろう。一年生は、戸惑いながらも英語だけの授業に汚染、イヤ順応していたようだ。授業がはじまる前に、私に話しかけてきた生徒がいた。りんご屋サンの息子さんで顔はわかる「(おじさん)誰だっけ、子供は何年にいるだい」通常は演者が客に話しかけることはない、これは芸達者な奴のアドリブだなと思い、適当に答えて置いた。私自身が戸惑ってしまったので、そんな返答になったのだ。授業を見ていると、緊張ばかりの様な気がした。演劇は、緊張と緩和のバランスがいい舞台を生み出すのだが、授業はどうだろう。緩和というのもあるのだろうが、ただ単にこの日のこの時間の数十分になかっただけかもしれない。

 そのあとすぐ、3年生の総合学習をしている廊下を通った。机を班ごとに並べて何かやっている。ここも先生が二人いる。体育のM先生がひとつのグループの一人の生徒に真剣に話しかけていた。授業参観は芸能という視点から考えると、PTA広報は、パンフとも言える。2000年のパンフにM先生が「負ける練習」と題して文章を寄せているが、この中に【今、学校で抱えている生徒指導のほとんどは「だだをこねて思いを通す」生徒に手を焼いているのが現状です。》とあった。まさに今、だだをこねている生徒を変えていく仕事をしているのか。総合学習の内容もわからない、ここに留まるのはよそう。ただざわついた雰囲気の中で、先生が健闘しているように見えた…と、勝手に想像して図書室に向い休憩をした。すなわち子供も休み時間なのだ。ざわついていたのではなく、各グループが活発に討論をしていたのかもしれない。行き交う生徒達に挨拶をされた。私の場合、声は出さないで会釈をする程度だったので、ちゃんと言葉を発して挨拶をする事を子供たちに教わった。

 チャイムが鳴った。いよいよお目当ての国語の授業が始まる。目的の教室に向かうとき、ほかの教室が始まったばかりだった。先生が一人の生徒に気をとられている。他の生徒はざわついている。これをプロレスに例えると、例え方が乱暴だが、そう思ったのだから致し方ない。6人タッグで、一人のヒールが、レフリーを誘ってオーバーにアピールをしているうちに、他の連中が相手の一人を反則攻撃をしているという図式に似ている。女の先生だが、そのせいか、それとも始まったばかりのせいか、これは長期定点観測をしないとよくわからないぞ。いよいよ、お目当ての教室へ。
 かみさんが国語の授業を薦めていた。この授業は生徒も集中するらしい。母親達の芸能、いや素人学校評論家にも好評のようだ。お、もう始まっている。めくりには(教室の入り口に貼ってある先生の名前と授業の科目)お目当ての先生であることが確かめられた。いよいよS先生の登場だ。本日のお目当て、真打ちでもある。黒板の右端には、品詞の勉強であることが明記されている。お、やってるやってる。文節に分けるのか。自立語とは「私は」の「私」付属語とは「は」のこと。自立語とは自分で文節を構成出きる。なるほどわかりやすい。これが噂のS先生の授業か、確かに話をしている生徒はいない。先生の動きが生徒全体を包み込んでいる。この形は、うちの林檎亭のお客さんで、船橋オートのスター予想屋さんの、ミスター船橋氏の動きや、やり方と似ているぞ。船橋氏は周りを取り囲んでいる60〜70人以上のお客さんを包み込むように、全体を掌握して予想を売っている。まさにこの手法だ。(どんな手法じゃー)
 驚くことに、品詞の授業をしながら、教育実習に来たと思われる後ろの方にいる若い女性に声をかけ助言し、さらに一番後ろにいるマラソン大会で好成績をおさめた生徒のそばに来て、ノートに書くことを促し、自立語を教え、また教壇に向かうこれらが無駄なくスムースに行われている。たぶん落語界なら…、またおかしなものに例えてしまったが、せっかくなので書いておくが、人気実力共に備えた中堅真打ちというところだろう。今日の衣装は…、薄い黄色のベストが似合っていた。こういう先生なら、体験として、詩、あるいは俳句、小説の授業を受けてみたい気がする。中学二年生と一緒に受けたとすると、だいぶひけを取るだろうなぁ。一つ思ったことは、授業を最後まで見てないのでよくわからないが、一時間の授業の中で、爆笑王、故桂枝雀が良く言っていた、「緊張と緩和」の緩和がどのくらいあるのだろうか。また笑いをとったりする事もあるのだろうかとも思った。今日の子供との会話はこの話題にしよう。
 受付簿によると、二年の親は私だけだったが、他にも二人来た。熱心なお母さんだ。その生徒が二人とも廊下側のせいもあり、早速自分の子供に、声をかけたり、シャツをいじったり、ライブ中学生日記に参加していた。私もいつまでもここで見学をしているわけにはいかない。日本一美味いとうもろこしを作らなければならない。播種の仕事が待っている。
 帰りしな、落ちていたティッシュに気づき拾おうとしたら、ひとつや二つでなく、いくつも落ちていた。S先生が5月の学年保護者会で言っていた「まだティッシュをちゃんとゴミ箱に片づけられない生徒が若干いる」と、これだなと思いそのままにして帰ってきた。帰りしなアンケートにも記入して帰ってきたのだが、その時いつも字を書いてないと、とにかく漢字を忘れてしまう事に気がづいた。文章はホームページの更新でいろいろ書くが、ワープロなので、書いたようなつもりになるだけでとにかく字を忘れているのが驚きだった。アンケートはすぐ書かなければいけないし、長く考える暇はない。とにかく出てこない。最も、また来たいですかの質問にはハイでいいのに、やたら感想を書こうとする、どうも実にけしからん。環境、廊下、丁寧などよく考えれば思い出すのにその場では書けなかった。これは情けないですよ実際、当人になれば恥ずかしいです。
 中学のとき国語を教わった、S先生は30年後に、教え子達に中学のときのテストと作文を返してくれた。これは私たちにとって素晴らしいプレゼントであり、30年後の先をみた壮大な計画だったのでしょう。もらうまでわからなかった私たちは、この素晴らしいプレゼントに感動しました。私の返してもらった作文の中に、「お」と「を」の使い間違いがあり家族から笑われました。でもこれは恥ずかしくはなかったのですが、アンケートの字がすぐ出てこないのには自分でもあきれてしまったのです。これはまだ誰にも打ち明けていない。そんなこともあったのですが、帰りしな心の中で一言。「あー楽しかった」。

 ただ、だらだらと、長く書きました。何が言いたいのかわからないと困るので、ハッキリ結論を書いておきます。子供の学校での真の姿を知るために、学校行事、特に学校一日公開参観日には是非参加して欲しい。親も学ぶ事が多く、しかも楽しいですよというお話でした。
 


さこみちよコンサート「歌門来福」 2001/6/19 池袋芸術劇場
 (の)
 
 一言で表すると内容の濃いコンサートでした。前半のオリジナルの歌のいろいろも良かったし、後半の美空ひばりの歌、またそのほかの歌もとっても良かった。新曲の「燕になりたい」はみちよバージョンのほうが歌いやすいように思った。
 開演のお知らせや、公演中の注意、最後の明かりがついてからの放送まで全部自分でやっているのもビックリしたし、最前列のはしにスタンバイして歌が山場にさしかかる度に出てきてテープを投げる熱心なファンにも驚いた。どうも群馬県の人らしい。
 主役が洋装から和服に着替えているうちにバンドの人達が「カントリーロード」を演奏してくれたがこれがまた良かった。ニコという中国の楽器の演奏もあったがとても良かった。また、後半に「望郷じょんがら」を歌ったときに出てきた吉田兄弟バリのピアスの三味線のお兄さん、和太鼓を叩いた金髪の若者も良かった。新しいC.D.のなかでは夏祭りというのが一番好きになったがこれで紅白に出てあの和太鼓の人も一緒に出られたらすごいけど。
 大沢悠里さんと毒蝮さん、それに文治師匠まで応援にきてコンサートは大変盛況でした。
 さこみちよさんは本当に歌が上手いと思う。「川の流れのように」などを聞くと特にそう思う。売れた売れないに関係なくずっと歌っていって欲しいと思う。いつか歌でテレビにもでて、コンサートもこなしていってほしい。
 楽しい二時間でした。アンコールがあるのに帰ってしまった皆さん、ホールが明るくなるまでは席を立たないようにしましょう。
後の席で「さこみちよっつんは歌手だったんかい」といっていたおじさん、始まったら静かにして欲しかった。そうです、さこみちよさんは歌手なんです。もうずっと昔から。


沼田演劇をみる会第89回例会 青年座公演『無法松の一生』

 2001/6/6利根沼田文化会館 (と)
 見る会の例会は「無法松の一生」前回が「雪国」次回が「はだしのゲン」というラインナップ、何かオレの見たいものと反対方向に行っているような気がする。全国組織の、演劇鑑賞会だから仕方ないのか。それでも小さな意見は言っておく。つかこうへい、三谷幸喜、平田オリザ、鴻上尚史、野田秀樹などの作品がみて見たいと思っている。そういう人達の作品を上演している劇場に足を運べば済むことだが、先立つものと暇が無い。つまり貧乏暇なしである。それらは、しばし我慢。しばしか、一生か、まだわからない。

 無法松の話は、映画だか、テレビで見たことはある。あるけど、その印象は♪小倉生まれで、玄海育ち、波も荒いが気も荒い♪と例の演歌くらいのものだった。暴れん坊の松という車引きが、美人の優しい奥さんに惚れてしまい、戸惑う話くらいにしか考えていなかった。また、なぜいま「無法松の一生」なんだと思っていた。そのことばかりが頭を離れなかった。
 明治末、舞台は小倉、主な登場を上げる。
 ◯家庭に恵まれなかった、元気がよく、暴れん坊といわれるが、心根は優しい、無骨者の車引き、富島松五郎、通称無法松。たしか視力が弱く、戦争に行けなかったのを悔しがっていた。津嘉山正種が演ずる、なかなかいい役者だ。

 ◯松に惚れる火の国熊本出身の芸者駒千代。これがさっぱりしていて、端で見ていても気持ちいい。唐突だが今の世の中なら、きつと村会議員や市会議員になれる資質を持っていただろう。
 
 ◯戦艦三笠の乗組員で、海軍大尉吉岡。日露戦争では相手を負かして帰還するも火薬庫の爆発で、船もろとも沈み命を落とす。海軍大尉、大国ロシアを敵に回し、戦う軍人、苦悩する軍人のようだった。

 ◯吉岡大尉の妻良子。東京生まれ、夫の出身地小倉に住む。

 ◯一人息子の、吉岡トシオ、稔真の間違いではないかと思うほどだ、九州だし、字は敏雄が本当らしい。内気で弱々しい少年だったが、たくましく成長。軍人の道には進まず、芸術の研究をしたいといいだす。

 ◯敏雄の友人で、母にピアノ(オルガンかな)を教わる、ウイーン生まれの外交官の娘、父の再婚相手など、家庭の事情で田舎の祖父にあずけられる。人形の家のノラに傾倒し、平塚らいちょうを尊敬する女性。後に旧藩主の息子と結婚する。

 時代に翻弄された純粋で、一本気の男の物語といってしまえばそれまでだが、そう簡単には言えない。一人の男が愛を打ち明けられずに悩む。その相手も松に好意を抱くがその思いは臨終の時に、果たして伝わっただろうか。
 後半クライマックス、松が奥さんに惚れてしまったことに気づき、自分の心に鬱積した思いを小倉祇園囃子の暴れ太鼓を自らが叩き、心を鎮めるというシーンはなかなかのものだった。そこで心筋梗塞(今で言えばそんな病気か)で倒れてしまう。
 私が、なぜいま「無法松」かと疑問に思っていたものは、この祇園太鼓を叩く松の心を分析していけば解けるのだろう。この心と言ったが、この心は、さだまさしのコンサートにおける、トークの部分から歌になるのと同じようなものだ。つまり最初からの芝居が、この暴れ太鼓にかかってくる。芝居で言い尽くせないところを太鼓で表現したのだろう。芝居は伏線、前説のようなものか。

 沼田演劇をみる会の会員には、私とかみさんが入っている。しかし二人で出かけるのは、年五回の公演のうち一度か二度、大抵は私と子供、あるいはかみさんと子供で出かける。今度は6年の貴泰と一緒に出かけた。坊主は一番前で見ていた。芝居どうだったと聞くと「眠かった」印象に残ったとこはと聞くと「戦死したお父さんが、無法松に子供を頼むと言ったとこ」そのくらいで大した返答はなかった。太鼓は凄かったろうというと「うるさかった」と一言。文真堂でお目当てのものが無くガッカリしていたようだ。ま、面白くなくても、子供の時にもこういうのを見ておくのはいいことだろうと思っていつも連れていく。
 感想を書いていて思いました。これが林檎亭々主の表現能力の限界だと。次回は近日中に、片品中学校の一日学校解放日に感じたことを「芸能としての授業参観・ライブ中学生日記」と題して書きます。頭の中ではかけているので、じきにアップしたいと思います。お楽しみに。


『15ミニッツ』ムービィクス伊勢崎
 20016/3 (と)

 久しぶりに劇場に足を運んで映画をみた。時間の都合でこれにしたのだが、どれでもそれなりに楽しめるので、映画に飢えているときは、とにかく何でもいい、まず見ること、それによって心が解放され、ストレスが発散する。
 エドワード・バーンズ監督作品。ニューヨーク、デ・ニーロの刑事、消防の放火犯捜査係、チェコとロシア人の二人組の犯人、映画好き、ドキュメンタリーを撮る。テレビメディアと国民。これだけ多くの興味のある素材、題材が盛り込まれていた。さらにもう一つ、精神障害と犯罪の視点からも描かれている。
 「人は誰でも15分だけ有名になれる」という言葉からのタイトル。救われるところがなかった。非常に恐い映画だった。
                     詳しい作品情報はこちらへ
 
 町はもう夏。私は、映画を見るのにも次の日まで疲労を残さないために相当の覚悟がいる。これからの季節は暑さ対策も必要だ。夏の映画見物も楽ではない。
 前橋伊勢崎周辺では、麦刈りが始まっていた。


「名探偵コナン 天国へのカウントダウン」 プラネタリウム「宇宙へのあこがれ」

               2001/4/30 貴泰・典子 (の)

 雨が降ったので映画に行った。はじめは伊勢崎に行こうと思っていたが一つだけ見るというので高崎に変更。一時の回に間に合うように行ったら立ち見だと言われ階段をぐるぐると三階まで上って列の最後尾に並ぶ。それでもホールにはいると一つの席は空いていて貴泰は真ん中で座ることが出来た。作品としては前作、前々作に並ぶ出来だと思う。事件は大がかりなものではないが次々と爆破が続きそのビルからどうやって脱出するかが見せ所になっている。45階から蘭と消防ホースで身体を縛って必死の脱出をしたというのに上に友達が残っていると見るとまた登っていってしまうなんてやっぱりコナンはヒーローだね。「気が付くと自分は何者で何故ここにいるのか。私の席はここにはない。」という灰原哀のセリフとそれに答えるコナンやこどもたちのセリフがまあ主題というか聞かせ所なんだろう。何も疑わずに前を向いて生きていけるというのはそれだけで凄いことだと思う。なにはともあれ来年も制作が決定したというから良かった。それと、これから公開の映画のC.M.が見られて「千と千尋の神隠し」や「メトロポリス」、「犬夜叉」など楽しみができた。
 映画を見た後、高崎市民文化会館でプラネタリウムをみてきた。よくできた一編だった。宇宙開発の歴史、今の宇宙開発が抱える問題。ちょうどロシアが商業宇宙旅行をはじめたときだけにタイムリーだった。これから高速を運転するんだからちょっと休もうと思ったけど休まず見てしまった。最後に「人間の身体には地球にはない物質が微量に含まれていてそれから人間が宇宙から来たということが推測される。だから人間が宇宙に憧れるのは自然なことだ。」とまとめていた。その物質が何だったかは忘れてしまったが。
 コナンもプラネタリウムも観客がうるさくてちょっとイヤだった。コナンでは赤ちゃんがずーっと泣いていた。離れていた私たちでさえ気になったのだから近くの人はどんな思いだっただろう。公衆マナーがますます無くなっていく。雪が解けて椎坂峠がゴミだらけだったのが土木事務所だか村が清掃したようだがまたゴミが捨ててある。G.W.が終わったらどんな風になっているのか通るのが気が重い。



第24回県民芸術祭参加 県民音楽のひろば

群響特別演奏会 桂 小米朝『おもしろクラシック高座』 
利根沼田文化会館 午後2時開演 2001/3/11 (と)

 子供二人を連れて3人でききにいった。かみさんは仕事、お疲れさま。群馬には群響という交響楽団があるので、質の高さはわからないが、時々聞く機会には恵まれる。昔は、定期演奏会にも行ったことがあった。こういうコンサートも久しぶりで、行けば行ったで心に潤いを与える。昔は、ベルリン交響楽団とか、レニングラードとか、ずいぶん前橋や高崎まで行ったものだったが、金と暇がなくなり、それより優先するものがあり行けなくなった。
 長男がだいぶ前からクラシック音楽に興味をもち、沼田の図書館からCDを借りてきて聴いている。「こんだ、いいコンサートに連れて行かなくちゃあナー」というと、「自分で行けるようになったらいくよ」とけなげな事を言う。ま、自分で稼ぐようになったらという意味らしい。これはえらいと思った。近くであるので、また落語家も何かやるというので出かけてみた。
 一部は小米朝がモーツアルトに扮して、案内役をやっていた。オレ達初心者にはもってこいの構成で面白かった。曲もお馴染みの曲で楽しめた。
 二部は「フィガロの結婚の落語版」落語家、オーケストラ、オペラ歌手三人がフィガロを演ずる。落語の好きな人は好きなひとで、クラシックの好きな人はひとで満足は出来なかったのではないかと思う。ま、それはそれ、新しい試みで、音楽ファンを増やしていこうという事だと思う。結構でした。指揮台の隣りに高座があり、小米朝が紋付き袴ですわって上方落語のフィガロがでてくるのだから、これは凄いですよ。ちゃんとまくらもあって、森首相の英語ネタが掴みになっていた。掴みはOKだった。

 通の人のためにいろいろ書いておきます。
 入場料 大人2000円 学生1000円
 
 群響メンバー50人。指揮工藤俊幸 歌手は二期会のソプラノ横山美奈 メゾソプラノ 小林由佳 バリトン黒田博 
 
 曲目
  全曲モーツアルト 交響曲1番変ホ長調 第一楽章    ディブェルティメント 第一楽章
  交響曲25番ト短調第一楽章  セレナード第13番ト長調アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク第二楽章
  交響曲第41番ハ長調ジュピター第一楽章     だって。
 上演時間2時間15分 
 席は空いている所もあるが、後ろの方までうまっていた。


沼田演劇をみる会87回例会 『雪国』地人会公演
2001/3/3
 
 原作川端康成 演出 木村光一をみた。あまり面白くなかった。原作は読んだのかどうか良く覚えていない。後半の蚕屋の映画館が燃えるシーンを見たら、読んだような気がしてきてた。いいと思うところがみつからなかつた。
主人公の島村という作家には引きつける魅力がなかつた。女性には魅力だつたのかなー。
 思考がが働かない、どこが現代に通じる事だったのか。木村光一が創ったのだから、何かあるのだろうが、私の理解能力ではわからない。
 
 例会が行われるには、当日の係だけでも、大道具の搬出に始まって、駐車場、もぎり、パンフ売り、最後のバラシなど仕事かたくさんある。この日は駐車場係を40分。後かたづけを小一時間やつた。一緒に連れていった長男も手伝ってもらつた。
 裏方も大変だー。10時までに片づけをおやしてくれと、会館に頼まれるて居るらしいが、これは難しい。スーパーや本屋など夜遅くまで開いている時代だけど、ここは10時までに…という制限がある。継続だけでも大変なのに、さらに問題が生じてくる。沼田演劇をみる会は前途多難です。
 見る会再入会は、入会金免除皆様のお出でをお待ちしています。詳しくは林檎亭々主までメールを。細かく説明いたします。




『ペイ・フォワード』ムービィクス伊勢崎 
2001/2/22 (と)

 この日は、ヤクをもらいに行くために休みを取った。医者、本屋、ユニクロ、ロトクジ、銀行、場外発売、務署といろいろ用足しをした。普通ならくたびれはてるところだが、まだ映画を見る余力があった。この映画館は、木曜日が男、水曜は女性がそれぞれ1000円で見られるので割得。
 監督、ミミ・レーダー。しらないなぁこの人。主演はケビン・スペーシー、世界的名子役のハーレイ・ジョエル・オスメント、それにヘレン・ハント。
 場所はラスベガス、夜人質事件が発生する。そして翌日、郊外にある中学の新学期の始まる日、担任の先生が年間の課題を出す。たしか世界を変えてみるような事を考えて下さいと。少年は何かいいことをされたら、自分は3人の人にいいことをしてあげようと考える。さらにその3人の人が、また3人づついいことをする、それによって世界を変えたいと…。そんなはじまりだった。幼児虐待、家族の絆、いろんなものが盛り込まれている感動作品とでもいいましようか。終わったあとのトイレで20代のと思われる男性は、思わず泣いてしまったといっていた。
 ボランティアグループ、ガーディアンエンジェルスではないけれど「電車、街角、職場、学校で、いじめや、嫌がらせがあったときあなたは何が出来ますか」と、私自身に強く問いかけられた映画でした。

 興味のある方は下のURLをのぞいてみて下さい。
http://www.payforward-jp.com/


『バトルロワイヤル』 沼田キネマ 2001/2/18 (と)

 時間の都合で沼田でしか映画が見られないので、これを途中から見ることにした。客は最初15人くらい、そのあと50人くらいになった。若い高校生くらいのイマの若いしが来ていた。この人達は見たあとどう思ったかなぁー。
 これは深作欽二監督とビートたけしで作った映画。教育法が改正され41人の生徒が、無人島で最後の一人の生き残りを賭け、死闘を繰り広げるという映画。この映画に関してたけしは「今の若いのは、本当の痛さを知らない、そいつらに教えてやるんだ」みたいなことを言っていたのをテレビで見たことがある。確かにいつもたけしが撮っているバイオレンスの極地見たいな映画。やたら血が噴き出したり、目をそむけたくなるようなどぎつい映画。テーマとか考えたけどわかんない。家に帰って「イヤー、ひでえ映画だつた」でおわり。この映画見ない方がいいよ。…言ってしまって営業妨害になんねえっぺか。
 ゲンダイを描くとこうなるのかねぇ。つぶれてしまった、前橋文映のもと支配人さんが、上毛新聞のコラムのタイトルにたしか悪い映画はないと言うような意味の事を書いていたが、内容をよく読んどくんだった。
   

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』 
ムービィックス伊勢崎 2001/1/28(と)

 久しぶりに映画を見に一人で出かけた。バイト先の郵便局の映画好きの勝美さんが推薦した「ダンサー・イン・ダ・ダーク」。「バーティカルリミツト」などなどまだ正月映画を全く見てないのだからどれでも良いのだがとりあえずこれに決めた。

 凄い重い映画でこれを見ればいつまでもこの内容を反芻できる。大げさに言えば、人間とは幸せとは、愛とは、人生とは…何度も筋を追って楽しむことが出きるのだ。
 ミュージカル好きの、チェコの移民の主人公が息子と二人でつつましい生活をしている。目が悪く、工場の仕事にも影響がある。故郷の父に仕送りをしていると言うが…、とにかく、残業や、内職をしてお金を貯めているのにはいわくがありそうだ。トレーラーハウスを借りている警官の家主の問題に巻き込まれ、波乱の人生をおくる。ラストが凄いぞ。内容は書けないが…。
 途中、映画のミージカルシーンと、この映画の中の空想ミュージカルシーンが出てくる。セルマという主人公と音楽を担当しているビヨークという女優もなかなかいい。何処かで見た顔だと思っていたら、たまに遊びに来る隣家の小学一年生ちーちゃんに似ている。家族のため、強く強く生きる母親の映画。みて損はない。
 なんのせいか途中気持ちが悪くなった。熱くなり脂汗がでた。まいったなと思いいながらもなんとか最後まで見られた。あの椅子だけはいい椅子なんだけど身体に合わないのか好きになれない。もっと倒れると良いのだが。イヤー映画は見始めるとやめらんない。
 これで1800円は安い。この映画館では、水曜は女性が、木曜は男性が1000円で見られるサービスもしている。

「ダンサー・イン・ダ・ダーク」の詳しい情報は下のURLをクリックして下さい。
http://www.dancerinthedark.net/


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